1954-05-21 第19回国会 衆議院 本会議 第53号
いまさらかつての浜口首相の例をあげるまでもないが、浜口総理大臣は、倒れてもなお国会に登院して、一国の総理大臣になるものの責任がいかにあるべきかを知らしめたのでありまするが、この吉田さんの態度と考え合せまするならば、同じ土佐の生れでも、浜口さんと吉田さんとでは、純土佐犬と雑種ほどの違いがあると言わざるを得ないのであります。
いまさらかつての浜口首相の例をあげるまでもないが、浜口総理大臣は、倒れてもなお国会に登院して、一国の総理大臣になるものの責任がいかにあるべきかを知らしめたのでありまするが、この吉田さんの態度と考え合せまするならば、同じ土佐の生れでも、浜口さんと吉田さんとでは、純土佐犬と雑種ほどの違いがあると言わざるを得ないのであります。
労働政務次官 安井 謙君 労働基準監督官 (労働基準局 長) 亀井 光君 委員外の出席者 労働事務官 (労政局労働法 規課長) 石黒 拓爾君 労働事務官 (職業安定局失 業対策課長) 村上 茂利君 専 門 員 浜口金一郎君
原敬が死なれましたときも、これが実に逆臣のごとき感じをもつて迎えられたのでありまして、また浜口雄幸氏のときもそうであるのであります。私はこういうことは直接行動でなくして、国会というものがありますがゆえに、ここで大いに闘つていただきたいと思います。
こういう事態、又当年の浜口憲政会総裁の内閣のときに、いわゆる兇弾に襲われ、そうして未だ病躯癒えざるに、なお且つ登院して、遂にそれが原因となつて逝去せられた。これくらい当年の総理大臣というものは……。然るに今日首相は神経痛といつておりますが、あの程度の神経痛ならば、日本全国、国民の多数の中には、療養するどころではない。
出席政府委員 大蔵事務官 (理財局長) 阪田 泰二君 厚生事務官 (保険局長) 久下 勝次君 委員外の出席者 厚生委員会専門 員 川井 章知君 厚生委員会専門 員 引地亮太郎君 労働委員会専門 員 浜口金一郎君
日本国有鉄道参 与 (職員局長) 井上 正忠君 日本国有鉄道参 事 (職員局労働課 長) 中畑 三郎君 日本国有鉄道理 事 (厚生局長) 吾孫子 豊君 参 考 人 矢上 正直君 専 門 員 浜口金一郎君
亀井 光君 委員外の出席者 外務省参事官 関 守三郎君 参 考 人 (日平産業労働 組合横浜支部副 委員長) 大吉 光君 参 考 人 (日平産業労働 組合横浜支部書 記長) 高橋 兵二君 専 門 員 浜口金一郎君
この危局に面し私たちの追憶に浮んで来るのは、東京駅頭でピストルを射込まれた浜口首相のことであります。浜口首相は、体内に幾つかの弾丸を留めたまま、命旦夕に迫りながらも、国会の権威を保つために、又総理大臣としての重責を果すために、最後まで国会の予算討議に臨んだのであります。浜口雄幸氏と吉田氏とは、共に土佐の生んだ宰相でありますが、その責任感に至つては雲泥の差があるのでございます。
与 (厚生局長) 吾孫子 豊君 日本国有鉄道参 与 (建設部長) 大石 重成君 参 考 人 岩井 章君 参 考 人 歌崎 藤作君 参 考 人 (関東特需労協 事務局長) 細貝 義雄君 専 門 員 浜口金一郎君
日本紡績協会の委員長の阿部さん、日本貿易会の会長の稲垣さん、神戸銀行の頭取の岡崎さん、第一銀行頭取の酒井さん、富士銀行頭取の迫さん、今は三井銀行でありますが、その当時帝国銀行でありました、そこの社長でありました佐藤さん、東海銀行の頭取の鈴木さん、大和銀行頭取の寺尾さん、東京銀行頭取の浜口さん、北海道拓殖銀行頭取の広瀬さん、日本勧業銀行の頭取の堀さん、住友銀行頭取の堀田さん、三和銀行頭取の渡辺さん、以上
更に第四番目には浜口雄幸氏の際に、同じく幣原喜重郎氏が代理をされています。第五番目に犬養毅氏が五・一五事件の遭難の際に高橋是清氏がこれに当つています。更に岡田啓介氏が二・二六事件の際に後藤文夫氏、参議院に出ておられます後藤文夫氏が臨時の首相代理をなされて、六回あるわけであります。これは臨時に命を受けて首相代理をやるわけでありまして、国会の承認を必要といたしていません。
過去の例を見ましても、浜口内閣の際でございますが、浜口首相は佐郷屋某に阻撃をされまして、腹部に重傷を負つた。そうして入院をされ、長い開議会に顔を出さなかつたのであります。議会におきまして、これが問題になつた。
参考人といたしましては、兵庫農科大学教授浜口栄次郎君及び日本製糖工業会技術部長山根武雄君、以上二名に決定いたしました。 —————————————
小林 行雄君 文部事務官 (管理局長) 近藤 直人君 労働事務官 (労政局長) 中西 実君 委員外の出席者 文部委員会専門 員 石井つとむ君 文部委員会専門 員 横田重左衛門君 労働委員会専門 員 浜口金一郎君
豊君 日本国有鉄道参 与 (広島鉄道管理 局長) 磯崎 叡君 参 考 人 歌崎 藤作君 参 考 人 高田 正雄君 参 考 人 本間 大英君 参 考 人 横手 真夫君 参 考 人 横山 利秋君 専 門 員 浜口金一郎君
全印刷労働組 合給与対策部 長) 杉山 秀雄君 参 考 人 (全林野労働組 合中央執行委員 長) 妹尾 敏雄君 参 考 人 (アルコール専 売労働組合書記 長) 青木金治郎君 専 門 員 浜口金一郎君
長) 百田 正弘君 労働事務官 (労政局労政課 長) 有馬 元治君 日本専売公社副 総裁 勝田雄次郎君 日本専売公社理 事 (塩脳部長) 三井 武夫君 参 考 人 牛島 寿子君 専 門 員 浜口金一郎君
これもまことにけつこうなことでございますが、このような事態において、はたしてこの緊縮政策——きわめて重大な、かつて浜口内閣なんかにもその先例のあるこの重大な政策が行わるるとお考えでございますか。また総理は議会が済むと外遊なさるということでございます。
あの昭和の初めの田中内閣あるいは浜口内閣、犬養内閣の当時におきまして汚職が続発しておる。そうして例の昭和の疑獄、勲章を売るような者が出て来たり、あるいは例の五私鉄事件といつて五つの私鉄の買収あるいは設置について、時の鉄道大臣小川平吉、これは自由党の前身の政友会の人であります。それから小橋一太という文部大臣、これは政友本党の人であります。
こういうデフレ政策をやればというので、よく例えば松方公がやつた明治十三年から八年間のデフレ政策が問題になつたり、或いは昭和四年から六年の浜口内閣、井上蔵相の手によつて行われたデフレ政策等が引合いに出されるようでありますが、これはまるきり事情が違つている。あのときは為替が相当下つているやつを人為的に上げようとしたのであります。その上に浜口内閣のときには世界恐慌が起つているのであります。