1954-11-08 第19回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第13号
その仲間の連中からきたま聞くところによりますと、こういうことがやはり曾田さんたちの心にもあるのじやないかと思つて、私はまあ御同情申上げてあなたに申上げるのだが、ここで患者が治つた、もう今日は解放する。解放するときには治つておるのだから、それでもはや注射の必要もなければ投薬の必要もない、こういう場合があるのだが、もう二日分薬を上げましよう、三日分薬を上げましよう、こういう場合がよくある。
その仲間の連中からきたま聞くところによりますと、こういうことがやはり曾田さんたちの心にもあるのじやないかと思つて、私はまあ御同情申上げてあなたに申上げるのだが、ここで患者が治つた、もう今日は解放する。解放するときには治つておるのだから、それでもはや注射の必要もなければ投薬の必要もない、こういう場合があるのだが、もう二日分薬を上げましよう、三日分薬を上げましよう、こういう場合がよくある。
併しながら医学が進歩する、薬学が進歩し、技術が進歩し、そして新らしい薬ができて行くならば、十日で治つた病気は七日で治り、五日で治る。十日飲んだ薬は七日で済み、五日で済む。こういうことになるべきだと、私は学問、技術の進歩から考えるのであります。
一部の報道によると、マーシヤル群島でに災害をこうむつたアメリカ人があつたが、かなり早く治つたと、かような点が報告されておるのでありますが、これも詳細にして而も正確なる報道ではありません。
従いまして数多くの信者の中からは病気が治つたという感謝状が二十通や三十通は来るはずでおります。その場合、この水を飲めば病気が直るではないか、これこの通りまだあるあると見せるならば、お水さえ飲めば病気が直るものだと愚かなる大衆は信ずるだろう。だが識者はそういう統計によつて事をきめるわけにはいかない。 〔「人民に対して何だ」「大衆を侮辱するな」と呼び、その他発言する者多し〕
その辺の認定の問題というものは非常に微妙でございますからして、余り厳重にやりますというと、今湯山先生のおつしやるような御懸念が実現するかも知れませんし、又余り甘くしますというと医療扶助というのは誰でもかかれるんだということになりましても、これは国費のこういうような多端なときにどうかと思いますので、まあそういうことをいろいろ考えまして、なお又病院に入つておりますもので治つた者がありますれば、アフタ—・ケヤ
○阿具根登君 この請願の趣旨は、いま上條君の言われた通りですが、政府がやつておられる身体障害者の職業補導とか、斡旋、或いは援護とかいうことは、会までもやつておられますが、御承知のように結核患者の治つたかたの仕事というものは殆んどないと言つていいぐらいこれは民間にはない。それで幹旋とか、或いは就職の世話とかいうような考え方では、恐らくこの請願の意味と全く違うものだと思うのです。
とするものでありますが、でき得べくんば同じ大臣のもとに統轄されまする、しかも犯罪の捜査、あるいは公訴の提起というような問題に関連しますことにつきまして、この二つの機関が対立するというようなことなくして、この間における意見の相剋を調整いたしまして提案をされていただきたかつたのでありますが、事実におきましては、そのような経過が今日明らかにされ、ここに提案を見ておるのであります一われわれは一この間から改正の趣旨に治つた
併しながら患者が十分に根治した、全治というふうに認められますか否かということについては、これはなかなか学者の間にも議論があるようでありまして、なかなか非常にいい成績を挙げつつあると言いながらも、全くこの病気が治つたというふうに断定をするということはなかなかまだむずかしい段階である。
治つたとなると危いので治らんで(笑声)入つておるのだと、こういうようなことがデマでも何でも国民の一部に公然と言われる、そうして違つたものだなあと、こういうような空気をかもし出すというようなことは私はいけないことではないだろうか、率直にそう感じましたのでお尋ねをしたのですが、まだ右とも左とも決着のでき得る段階ではないということでは、結局容疑もあるようであるが、それが飽くまでも立証できるものであるかどうか
このとき雨が降つて来たので学生は軒の下に入り、警官も一応引いて事態が治つた、こういう状態であります。ですからあの新聞に報道されている革命歌を歌つたとか何とかいうことは全くの嘘だそうであります。平和の歌を歌つた。即ちそれは警官がパトロール・カーで君が代を歌つて入つて来たことに対して。学生が平和の歌を歌つて応えた、そういうふうに報告されております。
今まで癩が不治だ不治だと言われましたのは、社会復帰のできないような状態の癩患者を持つて來て、これを治せと言われますと、たとえ私ども医学的には治つたのだ、黴菌もいなくなりますし、十数年或いは何十年と病症は停止いたしまして臨床的には癩そのものは治つたと言つても社会復帰のできない状態でありますと、それを癩療養所から解放することは事実上できない、從つて不治だという考えを与えておるのでありまして、やはり癩の初期
成るほど長い間かかつて治つたというのもあります。併しながらことごとく治つておりまして、皆治ると信じております。そしてあとに瘢痕を残す。それが皮内注射ということに移りまして、皮下でなしに……そうしますというと、その潰瘍、濃瘍のプロセントが大分減つて来たということに……その数字、データ等については今手許にありませんけれども、数字が出ております。
そのような問題が、今やかましく言われておる、ほかからの重症患者と入れ替る、治つた患者と入れ替る、こういう問題と絡みまして非常に工合が悪い。
だから動乱即戦争状態におけることだけを考えるのでなくて、たとえそういうものが治つた後に、朝鮮における民族の平和的な回復という形においては、やはりかなり日本が近いところにあつていろいろ役割をしなければならんと私は思う。私はそういう意味においても、やはり平和態勢に協力する場面も出て来ようし、それはより早く起るか、それが多少時間がかかるかということは起り得ると私は思う。
治つた時には学年が終るようになつております。非常に好成績であります。この両者共大多数は生活保護法の適用家族が多うございます。非常にこれは家庭の負担を少くしておりまして希望者が多うございます。これは療養所としますと最近非常に患者がつかえておりますので子供を入れますと能率が悪いのであります。併しながらこれだけは離さんとして全国二ケ所継続しております。
○藤森眞治君 結核患者の後保護を要する者は、大体におきまして結核の治つたという状態の者が大部分でございますので、いわゆる医療面から離れて、これを医療の方面の監督をすればいいという状態になつておる者でございますので、労働省のほうで職業補導をするということに関連して、後保護を要する人達のための施設が必要になるのではないかと思われるのですが、労働省にそういうふうな企てがあるのを幸いに、何かここで厚生省のほうとしてお
ところがこれはこの前にも一応諾したのでありますが、病気は治つたが体は治らない。体にそれだけの結節が残る、即ち身体障害者であります、これは患者ではない。そこでもう一つ、これは身体障害者として社会的に取扱つて頂きたい。
あの当時の患者で治つた兵隊の体力というものは非常に弱くありました。その患者が掘るのですから、深さがせいぜい五十センチ、長い穴を掘りまして、端の方から段々置きます。その上から土を軽く被せて置く、雪溶けを待つて完全な埋葬をするといつたようなやり方をやつておりました。それ故に、この発掘作業というものは、大した労力なしにできたのです。
四期の方は四七・四%というふうに、漸次率が低くなつておりますが、この健康保險の料金につきましては、どうも攻め具合が悪いような関係で、漸次治つた者が納めて行くというような関係から、こういうふうな現状になつております。
そこでこういうふうに一応予防行政というものの運営の一つの派生した問題として、被害者が六十人も出て、それが治つたというのは退院したということであります。昨日総理にも写真を見せましたが、「あけび」の熟んだような恰好になつている。それが少し栄養を失うと直ぐ元に戻つてそうして非常に伝染性が強いので、その辺では爆裂弾を抱いたような気持でいる。そうして乳幼児であるから母親は必ず看護しなければならん。