1964-05-07 第46回国会 参議院 運輸委員会 第24号
洞爺丸事件以来、輸送確保ということについては、第一にやはり安全輸送確保を眼目にしてやって運航をしてきたんじゃないか、こういうふうに私は認識している一人なんです。
洞爺丸事件以来、輸送確保ということについては、第一にやはり安全輸送確保を眼目にしてやって運航をしてきたんじゃないか、こういうふうに私は認識している一人なんです。
今回の補償については、いわゆるホフマン方式がとられると先ほどから答弁されておりますが、これは洞爺丸事件の当時から採用されたものといわれております。この方式は、被害者の総月収から生活費、所租税などの諸費用を差し引き、年間の総収入を出し、それに平均余命数か、あるいは就労可能年数をかけ、中間利息を控除する方式であるといわれております。
○須藤五郎君 これは少し古い話になるので、皆さんもお答えがあるいは困難かとも思いますが、かつて函館で洞爺丸事件が起こった。あの当時の無線通信の状態がどうであったか。また、高松の沖で小学校の子供たちが百六十人転覆のために死んだ。あの船の名前は私は忘れましたが、紫雲丸というのですか、事件があった。あのときの通信状況はどうであったか。ちょっと説明していただきたい。
洞爺丸事件と違って、これはいわゆる天災というよりも人災であって、これはそういう事件が起らないようにしようと思えばできるような事件だ、こういうふうな指摘が多くされておると思うのですが、目下この原因を取り調べ中であるということですが、取り調べする前に、やがて港則法の一部改正案を、目下運輸省のほうとしては検討中で、出す予定になっておるわけですが、あの現在予定されている港則法ではこういう問題の解決にはならぬというふうなことも
また北海道と本州とを結ぶ青函連絡船などの場合におきましても、かつて昭和二十九年の洞爺丸事件を想起するまでもなく、きわめてそういう災害に見舞われる、いつでも危険に露呈されておる部面であると思うのです。この本州とそれから北海道とを結ぶ青函連絡船輸送の増強問題を今取り上げられておられるようですが、それはどういうようになっておりますか、承りたいと思います。
洞爺丸事件では長崎総裁が責任を負うてやめている。今度の場合でも東鉄局長が責任を負ってやめている。つまり責任を負ってやめたということは、やはり国鉄に責任があるということを意味している。それを、総裁が、国鉄に責任はないのだ、事件は不可抗力である——こういうことを許しておいていいのかどうか。日本国有鉄道法に規定するところの、すなわち二十二条の二に、役員の罷免という規定があります。
もう一つは、これはかつてのいまわしい事件として、われわれは国民的に悲しい事件だったと思うが、洞爺丸事件であるとかあるいは瀬戸内海の連絡船の沈没であるとか、ああいうことをわれわれは繰り返したくないと思うのでありますが、そういうのに対する厳重な注意と、それから、あれから船が新造されても、もう古くなってきているんじゃないか。
○説明員(肥沼寛一君) 函館の洞爺丸事件のときも、紫雲丸事件のときも、たまたま警報の出たときに相撲を見ていたという話は私どもも聞いております。で、そういうことから、気象庁自体が部外に発表する通信系を持てという議論も出たことはございました。
○鈴木強君 原因は探求されているようでございますが、私一つ指摘したいのは、ちょうど当日勤務をしておった管制官が見習管制官だということが新聞紙上で伝えられているわけですが、そのことに間違いがないとするならば、非常に人命を尊重し、その方面については洞爺丸事件やまた宇高線の事故等にかんがみて、何回か国鉄当局の注意を喚起しているところでありまして、慎重の上にも慎重な態度でやっておられると思うわけでありますが
一朝台風十四号なり十五号のようなことがあったら、洞爺丸事件のようなことがあったりしたらどうするか。これはいつくるかわからない。だから私はこの間この委員会で、函館山のレーダー網をつけてくれということを決議させてもらった。そのとき私は言ったように、国鉄は大惨害を受けておって、このレーダー網の設置について関心を持たないのか。
もう一つは、これは有名な洞爺丸事件ですが、このときには船が五そうやられて、たしか船員が三百四十人か三百五十人くらいは死んでおる。負傷者も出ておる。もちろん旅客も千二百名くらいはやられておるはずです。そういうものについても調査をやってもらいたい。 それからごく最近、それに似たもので、ことしの九月十八日の十四号台風で摩周丸、十和田丸が非常な難航をして十八時間も海を漂流しておる格好が出ておる。
ことに昭和二十九年九月二十六日に洞爺丸事件を起こして千数百名の犠牲者を出しておる。そして連絡船は五そう沈没しておる。私はその際レーダー設置の問題について決議をして言っておいたにもかかわらず、その熱がさめるとすぐにそれがないがしろにされて今日に及んでおる。
洞爺丸事件であんなことが起きたじゃないか。これに一臂の力もかしていないように見えるのは残念である。そういう意味で、十分に一つことしは獲得されるようにお願いする次第であります。
先年の洞爺丸事件の際において、海難審判庁におきまして徹底的な追及が行なわれたことは御存じの通りでありまして、その結果は私どもつまびらかにいたしませんが、少なくともあれだけの大事に対しては海難審判庁の機構を通じて究明が行なわれておる。
国家賠償の問題を主として岸総理にお尋ねをしたわけでありますが、洞爺丸事件等にいたしましても、海難審判庁という強力なものでその原因と責任の追及が行なわれておる。いわんや、今回のような、多数の人命を一瞬にして失ったという場合については、政府は何らから措置をもってその徹底的な原因追及、調査に乗り出すべきだ、こう思うのです。
これは、台風によります被害を最小限に食いとめますには、他の諸対策とともに、台風の進路、速度、特徴などを早く、しかも的確に把握することが必要であると思う次第でございますが、昭和二十九年の十五号台風の洞爺丸事件の惨事は、皆様まだ御記憶に新しいことと存じまするが、去る十四号台風の際も、北海道で受けました気象通報は、十四号台風の参ります当日の朝の予報は、暴風警報から暴風注意報に切りかえられた事実がございます
洞爺丸事件のときは、千二、三百名のお客さんを殺してしまっておる。五そうの船を沈めた。さらに乗り組み船員だけで、あのときに三百五十何名か死んでいる。そういう惨害のときに、あわてて皆さんが気象設備についてやかましく言っている。私もやかましく言ったが、それっきりになっておる。日本海に定点観測がほしいというのに、そういうこともできていない。
金がないということでありますればそれまでのことでありますが、函館山にレーダーをつけるということが非常に大事だということが洞爺丸事件の惨害のときにすでにやかましくいわれておった。私もあの当時非常にやかましく言った。(どういうわけであれをつけなかったか。ことに九月の十四号台風のときたは十和田丸と摩周丸がほとんど洞爺丸事件のときと同じ状態になってようよう函館に入港しておる。
ところがそういう状態になったということですから、それについても洞爺丸事件のときに私らが要求した函館山の気象のレーダー、そういうようなものについて少しも設備をしておらない、そういう点について非常に不服があるのですが、忙しいときですから、簡単な質問にしておきますが、あわせて御回答願いたいと思います。
その逆の場合を言いますと、たとえば例の洞爺丸事件等で、国鉄の船にアメリカ兵、あるいは家族等が相当多数の人数が乗っておった。これらについて、もしこの一項、二項の関係がなければ、国鉄はその軍人、軍属、家族等の多数の生命に対する補償もしなければならない。ところが、これが今のような問題で一項、二項にひっかかっておる。
今ここに資料を全部持ってきておりませんが、今まで、占領中からだんだんいろいろ経験を積み重ねまして、調達庁が支払いをいたしましたことについていろいろ反省を加え、また御承知のように、最初の間は、講和発効後でも少い金額でありましたが、大きな、たとえば桜木町事件とか、あるいは洞爺丸事件とか、いろいろな大きな事件がございまして、政府が支給しておる場合の数字が多い場合も少い場合もありますが、大体似通ったものができてくる
というのはいろいろな事件が、たとえば洞爺丸事件が起きる、紫雲丸事件が起きる、あるいは第五北川丸事件が起る、また南面丸事件が起るという場合に、われわれは真剣に事件の原因を追及して、そしてその原因を追及した結果、再びそういうことのないようにしたい、こういうように考えて質問をしておるのです。にも かかわらず、各説明をされる方々のお話を聞きますと、何かベールをかけたような説明をされる。
○石井国務大臣 さっきお話のあった洞爺丸事件は私が運輸大臣のときの事件でありますから、非常に責任も感じておるし、その仕事がどんどんできることを非常に期待し、またこれを一生懸命に熱望し、推しておる一員なんです。
ところが北海道の場合は、例の洞爺丸事件があって、四千三百トンの船が転覆して千五百人が死んだでしょう。ところが鳴門海峡の方では南海丸ですか、あれが沈沒して三、四百人死んでしまった。こういう悲惨事が起きておるわけです。と同時に、北海道の場合は人間の輸送でも、それから貨物の輸送でも——貨物は船に載せてやっておりますが、そのために北海道の生産物が本州に来るのは非常におそいのです。
御承知のように洞爺丸事件なんというものは、もう事件が発生しましてから五年になります。生まれた子供が小学校に行くようになって、まだあの事件の解決がつかない。こんなばかなことが一体あり得る道理がないのです。これはひとえに費用が足らない、金が足らないのです。このわずかな金を惜しむためにこういう事件が進捗しない。従って海難防止ということが思うようにできないのです。