1954-05-11 第19回国会 参議院 大蔵委員会 第42号
その当時換算率を作りました鮮銀券、儲備券、満洲中央銀行券、それから連銀券、そういうものにつきましてはその公館借入金の時のレートをとつたのでございます。
その当時換算率を作りました鮮銀券、儲備券、満洲中央銀行券、それから連銀券、そういうものにつきましてはその公館借入金の時のレートをとつたのでございます。
ですから南部地区における借入れは大体昭和二十年の秋に行われておるわけでありますが、その当時の状況を思い起しますと、満洲中央銀行券の価値が非常に高かつた。ほとんど日本の円とかわりないと私は記憶します。この時代に、自分の生活を切り詰めても同胞のために、公館に金を供出してくれた人たちの好意を考えますと、今の計算の方式ではどうも納得できないのであります。
それから現在問題になつております点といたしましては、一番これは総論的な問題になりますが、先ほど申上げましたように、終戰と同時に二つの、或いは各地域と日本とは切離されて、従つて現地で流通しております通貨と日本の通貨とは地域的に経済的に全然別個のものであるという理論的な根拠に立ちまして、例えば朝鮮にあります日本銀行舞も、それから朝鮮銀行券も、満洲中央銀行券も、儲備券も、連銀舞も、すべて他地域における通貨