1994-06-15 第129回国会 参議院 予算委員会 第15号
もう一つ加えておきますが、茅ケ崎の海岸や油壷でモーターバイクのような船が走り回っております。これも同じなんです。酔っぱらい運転を処罰する方法がないんです。これもぜひ加えてお願いしたいということを要望いたしておきます。ぜひともよろしくお願いします。
もう一つ加えておきますが、茅ケ崎の海岸や油壷でモーターバイクのような船が走り回っております。これも同じなんです。酔っぱらい運転を処罰する方法がないんです。これもぜひ加えてお願いしたいということを要望いたしておきます。ぜひともよろしくお願いします。
○原(茂)委員 気象庁としてもこれはやはり真剣に取り組んでいいのじゃないかというふうに考えるのですが、たとえば奈良の市長さんの雲を見て云々というようなことになりますと、先生方は一様に、全然関係ない、これはナンセンスだと言わんばかりな批判があるようですが、これはおくとしましても、先ほどの油壷におけるグループの研究ですとか鳥山先生のネムノキもあります。
私どもが見ていても、文部省はさっき言った油壷のやつはやる。それから科学技術庁は科学技術庁で勝手に、勝手にということじゃないが、神奈川県の方に予算をつけて援助をする。ほかの問題があると今度は何省でも勝手にこうやるのかどうか。何か決まっているのでしょうか。
特に、文部省が中心になってやっている油壷の末広博士のナマズの研究ですか、あるいは「なまずの会」に対しては、科学技術庁自身が今度は予算も少しつけて研究をさせるとかいろいろやっていますが、いま技術庁としては、この民間の地震予知グループに対してどういうかかわりを持っているのか、予算をどのぐらいつけるとおっしゃるものがあるのか。
それから本震の三時間前には伊東と三浦半島油壷の潮位の差にも大きな変化が出た。国土地理院と気象庁はこのことについて確認できるはずだと思うんですけれども、いかがですか。
油壷は海底断層の観測所になっているのでしょうか。これも陸地ですね。したがって、私は何か海底観測ができるような機能というものをこの際やはり観測機構として強化をする、陸上の観測地点と同じように強化すべきではないかというように実は思うのです。
まず気象庁の体積ひずみ計が伸縮の幅が非常に大きくなっておったと、あるいはまたラドン濃度の変化が非常に著しかったとか、御前崎の地下水の水位の変化があったとか、神奈川県の油壷の検潮所の潮位の差が非常に著しかったと、あるいは東大の地震研究所の地震回数の変化が非常にに多かったと、こういうことを集中的に集めておれば、その前兆が出ておったんだから予知ができたというようなことを言われておるんですが、この集中体制と
潮位の方はそれほどはっきりしておりませんで、伊東と油壷の潮位を比較しまして多少の差が見えるという程度でございました。とにかくこういうように前兆が出まして、特にラドンなどはソ連で非常にはっきり出たという報告がありましたが、アメリカなどでは同じことをやってみまして、まだ出たという報告がありません。
さらに萩原参考人にお伺いしておきますが、この地震予知情報の問題で、今回の伊豆大島地震の後でわかったことでございますが、私は今後の地震予知の手がかりにもなる、こう思うのであえて申し上げるわけでございますけれども、東大が行ったところの中伊豆町のラドンの観測地点で、十月から次第に下がってきて急激に沈んだと思うとまた高くなってきたという観測によって十分地震の予知がうなづけたということでありますし、また伊東と油壷
○萩原参考人 東海地域以外に観測強化地域になっておりますのは南関東でございますが、これは東海地域に比べましてはなはだ不備でございまして、気象庁の体積ひずみ計が五カ所ございますが、それとあと鋸山とか油壷に大学の地殻変動観測所がございますが、その他の点につきましては、まだ南関東のいろいろの微小地震観測点のテレメータリングは行われておりませんし、はなはだ不備な状態にございます。
これは地震研究所、油壷です。それから松山はまあいいとして、鋸山なんかも定員三名、技官一名、一般二名、これが五十年度になると定員一名、助手一名というふうに減るのですね。それから弥彦なんかも定員二名、技官一名、助手一名のところを定員一名、助手一名になるのですね。
昨年の十二月二十七日でございましたか、連絡会が、川崎地方と申しますか、多摩川下流域の地盤隆起につきまして見解を公表いたしたのでございますが、これは国土地理院が毎年、東京の水準原点と三浦半島の油壷にございます検潮所との間をつなぎますために、水準測量を国道沿いに行っておりますが、これが川崎市を中心といたしまして、ある範囲の土地が異常に隆起しつつあるということを検知いたしたわけでございます。
次に、東大の関係で文部省に御質問申し上げますが、いま東大で、弥彦と油壷と鋸山で大々的に観測をやっておりますね。それは間違いありませんか。
○金瀬委員 私は弥彦は見ておりませんが、油壷でも鋸山でも、そういうものを設置してあるのだから、観測所の定員というのはあるはずですよ。ところが鋸山の場合でも助手が一人だ。そういうことであると、定数はもっとあるはずですよ。ところが、いま助手が一人しか配当してない。しかもその助手の勤務は二十四時間勤務になっているんだよ。
その線でいきますと、関東地震の場合にも、地震学のほうでは、国会図書館などで見ましても、油壷の観潮所では変動がなかったというふうに書かれております。しかし、私が個人的に調べたところでは、房総の突端の白浜付近の人たちは、地震が起きる少し前からもう退潮現象があったというふうに聞いています。
○宇都宮説明員 先生のいまの御指摘の件は、三浦海岸から油壷へ参ります四・二キロばかりの路線のことであろうと思いますけれども、これは現在京浜急行におきましてすぐにでも着工いたしたいということでやっておりますけれども、一部路線の区間に用地買収の点で困難な問題がございます。その点さえ片づけばすぐに着工いたしたいということで鋭意作業を進めているところでございます。
油壷まで行くのは自分のところのやっている油壷のマリンタワーだか、マリンランドだか、そういうところへ行くものでして、それはすぐにでもやりたいのでしょうけれども、そうじゃなくて、三浦三崎のほうへ、城ケ島のほうに向かっていく路線、これはむしろ地元の人たちは要望しているのじゃないでしょうか。
たとえば私の戦友が特潜に乗りまして訓練中、油壷で沈んでまだ出されておりません。その母はすでに八十歳になって、せめて遺骨だけでもと待ちわびております。沖繩周辺でもずいぶんそういう事情があるはずでございます。さらには戦艦「大和」はまだ浮かび上がっておりません。三千名の遺骨がその下にあるはずでございます。こういう問題に対して政府は、そして厚生省はどうなさろうとするのか。
御指摘の油壷の「海龍」ですか、特殊潜航艇、これは当時からその引き揚げの能否について検討をしてまいったのでありますが、水深が非常に深いので、八十メートルということで、今日の技術的には非常にむずかしいということで今日までまいっておりますが、引き揚げの技術も進んでまいりましたから、それに即応いたしまして、これも遺憾ないようにしてまいりたい、かように思っております。
三日目の昼ごろに自衛隊にはさようならをいたしまして、近所にあります油壷の旅館におきまして年末の反省会及び懇談会をやって、その後解散をしたということでございます。その間、東京郵政局の二郵でございますから、二郵の郵務部長、局次長がそれぞれ隊を訪れまして話をしております。一時間ばかりそれぞれ仕事の話をし、意見の交換などをやったように聞いておるわけでございます。
その入り江は油壷と称しまして、付近でも有名ななだらかなところであります。また、須崎は下田から四キロ離れております。狼煙崎は一キロであります。須崎のほうには道路は町道しかございません。舗装もされておりません。ところが狼煙崎はすぐそばまで国道であります。今後のことを考えてみますと、どの条件を比べてみても、須崎を選ばなきゃならぬという理由が、現地に参りました私には出てまいりませんでした。
その次に、船舶関係の方にお尋ねをするわけですが、最近マグロ・カツオ漁船の事故というものがありますが、同時に、神奈川県の葉山付近に、あるいは油壷付近においては、ヨットの事故がやはり相当数多く出ております。非常に小さい船でありますし、一つの運動でもありますが、しかし、これが非常にばかにならない数があるのです。
○田川委員 その次にお伺いしたいことは、油壷の付近の小網代湾の別荘の問題でありますが、昨年私この問題を指摘いたしまして、建設省も各県に対して通達を出したようでございます。高知県のように、その通達に従って海浜地を占用しているところを取り払ったところもございますが、この三浦の小網代につきましては一向に反省をしたように見られません。そこで今一体どうなっておるか、この点を一つ説明をしていただきたい。
そこで、この油壷の水産高校の敷地の払い下げのことでありますが、二十九年に大蔵省から神奈川県に払い下げられた、この払い下げはたしか減額払い下げだと思いますが、いかがですか。
○田川委員 そうすると、私どもからの見方からすると、この油壷のもとの水産高校の敷地を本来ならば国へ一回戻したらどうかというような感じがするのでございますが、無条件にその武山の方を大蔵省が許されたのか、この点をお聞きしたい。