2014-06-11 第186回国会 衆議院 法務委員会 第23号
国内においても、歴史的に見ても、先ほど奥野副大臣もおっしゃっていましたが、三菱重工事件を初めとして、赤軍の事件もそうですし、浅間山荘事件もそうですし、さらには中核派の件もそうですし、いろいろ、テロまたはテロに近しい行為というのは多々あるんだろうというふうに思います。そうであるからこそ、きちんと国際的に連携をしてやっていくことというのは非常に重要だというふうに思っております。
国内においても、歴史的に見ても、先ほど奥野副大臣もおっしゃっていましたが、三菱重工事件を初めとして、赤軍の事件もそうですし、浅間山荘事件もそうですし、さらには中核派の件もそうですし、いろいろ、テロまたはテロに近しい行為というのは多々あるんだろうというふうに思います。そうであるからこそ、きちんと国際的に連携をしてやっていくことというのは非常に重要だというふうに思っております。
○泉国務大臣 確かに社会的な背景が変わってきておりまして、浅間山荘事件の時代と今日とでは、私ども警察官に対する国民の思いも変わってきておると思います。 ただ、今、これまで守ってきたルールを変更するということは実は議論をしていないと私は思っておりますが、国家公安委員会の議論の場で、先日けん銃をある少年に向けたことについての議論がございました。
○吉良委員 私が最初に今質問させていただいた趣旨は、私が中学校三年のときだったと思いますけれども、浅間山荘事件が起こりました。あのとき、それこそ中三ながら、あらゆる新聞、あらゆる週刊誌、ありとあらゆるものを私自身読んだ記憶があるんです。
私は、それこそ浅間山荘事件のときも含めて、やはり相手が銃を明らかに持って、しかも悪意を持って、国家に対して、社会に対して刃向かう意思を持っていることがわかりながら、それに向かっていく、また、ましてやそれで命を落とされる、そして障害を受けられるという方々に対して、それをある意味でたたえ、そして国民みんなでその残された家族等を守っていくというのは当然のことなんだというふうに思っているんですね。
また、ドラマにもなりました、先ほどもありましたが、板橋区の東武東上線の踏切で女性を救助してみずからが犠牲になられた宮本邦彦警部、こういう殉職警官がおられるわけなんですが、特に、SAT隊員の林警部等、古くは浅間山荘事件で犠牲になられた、殉職をされた警官に対して、警察として相応の厚い救済といいますか処遇をされているんだと思いますけれども、勇敢に犯人に向かっていって殉職をされた警官、それから不意をつかれて
例えば警察でいえば、左翼対策とか、いわゆる浅間山荘事件のときとか、私はまだ小さいころだから余り記憶がないですけれども、ひょっとしたらあのときは、お金の執行については一々稟議に回している暇はない、だからお金をばんばん出すためには、今必要だから出すためには、ある種方便として、にせ領収書みたいなものを書いて裏金にしておいて、それでどんどん使えということがあったのかもしれない。
私ごとでありますけれども、かつて自治省に在職していた昭和四十六、七年ごろ、浅間山荘事件が発生をいたしました。地方公務員の公務災害補償制度の企画立案を担当しておりましたので、この浅間山荘事件を契機に、危険な業務に従事される警察官等に対する特殊公務災害補償制度の創設に私は関与をいたしました。
そして、先ほども言いましたオイコラ警察の警職法改正の時代から、まあ戦前の公安警察的な要素というものから現代に至る民主的な警察、そして七〇年安保という一つの大きな流れを経て、浅間山荘事件というような形の中から、どちらかというと、機動隊ができて、そして幾分国家警察的な要素というものが民主的な警察の流れの中に、そういう社会的な要件の中から変えていかなきゃならないという要件も先ほどのお話の中にもあったようですけれども
ですから、予算執行に関しましても、予算化してきちんと国民に納得いくようにすれば裏金などということだって出てくる必要はなくなるわけですから、その場合に、さっきお話がございましたように、例えば浅間山荘事件とかああいうことがあったときに、では何もしないで終わりかといえば、やはり御苦労さんくらい三千円の費用ですることが、労をねぎらうということにもつながると思いますので、私は、その辺は他と違って大事にしていかなきゃならない
そしてまた、昔起こった社会現象のように、浅間山荘事件のように、いろいろな学生たちが、いろいろな思いから真剣になって闘う中で人をあやめていってしまった事件があった。それがいいとは私は言いません。しかし、今の子供たちは、ホームレスの人がいたから、つばをかけて、殺してしまった。
例えば、日本に関係するペルー日本大使公邸占拠事件あるいは浅間山荘事件等が代表例と言えましょうが、ここでは、テロが勃発しても、テログループの同僚を釈放しろとかお金を与えろとかという交渉の段階があります。また、時によって特殊部隊を派遣することも考えられました。したがって、テロに関する危機管理はテロ発生後が中心とも言える状況でした。 しかしながら、米国同時多発テロは従来のものと明確に異なりました。
そのほか、昭和四十七年の二月に例の浅間山荘事件がありまして、このときには相手が猟銃でしょうか、非常に銃撃をいたしまして、家をぶち壊すおもりをどんどん家にぶつけて壊して、催涙ガスでいぶり出して逮捕したと。このときは警察が銃を使ったかどうかつまびらかでないんですけれども、そういう例しかないわけですね。
私が警察を指揮した東大安田講堂事件、連合赤軍浅間山荘事件、よど号ハイジャック事件などで、機動隊員たちは、敵に囲まれながらなぜ、あそこまで戦えたのだろうかと考えることがある。彼らは、民主主義のために安田講堂に突入したのだろうか。自由と平和のために浅間山荘を取り囲んだのだろうか。 けっしてそうではなかったと断言できる。彼らは、自分の同僚の機動隊員がやられそうになっていたから助けに行ったのだ。
なぜならば、他方において、オウム事件ですとか、それからかつての浅間山荘事件のような、そういう広域的な犯罪に対しては都道府県警察それぞれでは対処し得ないという問題があって、広域捜査が必要だ、各都道府県警の協力が必要だと言われていました。他方においては、道路の占用許可をするにも警察署に聞かなければいけない。
しかし、警察というのはあくまでも治安警察的に、犯人を制圧して検挙し、裁判を受けさせて罪をあかなわせるという通常の発想でやっておりますから、浅間山荘事件、あのときも五人の犯人は結局全員検挙した。ただ、今度のペルー事件のときにその発想でいったら恐らく人質も相当な犠牲が出、こちらの突入部隊にも相当な犠牲が出ていることがあり得る。
そうすると、やはりなれているということもありまして、浅間山荘事件のときなんかもそうでありましたが、いつも警視庁の警察官が動員をされて捜査、警備に当たるという事犯が全国組織犯罪では非常に高まってくるのではないか、そう想像されるわけですね。 そういう意味では、逆に言えば、都民の税金が全国の犯罪組織に使われる。
有名な事件で、連合赤軍事件、これの坂東国男さんという実際に浅間山荘事件を起こした、有罪判決の、本当に凶悪犯でありますけれども、そのお父さんは一九七二年四月二十九日に世間を騒がせたことを死んでおわびするという遺書を残して首つり自殺をしておるのですね。やはりそんなことを考えたときに、お父さんには責任はないわけでありますから、いわば報道のあり方、凶悪犯人である、父であるということは真実なんです。
これは岐阜県下の各市町村の許可業者となったりあるいは市町村と委託契約をしてし尿の収集、ごみの収集、運搬を行っている業者で構成されている岐環協という団体がございますが、ここの顧問というのは浅間山荘事件の残党の京浜安保共闘のメンバーということで、県議会等でもそのことは紹介されているわけでありますが、この団体が昨年十二月五日から業務放棄を行って、お正月を前にしてくみ取りに来ないわけです。
ちなみに、今日までのテレビの視聴率の最高は何であったかというと、もうあれは二十年もなりましょうか、あるいはそれ以上かもしれませんが、浅間山荘事件が今日までのテレビの視聴率の最高と言われております。私もあれを拝見しまして、同じ国民同士が実弾でもって撃ち合うということは、これは事のいかんを問わず容易なことではない、極めて重大なことであった。
今先生から御指摘ありました、かつて警察の幹部が情報をとっているじゃないかとおっしゃいましたけれども、これは浅間山荘事件に関連しまして四十七年の三月二日、衆議院の地方行政委員会で先生の御質問に答えて富田警備局長がお答えしたことだと思いますけれども、この点については先日から共産党の機関紙の赤旗にも出ておりましたが、あの際の富田警備局長が最終的に情報をとっているんだなということに対して「御理解いただいてけっこうです
違法を取り締まるのが警察の責務でございますから、極左につきましても、多くは申し上げませんが、浅間山荘事件で警察幹部二人がとうとい殉職をいたしております。そのほか成田問題では火炎瓶で焼き殺されたとうとい殉職の警察官も出ているわけでして、極左の違法取り締まりの場でただいままでに十一人の殉職を出しております。
そして、例えば警察の慰霊祭というのが毎年あると思いますが、かつて浅間山荘事件などがありまして、向こうは実弾で来る、警察官は、人命尊重から素手で行かなくちゃいけないというようなことで、やられる。そうして殉職をするわけですが、そういう慰霊祭の現場などでは、若い奥さんが乳飲み子であるとかあるいは小さな子供の手を引いて参列をしておる。