2021-05-21 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号
ところが、我が青森県の青函連絡船洞爺丸の一九五四年の海難事故も元々は走錨による事故であったということで、本当に身近にたくさんあったということを改めて認識させられました。 そこで、まず海上交通安全法ですが、異常気象時における湾内からの退避などの交通制限について、今回、勧告や命令ができるようになります。
ところが、我が青森県の青函連絡船洞爺丸の一九五四年の海難事故も元々は走錨による事故であったということで、本当に身近にたくさんあったということを改めて認識させられました。 そこで、まず海上交通安全法ですが、異常気象時における湾内からの退避などの交通制限について、今回、勧告や命令ができるようになります。
昭和二十九年に洞爺丸事件が起きまして、二年後に多目的ダム法というのができたんです。そのとき先輩たちは、台風がどこにいるか分からない、どこに行くか分からないという前提で、洞爺丸事件のダメージを受けていましたので、その二年後に作った特定多目的ダム法というのは台風がどこにあるか分からないという前提で作ったんです。ですから、このダムに必ず今年百年の洪水が来るぞという前提なんです、全てのダムが。
ですから、私は、先ほど言いました洞爺丸事件があったので、そういうものの安全から見たんですけど、もうちょっと上げたっていいんじゃないかと、台風が来るのは一週間前から分かるんだからというような意見を申し上げました。
しかし、一九五四年に洞爺丸が転覆したりしたときがありました。台風がどうやって行くか、雨量がどのぐらいかわからなかったんですから。この間の気象予測の技術進歩というのは大変なものがあるんです。どの地域にどれぐらい雨が降って、台風がどういう方向で行くか。この間の、迷走して北へ行ってまた南へ行ってというようなちょっと狂った台風もありましたけれども、普通はわかる。
だから、洞爺丸事件というのを皆さん御存じだと思いますけれども、あのときは、台風がどうやってどこへ行くかとか、どれだけ雨が降るかというのはわからなかったわけです。だけれども、今や、どこへ行くかというのもわかるし、雨がどのぐらい、一時間にどれだけ降るかというのも相当精緻に予測できるようになったんです。
完成に至るまでの歴史を顧みれば、一九五四年、昭和二十九年の青函連絡船の洞爺丸事故の発生から青函トンネル建設計画が本格的に動き出しました。その後、一九六四年、昭和三十九年に工事を開始、一九七一年、昭和四十六年に新幹線が走行できるように計画変更、そして一九八七年、昭和六十二年、二十三年の歳月をかけて青函トンネルを完成させました。
先ほど愛知委員から台風の被害、地震の被害、私の北海道も台風十八号で風速五十メートルという大変な風が吹いてまいりまして、洞爺丸台風以来ということで五十年ぶりでございますけれども、大変な被害でございました。 それで、実は補正予算の話に移るんですけれども、なぜ所信表明の中で、要するに通常国会冒頭ということが限定的に書かれているわけですね。
相当以前に、これは洞爺丸の転覆以後やったトンネルですが、しかし非常に丈夫である。今非常に科学が進歩しているから、まだまだコンクリであれ砂利であれ何であれ、いい品質のものを使えるはずでありますが、以前にできた構造物の方が丈夫である、これはやはりよく見直さなきゃいかぬと私は思うんですね。
北海道を例にとりますと、私の記憶はないんですけれども、洞爺丸台風のころまでは海岸の侵食はそんなになかったんじゃないか、こういうふうなデータをいただきました。あるいは、自然の摂理の中で山が削られ、川に土砂が流入をして、それが当然のことながら海に行く、海の波の作用でそれなりに土砂や礫や砂を適当な形でつくっていった、そういうことで自然の循環があったのではないか。
まず第一に、これは昭和二十九年九月二十六日でございますけれども、青函連絡船洞爺丸の遭難事故がございました。その中で、当時カナダ人の宣教師でありましたアルフレッド・ストーン宣教師が乗っておられまして、御自分の救命具を日本人の青年に貸してあげられたわけでございます。そして、遭難事故に遭われまして宣教師は命を亡くされた、そしてその救命具を借りた日本の青年は助かった、こういった事実がございました。
「一九五四年の洞爺丸台風は、北海道の天然林を壊滅的になぎ倒した。」このときですよ、チェーンソーというのが入ってきたのは、若い人力に教えるようですが。当時のソ連からチェーンソーという機械が入ってきたのはこのときです。「今回はここの十九号です「人工林を中心にして広い範囲に大きな損害を与えた。
昨年は、洞爺丸台風以来の暴風を伴った台風第十九号を初めとする多くの台風の相次ぐ上陸、接近や梅雨前線等の活動に伴う暴風雨及び豪雨により全国各地で被害が生じますとともに、火山につきましては、雲仙岳の火山活動の活発化に伴う大規模な火砕流及び土石流により人命や財産に大きな被害が発生いたしました。活発な火山活動が今なお続いていることから、約八千人の住民の方々が避難を続けておられます。
昨年は、洞爺丸台風以来の暴風を伴った台風第十九号を初めとする多くの台風の相次ぐ上陸、接近や、梅雨前線等の活動に伴う暴風雨及び豪雨により、全国各地で被害が生じますとともに、火山につきましては、雲仙岳の火山活動の活発化に伴う大規模な火砕流及び土石流により、人命や財産に大きな被害が発生いたしました。活発な火山活動が今なお続いていることから、約八千人の住民の方々が避難を続けておられます。
とりわけ台風十九号は、今先生仰せのとおり、昭和二十九年の洞爺丸台風を上回る勢力で九州北部に上陸をいたしまして、記録的な暴風雨により九州地方から東北地方にわたりまして人的被害、住家の被害はもちろんリンゴ等の農作物、林業関係、水産関係等に甚大な被害を及ぼしたわけでございます。
去る九月二十八日の台風十九号は、全国的にその甚大な被害をもたらして、洞爺丸台風以上、百年に一度あるかないかというそういう大きな被害をもたらしたわけであります。本県では瞬間最大風速が公式発表で五十三・九メーター、非公式ではございますけれども黒石市というところでは六十二メーターを記録しているわけでありまして、青森地方気象台の観測史上かつてない暴風雨となったわけであります。
まず一つの今風の台風の被害の特徴は、広島県におきましては、昭和二十年、一九四五年の枕崎台風あるいは昭和二十九年洞爺丸台風、それに匹敵するほどの被害があった、少なくとも心理的にはそういった甚大な被害をもたらしたという感じてこれを受けとめております。しかしながら、今回の台風の最大の特徴はやはり風の害が非常に大きかったということだろうと思います。
去る九月二十八日の台風十九号は、全国的に甚大な被害をもたらして、洞爺丸台風以上の百年に一度あるかないかという大被害を及ぼしたわけであります。特に本県では最大瞬間風速五十三・九メートル、これは公式発表であります。ただ、黒石市という農業試験場そしてまたりんご試験場のあるところでは六十二メートルという計測もされたわけでありまして、青森地方気象台の観測史上かつてない暴風となったわけであります。
ところが、実際には洞爺丸台風では、三十年以上前に同じような台風が来ている。 そういうふうなことを考えますと、今果樹共済についてあれもこれもやるといってもなかなかできないとは思いますが、どこから手をつければいいのかについてお考えをお聞かせ願いたいと思います。
○高木正明君 次に、林野庁に一つお尋ねをしておきたいと思いますが、私どもの北海道は、当初の気象予報からいきますと、かつての洞爺丸台風を上回る大きなものになるという予報でありましたけれども、幸いにして北海道は被害が少ない状態で終わったことは道民としてはほっとしているところであります。
今回の台風は、洞爺丸の事故があったときと同じような流れを走ってまいりまして、実はテレビの報道等を見ながら大変心配をしておりましたが、風の方が主でございました。たしか台風十七号も同じような傾向で、この間佐賀県へ参りましたら、ほとんどの家屋がかわらが飛んでしまって、これを復旧するのに人手もなければ工事をやってくれる人もいないという姿を見てまいりました。
人柱、古い言葉ですが、瀬戸大橋にしてもこれは紫雲丸事故があったからだ、青函トンネルは洞爺丸事件があった。 この能村さんが言われるのは、今三木さんが言っていましたけれども自分で考えなきゃいけないということからすると、この人は戦後事業を継承したときに台風によって水をかぶってしまって、大阪でしょう、太陽工業は。
そして、たまたま昭和二十九年の九月、洞爺丸がほかの船を含め沈みまして、このときに千四百三十人の皆さんが犠牲になったわけでございます。大変な出来事であったわけでございますが、ちょうどこの一カ月半ほど前の二十九年八月二十二日に国民体育大会が札幌で催されまして、天皇、皇后両陛下が洞爺丸を御利用されて北海道へ渡っておられます。
○国務大臣(橋本龍太郎君) 洞爺丸事件あるいは紫雲丸事件、こうした事件によってその当時の世間がいかに大きな衝撃を受けたかを今も私も記憶をいたしております。