2021-02-25 第204回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
また、御存じのように、緒方洪庵が開いた適塾はこの地にあり、福沢諭吉を始め多くの人材を輩出、そして、先ほども申し上げましたように、先物市場の先駆けと言われている米取引が始まったのもこの地域です。こういった歴史的背景もあって、国際金融都市構想の中心である中之島、堂島という地域は非常にポテンシャルの高い地域であると大いに発展が期待されております。
また、御存じのように、緒方洪庵が開いた適塾はこの地にあり、福沢諭吉を始め多くの人材を輩出、そして、先ほども申し上げましたように、先物市場の先駆けと言われている米取引が始まったのもこの地域です。こういった歴史的背景もあって、国際金融都市構想の中心である中之島、堂島という地域は非常にポテンシャルの高い地域であると大いに発展が期待されております。
本学の原点は、かの緒方洪庵が一八三八年に大阪の船場に設立した適塾であり、適塾は、福沢諭吉など多くの俊英を輩出し、近代日本の形成に大きく貢献いたしました。
先ほど申し上げた洪庵の何とかとか、あと「二十一世紀に生きる君たちへ」、これは書きおろしなんですよ、それぞれ。これは司馬先生のものですけれども、小説のように生き生きとしていませんし、ちょっと違うという感じがあります。
私、ちょっと事前に調べましたら、司馬遼太郎の作品が使われている教科書は、小中学校で見ると、小学校の国語で二点、「小学国語 5」「小学国語 6」、大阪書籍さんが出しているもので、それぞれ、前者は緒方洪庵の話「洪庵のたいまつ」、それから「二十一世紀に生きる君たちへ」というのがあります。藤沢周平さんに関しては、以前「蝉しぐれ」が、抄が少し載っていたというのがあります。
古来日本の学ぶということの中には、九州に広瀬淡窓あり、行って学ぼうではないか、大阪に緒方洪庵あり、行って学ぼうではないか、会って話を聞こうではないか、そういうことが我々の青少年の学習の伝統でありますが、ここは大学であって、そして彼らが李登輝さんに話を聞きたいという。
私は、こうした江戸時代の教育機関の中でも、特に江戸末期の医者である緒方洪庵が大阪で開いた適塾という私塾の教育の精神に深く感銘を受けておるわけでありまして、小学校の教科書にも掲載されておる司馬遼太郎氏の「洪庵のたいまつ」という文章にありますように、適塾では入学試験などはなく、学問を修めることを望む者ならすべて身分の別なく平等に受け入れた。
○西川きよし君 大臣は国民の健康と安全を守ることは厚生行政の原点であるというふうにおっしゃっておられますし、今回、私も質問に当たりまして健康について勉強させていただきましたけれども、健康の語、この言葉は幕末の一八四九年に適塾の創始者であります緒方洪庵が初めて用いたそうです。
これは大臣と局長にちょっと渡しておきますけれども、これは、緒方洪庵の書いた扶氏警戒之略といいまして、これはフーフェラントという蘭学者が医者の戒めのことを書いたのを彼が箇条書きにしたものでして、それは医者としての一つの倫理を書いたものでございますが、そういうふうなものがやはり私はお医者さんの場合にも欠けてきておる、これはいろいろ原因があると思うのです。
あるいは一万円のデザインになっております福沢諭吉等も緒方洪庵の塾にいて勉強した人であります。そういった方々な一回ひとつシリーズでやってみたらどうだろうか。
最後に、私が政治信条ともしてまいりました緒方洪庵先生の医師に対する戒めの言葉を引用し、ごあいさつを締めくくらせていただきます。 一、医の世に生活するは人のためのみおのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。 一、病者に対しては唯病者を視るべし、貴賎貧富を顧みることなかれ。 御清聴ありがとうございました。
例えば、適塾を開いた緒方洪庵であるとか、あるいは間宮林蔵であるとか近松門左衛門であるとか、たくさんの方々が歴史を切り開いてきているわけです。そういう方々をぜひ切手にして顕彰していくベきじゃないかということをこの分科会でもしばしば指摘をしているわけですけれども、いやそれは結構な提案だが、ぜひひとつ検討させていただきたいということで実は終わっている。ディズニーも切手になっております。
私、率直に思いまして、緒方洪庵さんの件、これは一読して大変結構なことでありますけれども、ただその中に、世のために尽くした人の一生ほど美しいものはないという書き出しでありまして、その中にお医者さんの心がけの一部に、ただただ自分を捨てよ、そして人を救うことだけを考えよ、こういう言葉があるわけであります。
しかし、教育というのは必ずしもそうじゃないので、病気になったときに初めて、ああこんなことをしていたら病気になるんだなということを勉強するとか、病気になって熱を出して寝ているときにお母さんが温かいおかゆをつくってくれて、そんな思い出がずっと生涯残るとか、そういうときにこの弱い人たちの気持ちが本当によくわかる子供になるとか——先ほどの「小学国語」五年生の司馬遼太郎さんの「洪庵のたいまつ」でこんなところがあるのですね
二つありまして、五年生の一番最後「洪庵のたいまつ」、緒方洪庵の話、六年生の一番最後は、これから小学校を卒業する子供たちに対して「二十一世紀に生きる君たちへ」、こういう文章ですね。大臣、なかなか難しいでしょうけれども、ちょっと感想を伺えればと思います。
例えば、適塾を開いた緒方洪庵等もなぜ顕彰しないか。これは福沢諭吉、今度は札になりましたけれども、ここの適塾で学んだわけでしょう。あるいは「解体新書」を出した杉田玄白であるとか、探検家の間宮林蔵であるとか、あるいは雪舟や北斎、これは外国が出しているのですよ。
そうしますと、どうも今のシステムというのは、すべてが善人である、医師は倫理観に満ちて、緒方洪庵の「扶氏遺訓」にあるようなそういう医師である、また患者は患者でそういう人たちであるというような前提のもとで組み立てられたシステムであるように感じるわけでございます。
緒方洪庵先生の適塾というところに掛けてある、医者はおのずからの身を犠牲にしてもっぱら患者のためのことを考えて患者に対しては貴賤の別なくこれが十分仕えることをもって本義とすべし、という言葉がある。私は、これは医者だけではない、政治家としても、特に行政官としてはやはりこういった気持ちを持って当たっていくのが主旨ではないか、私はこういうふうに思って、大臣室にもこれを掛けているものでございます。
しかし、私のところへこうやって熱心な方々からこういう手紙なり資料なりを送ってきているのを見ますと、たとえば解体新書を出した杉田玄白だとかあるいは適塾を開いた緒方洪庵だとか華岡青洲だとかあるいは探検家の間宮林蔵だとか青木昆陽、さらには雪舟とか北斎とか、いろいろな国際的にも知られた人々がいるし、また肖像なり著書なり業績なりの残っている人もいるわけです。
御承知の通り、大阪大学における各学部施設の所在地は、いずれも分散している上に、新設の蛋白研究所や、老朽化し、かつ、不備な大学附属病院の視察や、学長、部局長とのきわめて活発な懇談会に予定以上の時間を費し、さらに、日程になかった神戸商船大学の新施設の視察と、大阪大学が管理に当っている文化財建造物である緒方洪庵塾を視察したため、当初予定していた依羅小学校の視察は、自動車往復二時間にわたる関係から割愛することを