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234件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1954-05-04 第19回国会 参議院 内閣委員会 第27号

昭和二十三年に当時の最高法務庁人権擁護局が設置せられまして、只今お話のように約六年経過いたしておるのでありますが、当初人権擁護局ができましたときに、人権が侵犯せられた場合にどこへ救済を求めてよいかということが一般国民にも普及されておりませんような関係で、二十三年度に受理しました事件は僅かに四十八件でございました。

戸田正直

1954-04-16 第19回国会 参議院 内閣委員会 第22号

この基本的人権が侵害された場合におきまして、旧憲法下におきましては、裁判所は裁判の形において、これを擁護いたしておりましたが、行政部面におきまして、これを擁護する独立の機関は全く存在しなかつたのでありますが、新憲法が施行されて後、昭和二十三年二月十五日、法務庁のうちに、人権擁護局と称する特色のある一局が設けられ、この局は現在も法務省内部部局の一として引続き存在しておりまして、国民の生命、身体、財産

亀田得治

1954-03-23 第19回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

戸田政府委員 人権擁護局が当時の法務庁に設置されましたのは、昭和二十三年であります。当時は法務庁に新しく設けられました局でありますために、人権擁護局というようなものがあるということを、一般国民は存じておらなかつたろうと思います。従つて人権擁護局侵犯事件を訴え出ます者が非常に少うございまして、二十三年度におきましては、全国でわずか四十八件でございます。

戸田正直

1954-03-20 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第12号

村上証人 昭和四年に東大法学部を卒業して以来、地方裁判所判事司法省民事局課長陸軍司政官東京控訴院判事最高裁判所調査官等を経まして、昭和二十三年二月に司法省が改組されて法務庁となりましたときに民事局長を拝命いたしました。爾来法務府、法務省機構改革が行われましたが、引続いて六年余り民事局長の職にあります。

村上朝一

1954-03-15 第19回国会 衆議院 外務委員会 第17号

何か法務庁で儀式があるので、当時の法務総裁殖田君にその誤訳を指摘した。美濃部達吉さん訳にあるように、生活、自由、幸福追求の権利です。調べればまだ幾らもありますが、時間が長くなるから申し上げません。そういうものをとうとぶ必要はちつともない。全体の精神を生かす。一言一句はあまり大切にする必要はない。精神世界公道に基いたもので、それはやらなければならぬ。世界公道というのは今の国際連合である。

北昤吉

1954-02-26 第19回国会 衆議院 予算委員会 第19号

最後にそれでは私はお尋ねいたしますが、先ほど勝間田君からも御質問がありましたが、昭和二十三年十月十五日に第二次吉田内閣が成立をいたしましたと遂に、吉田総理大臣はみずから法務総裁を兼任されまして、法務庁に臨んで、事務引継ぎに際しまして、綱紀粛正に関する異常なる熱意を表明するところの御演説を、法務庁役人諸君の前でなされたのであります。

河野密

1954-02-18 第19回国会 参議院 内閣委員会 第4号

昭和二十三年の二月十五日に当時の法務庁人権擁護局が設置せられたのでございますが、設置せられました当時の詳細は私存じておりませんが、連合軍側の指示によつたものであるということは大体考えられるのでございますが、当時の法務庁としては人権擁護局に対しては非常な関心と申しますか、非常に重点をおいて最初設置されたようでありまして、これは国会議事録等における法務総裁答弁等から見まして非常に熱意を持つてこれを

戸田正直

1953-07-29 第16回国会 参議院 労働委員会 第22号

藤田進君 どうしても問題点がずれておられるので、これ以上申上げようとは思いませんが、関連して私やつておりますので……本会議以来お尋ねして、どうもその点明確になりませんが、結局要約いたしますと、法務当局法務庁時代から法務省になりまして、ずつと発電所等における要するに労務提供拒否、ウオーク・アウトということ自体は違法でないということは言われて来たと思います。

藤田進

1953-07-29 第16回国会 参議院 労働委員会 第22号

そこで従来の考えと、そしてこのことは昭和二十五年、名前を挙げて申上げれば、大橋法務総裁並びに竹原当時最高検の検事、今日もおいでになるわけですが、更に法務庁には或いは労働課長でございましたが、遠山さん、今最高検おいでなつた、当時大橋さんもわざわざこのデイスカツスする際においでなつたようにも聞いておりますし、そのことは又部内で確かめて頂いても結構ですが、それらの中から今日まで法務庁が言われていたのは

藤田進

1953-07-25 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第6号

さなければなりません、渡さなければなりませんが、あごから再び私のところに戻してもらつて私の手から遺族の方のところに送るからということを御承認願へますかと、こう言いましたら、どうぞよろしくお願いしますと、こう申しましたから、ハングマン少佐に頼みまして、こうなりましたから、よろしく願いますといつたら、OKということになつたわけで、全部渡したのでありますが、その後、返つて参りませんので、比島軍参謀長つまり法務庁

加賀尾秀忍

1953-07-13 第16回国会 参議院 内閣委員会 第12号

ところがヒロポン患者の家庭をたずねて見ますると、これは厚生省にお尋ねするのが普通かも知れませんが、私は今法務庁関係のかたにお尋ねしたいのでありますが、一日に一人で数本打たなければ到底平常の状態を保つことができないというのが彼らの実情で、それを買う資金に困つてあらゆる犯罪をする。青少年を手先に使つてヒロポンを買う金を集めるために窃盗からその他ありとあらゆる罪悪を犯しているのであります。

長島銀藏

1953-07-09 第16回国会 衆議院 法務委員会 第9号

一面においては人権擁護局あり、あるいは法務庁あり、そういう行政的な仕事とタイアップしてこの仕事が持たれておる。しかしながら予算の面を見ますと、そういう官庁の方の人件費その他のものもまことに少いものである。そうして今年度の予算からいえば、一千五百万円くらいになりそうなものが相当削減せられて、一千百万円くらいになろうかというふうに見えるのであります。

井伊誠一

1953-06-03 第16回国会 参議院 図書館運営委員会 第2号

心当りの官庁に話を持つ行きましても、にべもなく垣絶されるという状況でありましたが、いろいろの都合から赤坂離宮を半分使つたらよかろうという話が円満に捗りまして、で赤坂御所というものを半分は内閣管理をし、半分は国会管理をする、で現実の管理国会側管理をする、こういう協定ができまして、爾来、半分は当時の法務庁後の法務省が扱つております。

金森徳次郎

1953-02-09 第15回国会 衆議院 決算委員会 第10号

また裁判所とか国税庁とか、あるいはそういう税金に関係のあるようなところ、あるいはこういう法務庁のような不正に対し、裁判所のような不正に対してもしその当局が反省しなければ、私は自費を出しても、この内容を記載したビラを、飛行機から一千万枚くらいまいて、決算委員会でこういうことを調べるから、民衆に国会に押しかけて来てそれを聞かせるようにしたいという考えまでも持つております。

田中彰治