1999-03-08 第145回国会 参議院 予算委員会 第11号
我が国周辺においては戦前の浅間丸事件というのが有名な事件として記録されているわけです。そのときは、浅間丸に乗船していた敵性外国人ドイツ人をイギリスの巡洋艦、重巡に臨検によって拘束されたという事案ですけれども、これは一般的に、私の解するところ、国の交戦権の一つの権利であるというふうに理解されているんですが、その辺を含めて、「国の交戦権は、これを認めない。」
我が国周辺においては戦前の浅間丸事件というのが有名な事件として記録されているわけです。そのときは、浅間丸に乗船していた敵性外国人ドイツ人をイギリスの巡洋艦、重巡に臨検によって拘束されたという事案ですけれども、これは一般的に、私の解するところ、国の交戦権の一つの権利であるというふうに理解されているんですが、その辺を含めて、「国の交戦権は、これを認めない。」
私の記憶では、戦前に太平洋航路の浅間丸というのが走っていて、アメリカから帰ってくる途中、もう一日で日本の領海に入るという際にイギリスの巡洋艦か何かが出てきて、そして船をとめてドイツ人を連れ去ったといった事件があったように記憶しているわけです。
また、有名な浅間丸とか龍田丸とか申しましても、せいぜい総トン数一万七千トン程度だったわけです。ところが、戦後になりまして、総トン数一万トン以下の普通の貨物船が建造されないばかりでなく、タンカーとか鉱石専用船は、ついこの間まで二万トン、三万トンといっておりまして、川崎における築港許画は十二メーターの水深で二百二十五メーターの船長、約五万トンの船を標準にして完成したのでございます。
○新谷寅三郎君 もっと端的にいいますと、昔は、たとえば太平洋航路の浅間丸とか、龍田丸とか、大きな客船は、これは官設無線だったのです。一般の貨物船は、これは私設無線だったのです。 それが今あなたの言っている託送発受所ですか——これはなぜそういうことを聞くかというと、そういうふうにいつの間にか制度が変わったのです。
まだイギリスがドイツと交戦をやっておったとき、浅間丸だったと思っておりますが、日本から出航いたしました。当時日本におったドイツ人が十六、七名同乗して領海外へ出た。そうしたところが、三海里外ですからイギリスの軍艦がこれを拿捕しました。
そういうようなものが、日本の昔の浅間丸等が戦争の始まる前にあつたような状態で、日本の海運界というものは非常に信用があり、親切であるというので観光客に非常に用いられたということで、できれば外貨収入に非常にいいのではないか、船をこしらえるのは日本の金、日本の材料、入つて来るのは外貨収入、外貨支払いの減少ということだから、できればやりたいという声は省内にもありまして、今日も私どもの省内の会議で問題になつておつたのでありますが
日本でプレシデント・ラインならプレシデント・ライツで大部分のアメリカのお客さんとか外国人が、プレシデント・ラインで行くならば別ですが、プレシデント・ラインがおつて、移民船などが日本でできて、そうして日本の船に昔のように浅間丸や、氷川丸は小さいが、龍田丸とか、或る程度の昔の貨客船がペイするような時代を希望しますよ、そういうことの到来することは。