2003-07-11 第156回国会 参議院 予算委員会 第19号
浜口首相が凶弾に倒れて若槻内閣になりましたけれども、浜口、若槻内閣の逓信大臣として祖父が閣僚として活躍しておりましたから、私もその時代の歴史に非常に関心を持って、城山三郎氏の「男子の本懐」とかいろんな歴史書を読んでおります。
浜口首相が凶弾に倒れて若槻内閣になりましたけれども、浜口、若槻内閣の逓信大臣として祖父が閣僚として活躍しておりましたから、私もその時代の歴史に非常に関心を持って、城山三郎氏の「男子の本懐」とかいろんな歴史書を読んでおります。
この浜口内閣のころですけれども、一九三〇年に総選挙を行いまして、浜口首相が率いる民政党が圧勝して議席を伸ばした。いわばこのときの世論というのは井上財政の構造改革路線というのを支持していたのではないかというような評価があるわけですけれども、しかし、井上財政の構造改革路線は失敗に終わったそうであります。
その浜口首相は、軍拡論者の意を受けた右翼の凶弾に命を奪われましたが、しかし、その勇気、決断力こそが今日高く評価をされているのです。
だからこそ、軍縮条約の批准直後、右翼の凶弾が浜口首相を襲ったのであります。 政府・自民党は、この悲劇の歴史に一体何を学んだのでありましょうか。中曽根内閣の行革、緊縮財政の目的は、防衛費の突出と軍拡、労働基本権のじゅうりんと福祉の切り捨てそのものであり、日本国民を再び暗い谷間の底へと転落させるものであります。今回の租税特別措置法の改正は、徹頭徹尾こうした目的に奉仕しているのであります。
その結果日本がどうなってきたかということを見てみますと、右翼は山本宣治や美濃部達吉氏などだけでなしに、安田善次郎あるいは団琢磨などの財界人に対しても襲撃を加える、あるいは浜口首相を初めといたしましておびただしい数の閣僚、政治家、元老を襲って、さらに軍部内の右翼と呼応して数多くのクーデター事件を起こしております。
しかし現に公安調査庁のほうでは五つの右翼の団体を危険な団体として指定されており、それぞれ調査をされておるようですが、これもまた一部新聞の報道でありますが、全国愛国者団体という全国に約四十八の団体を網羅する、街頭に激しい行動をする団体、最近何か危険団体として指定されたようなうわさも聞いておりますが、先ほど五つの危険な団体をあげられましたが、全国に四十八も団体を持つというような、しかもかつては浜口首相を
また浜口首相を暗殺した佐郷屋に対しまして、確定した死刑判決があるにかかわらず、数次の恩赦によって現在釈放されている。しかも現在におきましては、恐喝、それから暴力行為等処罰法違反などを繰り返しておるというふうな事実は起こらなかったであろうと思っているわけであります。
それに反して、たとえば浜口首相暗殺事件の佐郷屋留雄に対しては、これは死刑が確定いたしましたが、数次にわたる恩赦でもって、結局比較的短期に釈放になったのでありまして、これなどはむしろ裁判よりは恩赦の運用について問題があるように思うのであります。その程度でごかんべん願いたいと思います。
浜口首相の暗殺から始まって敗戦に終わったテロと軍国主義の時代を振り返って見ますときに、やがては自民党の諸君の上にもその害の及ぶことを覚悟されねばならぬと思うのであります。
いまさらかつての浜口首相の例をあげるまでもないが、浜口総理大臣は、倒れてもなお国会に登院して、一国の総理大臣になるものの責任がいかにあるべきかを知らしめたのでありまするが、この吉田さんの態度と考え合せまするならば、同じ土佐の生れでも、浜口さんと吉田さんとでは、純土佐犬と雑種ほどの違いがあると言わざるを得ないのであります。
この危局に面し私たちの追憶に浮んで来るのは、東京駅頭でピストルを射込まれた浜口首相のことであります。浜口首相は、体内に幾つかの弾丸を留めたまま、命旦夕に迫りながらも、国会の権威を保つために、又総理大臣としての重責を果すために、最後まで国会の予算討議に臨んだのであります。浜口雄幸氏と吉田氏とは、共に土佐の生んだ宰相でありますが、その責任感に至つては雲泥の差があるのでございます。
過去の例を見ましても、浜口内閣の際でございますが、浜口首相は佐郷屋某に阻撃をされまして、腹部に重傷を負つた。そうして入院をされ、長い開議会に顔を出さなかつたのであります。議会におきまして、これが問題になつた。
現在のいろいろな情勢が、右翼の非常に跋扈する時代が来ることを思わせるのじやないかというようなことをときどき聞くのでありますが、右翼のテロが起つた時期、これは大体において昭和五年の十一月に浜口首相が刺されてから、毎年右翼のテロが続いているのであります。
耐乏生活にしましても、かつて浜口首相が緊縮政策を断行したときの様子は、吉田首相自身もお聞き及びのことと存じます。国民に対して耐乏生活を説く以上は、総理みずから率先垂範なさらなければなりません。自分がこたつにあたつていて国民に号令したのでは、国民は納得しようがないではありませんか。(拍手) 私は吉田老首相の愛国心を疑うものではありません。
○木村(公)委員 ぼくは皆さんにお願いするのだが、かつて浜口首相が病氣のとき、政友会の者が藥びんをお茶をのむと言うて騒いだものです。それから間もなく浜口氏は忽焉として逝つたことがある。その当時傍聽人もいかにも残酷だと思つた。そのとき浜口さんが藥をお茶と間違えられるようなものをのんだかどうかは別として、吉田氏もすでに七十一才で、きようはまつ赤な顏をして今村君に送られて帰つた。