1967-07-18 第55回国会 衆議院 本会議 第41号
普選運動に奔走し、治安維持法制定反対の先頭に立ち、また、陸軍機密費事件の追及には、身命をかけられました。この間において、既成政党の打破を主張してやまなかった先生は、犬養氏の政友会入りには徹頭徹尾反対し、これと訣別してまでも、革新派の孤塁を守り続けられました。
普選運動に奔走し、治安維持法制定反対の先頭に立ち、また、陸軍機密費事件の追及には、身命をかけられました。この間において、既成政党の打破を主張してやまなかった先生は、犬養氏の政友会入りには徹頭徹尾反対し、これと訣別してまでも、革新派の孤塁を守り続けられました。
それはわが国の希代の悪法と言われました治安維持法制定の過程でございます。時は大正十一年の二月、時の政友会内閣は社会運動者を弾圧するために、過激社会主義運動取締法案なるものを提案したのでございます。
それはわが国の希代の悪法と言われる治安維持法制定の過程であります。大正十一年二月、時の政友会内閣は社会運動者を弾圧するために——これは牧野さん、よく御存じです。過激社会主義運動取締法案を提案いたしましたが、院の内外における反対によりついに審議未了となりました。
その他例を挙げて行きますれば、治安維持法制定以後においてかかる誤報の下に犯罪の捜査されたということは、非常にたくさんの例を私はみずから体験いたしているところであります。 それのみならず、現に私自身の問題として、去る二月十六日に私どもが共立講堂で治安立法と人権という問題で講演会を開きました。この講演会は十二時半から開会いたしましたので、私は主催者の一人といたしまして十二時十五分に現場に到着した。
私、最近新聞協会から配布になりました治安維持法制定のころの自由党の星島二郎氏の演説なんか読んでみますと、あのときには、言論の自由を守るために、治安維持法のごときはどうしても廃止しなければならない、立法府の使命は言論の十分な伸達にこそあれ、それを制限するような、こういう立法には反対だということで、立法府のことを非常に真剣に考えておられた。
かの戦争遂行のための治安維持法制定のときも同じことが時の政府から言われたのであります。日独伊の侵略政策は防共の名の下に行われたことも歴史が示しておる。このことを日本国民がよく知つているからこそ、政府の弾圧政策と卑劣な懐柔政策の二刀流にもかかわらず、労働者階級は、国家の独立と人権を守るため、総評、中立、産別系の別なく、国民の先頭に立つて実力行使に入つているのであります。
治安維持法制定の国会の議事の審議過程を読んで参りましても、この点は、はつきり論議されておるのであります。然るに拡張解釈を行い、合法的組織であつても、共産党の思想に賛成する団体であるという認識の下に、その外郭団体は治安維持法の対象となりました。