2004-03-18 第159回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
○国務大臣(河村建夫君) たしか、かつて陸連は河野謙三先生もおやりになったように覚えておりますが、各団体、今までいろいろ、各団体いろいろ判断をされて理事会でお決めになったことでしょうから、私はその判断にゆだねるといいますか、各団体でお決めになったことはそれでそれなりに各団体が責任を持っておやりになればいいんではないかと、こう思っています。
○国務大臣(河村建夫君) たしか、かつて陸連は河野謙三先生もおやりになったように覚えておりますが、各団体、今までいろいろ、各団体いろいろ判断をされて理事会でお決めになったことでしょうから、私はその判断にゆだねるといいますか、各団体でお決めになったことはそれでそれなりに各団体が責任を持っておやりになればいいんではないかと、こう思っています。
一番象徴的なのは、昭和四十年の三月に、参議院の運輸委員会で河野謙三先生、河野先生も全く同じような問題意識で、なぜ一たん停止をしなきゃいけないんだろうかというようなことを質問されておるわけであります。言わんとするところは、毎日通るとまさに交通渋滞がもう延々と続いておる。当時は何か、踏切番みたいな方が手旗信号みたいなものを含めて差配しておったようなところもありますけれども。
中国とソ連の双方に独特な人脈を持っていた当時の参議院議長の河野謙三先生が、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず、両方立てると身が立たずと嘆いたのを覚えております。
私が初めて議席を与えられましたときは、河野謙三先生が議長の時代でありました。以来二十五年、参議院半世紀の歴史、なかんずく後半のこの二十五年の歴史は、参議院改革の歴史と言っても過言でないと存じます。
私が官房長官時代というお話があったんですが、あれはJOCじゃなくて、体協の理事会で体協の会長の河野謙三先生が、政府側で出て政府の考えを述べろと、こういうことであったものですから、私はそういう要請があって体協の理事会に行ったのでございます。
その学校が——河野一郎氏は、これはやはり河野謙三先生よりも政治家である。着眼点が違う。学校の体育施設を一般に開放せよ、夜は夜で開放し、早朝は早朝で開放せよということを言われたが、これはなかなか実施に至らない。そういうことや、また私どもが見ておりまして、社会体育というものは文部省が非常に力を入れているにかかわらず、まだまだ充実してない。
副会長はといえば、現参議院議長の河野密先生——河野謙三先生、まあ同じようなものでありますけれども……。そういうスタッフで日本全国のアマチュアスポーツを育成強化していこうという法人であります。しかも、監督官庁は文部省でありましょう。 一体、船舶振興会って何ですか。
——この副議長河野謙三先生は、こういういろいろな会社がございますが、そういうところに関係があったのでしょうか、ないのでしょうか。これはよくわかりませんので、ひとつ鈴木強君、お調べになっておったならばお答えをいただきたい。まあ、この問題は……
○清水説明員 国会議員といたしましては四人出ていらっしゃいますが、川崎秀二先生、櫻内義雄先生、河野謙三先生、田原春次先生の四人です。それから東竜太郎先生はIOCの委員として入っていらっしゃいます。IOCの委員といたしましては、ほかに高石真五郎先生、そのお二人が日本のIOCの委員でいらっしゃいますので、その意味合いで出ていらっしゃるのであります。