2021-04-07 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号
この津田永忠の研究をしている小嶋光信さん、この人は、岡山の、どういう方なのかよく分からないんですけれども、その方が、治水というのは政治である、治水は文化である、自然との共生であるということを述べています。 私は、まさしくそのとおりだと思いますね。治水は、総合的な上下流の調整であったり、地域の調整であったり、業務の、農業との調整であったり、全てのものを含んでいるんですよね。
この津田永忠の研究をしている小嶋光信さん、この人は、岡山の、どういう方なのかよく分からないんですけれども、その方が、治水というのは政治である、治水は文化である、自然との共生であるということを述べています。 私は、まさしくそのとおりだと思いますね。治水は、総合的な上下流の調整であったり、地域の調整であったり、業務の、農業との調整であったり、全てのものを含んでいるんですよね。
あと、今日は、とても念願の井上局長と議論ができてよかったと思っていますけれども、最後に、津田永忠、この人の話をしますと、彼の前に熊沢蕃山という有名な儒学者が乗り込んできて、治水をやっているんですね。そのときに、この津田永忠を放じるんです、駆逐しちゃうんです。彼は岡山の藩校の校長に飛ばされるんです。
○荒井委員 このペーパーは、河川の技術者たちが作った「河川」という雑誌からの抜粋なんですけれども、津田永忠の話を特集しているんです。済みません、ないんです。本当は入れておけばよかったんですけれどもね。津田永忠の話を抜粋しているんですけれども、この津田永忠という方は、江戸時代の治水を成功させた方で、岡山市のそばを流れる百間川、これは放水路なんですけれども、百間川を造り上げた人です。
武田信玄、津田永忠、金原明善という三人です。これはいずれも、日本の雨の降り方やあるいは地理の関係、そういうものと関係して治水政策をずっと進めたんですね。 武田信玄がすごいのは、信玄堤という話がよく出てくるんですけれども、信玄堤をつくったことがすばらしいのではなくて、その堤をずっと守れる仕組みをつくったことなんです。
いわゆる池田藩以来ずっとこの瀬戸内海を埋め立てていわゆる畑、田んぼにすると、津田永忠だとか藤田伝三郎と有名な方々の干拓事業。ですから、これいわゆる埋立て、干拓のところが非常に多い岡山平野ですよ。だけれども液状化というのは、これは昭和二十七年でしたか、東海地震でも、私の今住んでいるところはずっとみんな倒れたんですよ。