2016-04-21 第190回国会 参議院 環境委員会 第7号
例でございますが、東海旅客鉄道株式会社浜松工場、それから東日本旅客鉄道株式会社仙台支社郡山総合車両センター、こういったところが百五十台以上の高濃度の高圧トランスを保有しているということが分かってございます。 高濃度の高圧コンデンサーについて、二千台以上を保管、使用している事業所が幾つかございますが、その中では、例えば大阪府庁というものが挙げられます。
例でございますが、東海旅客鉄道株式会社浜松工場、それから東日本旅客鉄道株式会社仙台支社郡山総合車両センター、こういったところが百五十台以上の高濃度の高圧トランスを保有しているということが分かってございます。 高濃度の高圧コンデンサーについて、二千台以上を保管、使用している事業所が幾つかございますが、その中では、例えば大阪府庁というものが挙げられます。
では、どの程度、どこに東海の場合に着陸をするのか、こういうふうに聞きましたら、後になりまして、浜松の浜松工場の中だと。それから名古屋市の中村の橋下町といいますか、名古屋車両所内に置くのでへリポートではなくて離着陸場所の許可である、これはもう大臣に聞きません。この点は関係者からひとつお答えいただきたいと思います。
そこで、これは当局の方にも要請したが、浜松工場のだけは手に入れました。ところが、もう一つの方は手に入らない。こんな不誠意なことでいいのですか。 それで、これを見ますと、例えばこの許可をもらったA社、B社、C社となっておりますが、これは消防署では一年限りしか書類は保存しないのだそうです。
これはA社とB社とC社と三つあるので、浜松工場の中に三社が全然工場と関係ないヘリコプターが着陸をするということはあり得ないと思うのですよね、これは、管理上もそういうことがあると思うのです。それがA社、B社、C社になってこういう日付で許可をとって、年間五百三十五時間ですか、何のために飛んでいるのか、それははっきり答えてもらえませんか。-それではだれが乗ったのですか。
こうなったときに、これはだめだと言うのじゃないのですよ、どこまでも東芝の浜松工場であり、日立の浜松工場なんですね。権限や裁量権というものはほとんど中央にあるわけです。ただ、ここ工場なんですね。こういう形で地域を育てようとしても、どだいこれは本当の意味で育ってくることはないと私は思うのです。
労働大臣が本会議の席でお答えをいたしましたのに基づきまして、二月の十九日に浜松工場と鳥栖工場を管轄する監督署の職員が職業病の補償の問題を中心に監督調査をいたしております。実情を把握をし、同時に、予防と補償の適正化につきまして口頭で指導をいたしてきております。
特に、私は、さきの第八十七国会において、公社浜松工場、鳥栖工場などの女子労働者の激しい労働強化と頸肩腕障害などの悲惨な職業病の問題を取り上げ、事実と道理に基づいてその改善と業務上災害としての認定を求めました。しかし、公社は頑迷にもこれを拒否し、被害者に対する迫害さえも強化しているのであります。
それで、あなた方自身も業務上の労働災害だということをはっきり認めた松本澄美子さん、浜松工場の。この方が主治医の診断で、さしあたり二時間くらいずつ職場で就労して、そうして漸次段階的に就労の条件をもっと高めていった方がいいと。ここに主治医の診断書、私借りて持っていますけれども、そういう主治医の診断があっていて、本人も職場に復帰したいと。
ただ、いまお話のございました浜松工場の三人の方々については、これに該当をしなかったというようなことで判断をされまして、特別昇給が行われていないというわけでございます。
○説明員(泉美之松君) いま先生のおっしゃった浜松工場の三名の女子の場合でございますが、私どもの方、労働協約におきましては、勤務期間二十五年以上で勤務成績良好な者については、退職の際に特別昇給を認めるということになっておるわけでございますが、この問題の三名の女子の場合には、休職期間満了によって退職したというような事情もございまして、勤務成績良好と言い得なかった状況で退職されたようなことでございまして
このうち浜松工場の方で支払いの手続をとりましたもの、支払いをいたしましたものは約百二十一万円でございまして、その差額が約四十七万円ということになっておるわけでございます。
○渡辺武君 それでは次に、専売公社の浜松工場の松本澄美子さんという方の職場復帰の問題について伺いたいと思うんです。 この方は頸肩腕障害、疲労性背腰痛で公社から全国最初に業務上の認定を受けた方であります。公社が頸肩腕障害で認定をした方が鳥栖工場にも一人おる、その二人の中の一人なんです。 この方は五十一年の十二月二日に公社から業務上と認定を受けたんですが、非常に重い障害のために休業中であった。
○説明員(森宗作君) 松本澄美子さんにつきましては、業務上認定をして以後に御本人からの療養補償の請求がございまして、この請求に基づきまして浜松工場長は補償額を算定をいたしまして本人に通知をいたしまして、支払いの手続をとったわけでございますが、松本澄美子さんは補償の内容に同意できないというようなことで受け取りを拒否をされたということでございます。
新幹線総局浜松工場が施行した鋼製格納だなは、軽量形鋼等を同一寸法に多量に切断し、溶接等によって組み立てる簡単な鉄骨工事でありますから、これの積算に当たっては、切断や加工も単純で工場における仮組みも必要としない施工となっているなど、本件鋼製格納だなと構造及び加工作業の内容が類似している軽量鉄骨づくりのものに適用される歩掛かり等を準用するのが適当であったと認められますのに、加工度合いの多い荷役機械用の工場歩掛
○森説明員 六月に浜松工場におきまして盗難事故がございまして、入出場につきまして特に注意をいたしましてチェックをしておるわけでございます。たまたま御本人が来られましたときに、名前、行く先等を聞きました。それが工場側におきまして、こういった扱いをするということにつきまして本人に十分周知をさせていなかったということがあったと思いますか、トラブルか起こったということで、本人が入場をしませんで帰りました。
最後に、もう一つですけれども、専売公社の方に質問いたしますが、浜松工場の松本澄美子さんに対する労災認定後の支払いはしていますでしょうか。簡潔に答えてください、時間がありませんから。
○森説明員 休業補償は払っておりますが、療養補償につきましては、内容につきまして本人が不服がございまして、これを現在、浜松工場長は静岡の地方法務局の浜松支局に供託をいたしておるという現状でございます。
○斉藤(正)委員 国鉄当局の発表によれば、「屋根がはがれたのは、風圧か、事故当時吹き荒れた強風で飛んできた物体が屋根に当たり、屋根と車体をボルトで止めている台座が壊れたのが原因」「浜松工場に回送して詳しく調べたところ、十二号車のアルミ製の上屋根が幅約一メートル、長さ四メートルにわたってめくれており、車体に止めてある直径九ミリのボルト八本が全部台座から外れていた。
私は国鉄浜松工場の近くに住んでおりまして、ときどき浜松工場の見学もさせていただいております。きわめて精巧な機械を使って、場合によっては放射線等も使って、特に車軸、車輪、タイヤさらに台座の検査等をやっておられます。
○説明員(今野尚君) いまのお話に数字で若干お答えいたしますと、浜松工場、それから大阪運転所でいわゆるベテランとして従来活躍しておった人員を三割方中心になって入れております。それを中心にして新しく教育を受けた、よその現場から配転をされた人たちがその指導のもとに仕事を始めたわけでございます。三割ぐらいが基幹要員として当初から計画し、考えておったわけでございます。
そこで私、この災害補償の、いま言われた一件というのは、浜松工場の澄美子さんの問題だろうと思うのです。この松本澄美子さんのやつを読むと、四十四年四月から浜松の藤野という整形外科のお医者さんが診断書をつけています。四十四年の十月ですかにも、腰椎椎間板症とか四十四年の四月のやつは頸椎椎間板症、腰椎椎間板症と、こうつけてきているわけです。
○後藤説明員 現在出ておりますのは、浜松工場の一件でございます。
第二班は、第一班と同じく両法案の審査に資するため、鈴木理事、栗林理事、藤川委員、寺田委員、近藤委員、野末委員、それに私の七名で、去る六月十二、十三の両日、浜松に参り、浜松酒造及び専売公社浜松工場を視察しました。また静岡県酒造組合、静岡県小売酒販組合連合会及び東海たばこ販売協同組合連合会の各代表より、それぞれ業界の実情を聴取し、意見の交換を行ってまいりました。 以上、御報告申し上げます。
まわりと申します、いわゆる台車がすでに更換されているものもございますので、いわゆる車両といいましても、車両全部がどの点で限界ということにはならないわけでありますが、いま申し上げておりますのは、車体を主体とした部分でありまして、必ずしも六百万キロが限度とは考えておりませんけれども、限度が来てから取りかえるという対策では追いつかないわけでありまして、私ども現時点におきまして、いまも全般検査と称しまして、浜松工場
なお新幹線につきましても、現在全般検査として浜松工場を出場して安全を確認いたしまして営業線で働いているわけでありますけれども、現在大体四百五十万キロぐらいの走行時点でありますから、やはり五百万キロないし五百五十万キロというところで最初の廃車が出てくるんじゃなかろうかと。
○説明員(加賀谷徳治君) ただいま御指摘の国鉄の要員構成は戦中、戦後の後遺症がそういう形で出ておりまして、ひとり浜松工場のみならず、全般的にいまおっしゃいました電気スタンド型ということで悩まされているということは言えると思います。
○青木薪次君 いま国鉄浜松工場、新幹線指定工場でありますが、これが十二両全般検査の当時、千八百五十人で現場関係をやっておったのです。ところが十六両化されて以降、順次要員が減ってきて、今日千四百七十人になっているわけです。
次いで、日本国有鉄道浜松工場におもむき、新幹線車両の整備状況について調査いたしました。当工場は、昭和三十七年新幹線車両修理工場に指定され、同四十五年新幹線総局の地方機関に組織がえになり、現在は主として新幹線車両の修繕及び改造を行なっているものであります。
○説明員(内田隆滋君) 申し落としましたけれども、浜松工場に参ります工場線はどうしても要りますので、その赤線の部分と両方でございます。
こうした金額が浜松工場で五百七十三万九千円、それから小倉工場で五百万千円、それから名古屋工場で二百四十四万四千円、おそらく全国ではこのほうだけでも四千五百万円にのぼると聞いている。時間がありませんからこれを一々だめ押ししませんけれども、もう一つは、この部品は何回も直しては使い、直しては使ってきたんだが、これ以上修理はできない、廃棄しようというふうに落とすものもあるわけです。
それから、ただいまのシート工場は浜松にもこれをつくる必要があるということで、現在の浜松工場の敷地内に年間三千トンの規模でありますシート工場をつくる。これが四十六年五月に操業開始を予定いたしております。
ところが、通産省のほうでは、御承知のように、先ほども申し上げましたけれども、日本ガス化学浜松工場あるいは農薬というようなものも、昭和電工と同じようにその原因の一つに数えられて、複数的な原因であるからこれを断定するわけにはいかないというような話があったわけであります。