1995-02-08 第132回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号
それでは続きまして、浅沼先生にお伺いをしたいと存じますが、先生の御経歴を拝しますと、長く警察にお勤めになっていらっしゃって、警察庁長官も先生お務めでいらっしゃいます。
それでは続きまして、浅沼先生にお伺いをしたいと存じますが、先生の御経歴を拝しますと、長く警察にお勤めになっていらっしゃって、警察庁長官も先生お務めでいらっしゃいます。
浅沼先生は、死の二日前に足利市まで支援においで下さいました。そうした思い出を脳裏に浮べながら二十五年在職の重みをかみしめております。 この二十五年間に、歴代総理との論戦を通じ幾多の法律の制定や修正を実現させたこと、大臣や局長との質疑を通じて、国家国民のためにと提案した事柄がいくつも実現したことを振り返り、政治家になってよかったと思っております。
また、日比谷公会堂におきましての不幸な事件もございましたし、また、浅沼先生の政治活動はたしか「驀進」という写真集につくられた、かようなことも承知をいたしておりまして、浅沼先生につきましては、私どもも多感な時代でございましたが、よく承知をいたしております。
国会がこういう終盤段階でありましたために、ここしばらく与野党の訪中使節というものがとだえてはおりますが、日中議連を中心として活発な動きのあることも戸叶委員が御承知のとおりであり、また、戸叶委員御自身が浅沼先生の折の肖向前さんとのお話し合いなども御披露があったわけで、私は、それらのことをすべて総合して日本の進路に過ちなきを期しておるわけでございまして、今回の問題も早晩結論を得る、そういう段階を迎えつつあると
共産主義の国であっても、日中関係もかつての周恩来首相あるいは日本の社会党の委員長であられた浅沼先生の共同声明が行われた時点と今日とでは、きわめて想像もつかないような友好関係ができております。私は、日ソ間においても決して固定されたものではないと、双方、われわれの努力がソ連に通じる日には、必ず平和のうちに北方領土が返るという信念を持って今後とも取り組んでまいりたいと考えております。
○説明員(村上茂利君) 前の通常国会におきまして、浅沼先生から江東総訓の問題につきまして質問がございました。江東総合訓練所は東京総合職業訓練所の分所という形で江東地区にあるわけでございますが、運営は雇用促進事業団で行なっているわけでございます。雇用促進事業団で設置、運営しております総合職業訓練所は、いわばかなり大規模な近代的なものが多うございまして、工業的な職種のものが大部分でございます。