1978-04-28 第84回国会 衆議院 外務委員会 第18号
河野全権が、歯舞、色丹、国後、択捉四島をそのまま継続審議として平和条約まで持っておいて、そして共同宣言でやろうと思って両国間にほぼ合意ができた。それじゃどうも足りぬからというので、それで歯舞、色丹だけは返還を非常に迫った。ところが、できた条約そのものから見れば、果たしてそれが改善であるか改悪であるかわからなくなった。
河野全権が、歯舞、色丹、国後、択捉四島をそのまま継続審議として平和条約まで持っておいて、そして共同宣言でやろうと思って両国間にほぼ合意ができた。それじゃどうも足りぬからというので、それで歯舞、色丹だけは返還を非常に迫った。ところが、できた条約そのものから見れば、果たしてそれが改善であるか改悪であるかわからなくなった。
フルシチョフ全権は河野全権に対して、領土問題に関するソビエト側の最終提案を手交した。それによると、歯舞、色丹は日本に引き渡す用意があることを示すとともに、国後、択捉も明記して、これらに関する交渉を平和条約締結にあたって継続交渉すると述べられていた。そこであなたは鳩山首相と手をとり合って喜び、日本から随行した外交官も、その夜本国に公電を打つとともに、ホテルで交渉の成功に祝杯をあげた。
今吉田議員が触れられた点ですが、平塚代表が帰ってこられましたので、先般来非常に問題になりましたイシコフ・平塚会談において、モスクワにおける最初の漁業交渉の際に、当時の河野全権とイシコフ代表との間にオホーツク海を禁漁区にする、この問題について文書が交換されたという平塚さんの日本に対する通信が事実であったのかないのか、また、どういう状況でそういうことが伝えられたのか、この点はもはやおわかりになったと思うのです
河野全権にも、松本全権にも、この共同宣言をそういうふうにしてくれよということをずいぶん言っておいたんだが、こうなってしまってははなはだ困りますが、この共同宣言を両国の共同調査ということに改めるという意志はございませんか。この部分についてだけ交渉する意思はありますか。
それは昨年のモスクワにおける漁業交渉には河野全権のほかに随員として外務省から法眼参事官、水産庁の長官塩見友之助氏の両君が行っております。さらに顧問としては大洋漁業株式会社の社長である中部兼吉君、同じく日本水産株式会社の社長の鈴木九平君の両氏が顧問として行かれておるのであります。これらの方々は河野・イシコフ会談には絶えず立ち会われまして、いろいろこの間の事情をよく御精通になっておると存じます。
あなたは、河野全権の随員としてモスクワに行かれまして、河野・イシコフ会談にずっとついておられたわけであります。また今回の漁業交渉に当っても、直接関係されておるのであります。そこでこの河野・イシコフ会談の内容がどういうふうになっているのかということを、ここで詳細御説明願いたいと思います。 あなたから今御説明を聞く前に、条約局長はおいでになっておりますか。
オホーツク海の問題については、昨年五月の衆議院の予算委員会において和田博雄氏が、ソ連から直接日本に帰らずして、何ゆえアメリカを回って帰ってきたかという質問に対し、河野全権は次の通り答えられております。「日ソ交渉の結果、アメリカ、カナダの漁業の関係におきまして、説明を加える必要が生じてきたわけでございます。
さらに第二点は、現実にどちらがいいか悪いかという問題は別といたしまして、こういう誤解が生じておる、これはイシコフ・河野会談の解釈の相違なのでありまするが、これを解決するために本国のイシコフ漁業相に、何らかの方法でもって河野・イシコフ会談の当時の模様を思い起してもらって、あれは河野全権の言っていた通りだというような措置が講ぜられないものかどうか。
そして特にその問題は、昨年の河野・イシコフ会談の際にもそういう問題が出たのか、そうしてそれに対してはその際は、河野全権はどういう態度をとったのか、またこれが、その際の話し合いが今日また出てきたのかどうか、それらの点を明らかにしていただきたいと思います。
この問題につきましては、前回の漁獲量の問題、あるいは採算の問題、そういう問題からして、出す船団についていろいろ話し合いをして少くしたというようなことも、こちらでは言われておるのであって、初めからそういうようなことでオホーツク海へ出ることを向うから制限され、これをこちらが受けたというふうには、河野全権のお話の中でも私どもそれを了承していなかった、といたしますというと、これは重大な問題だと思う。
○千田正君 八万トン、十万トンというかっての河野全権がソ連のイシコフ漁業相との間に話し合いがついたと称せられる、この問題の八万トン、十万トンは、これはあくまで本年だけの暫定処置としての基方本針であるのか、それとも将来八万トン・十万トンというものは、漁業条約のある限りにおいては一つの既定の原則として約束してきたのか、その辺はなはだわれわれは明確じゃないと思うのであります。
政府ももしすみやかにこの交渉を打開される意思があったならば、河野全権から、当委員会に出ていただいて、この経過を明らかにせらるべきが当然であろうと考えるわけであります。
ただ残念ながらその前に、日本の前にあったこの河野全権の交渉が、やはり非常な災いをなしておる、今日の段階においてそれを言ってもしようがありませんけれども、どうかほんとうに科学的な検討を加えた科学的根拠に基いて、両国ともに最大限度の合理的な漁獲が上がるような線で、いわゆるバナナのたたき売りでないような形で話をきめていただきたい、この点を強く希望いたします。
○曾祢益君 どうも私のわからないのは、こういういわゆる最低線を放しちゃってそのあとで、当時河野全権からも聞いたんですが、たとえばソ連の国内における漁獲についても、実はその点を勘案するという協定文まで、まあ協定といいまするか、約束といいますか、そこまで作ろうと言ったのを、最後にそれが抜けちまって、しかも当時河野農林大臣としては、それは漁業交渉といいますか、この漁業委員会の前に、ソ連の国内の河川における
その原因はどこにあるかといえば、これは河野全権がこの前の交渉において向うに言質を与えたのじゃないかということが一般に考えられているのです。
と申しまするのは、昨年の漁業協定を作られたその当時の事情から見まして、当時の河野全権のやってこられた経過を見ると、たとえばソ連が国内においていろいろな漁業の制限等をしている。
それがざらに調印までこぎつけるととができませんで、最後に鳩山総理が直接に河野全権とともに訪ソしたわけでございます。この間におきまして皆様に対するただいままで私が順序を分けて申し上げました、この間のそれぞれの期間における待遇の移り変り、処遇の移り変りについて、簡単でもよろしゅうございますが、どなたからか話を願いたいと思います。
外務委員会における同僚曽祢委員の最終質問に対して、河野全権は、「領土問題を含むという文句は落ちたが、領土問題に関する双方の意見は明らかになっており、また、もともと今回の交渉に入ったのは、鳩山・ブルガーニン交換公文、松本・グロムイコ交換書簡によって、平和条約締結の際は、領土の継続交渉をすることに合意しての上のことである。
この点につきましては、河野全権からも答えがありましたように、暫定措置である。暫定措置であるが、いずれ将来においてこの問題の解決が、日本の主張するような方向に向うであろうというようなことを言っておりますが、これまた日本の国民としましては、終戦後におけるところの公海の漁業の自由の原則は次へ次へと押えられてきておる。
しかし、その点は今申し上げたように、別に委員会としての態度を御協議願うことといたしますが、第二の点は、ただいまの河野全権のお話で、すでにほぼ明らかになったようでございますが、念のために伺います。これはアメリカ関係も何もないわけです。 河野さんのお話だと、領土の問題についてもとより日本側はいろいろな案を出した。それに関連して先方からの態度が出た。
従ってそれらの点について松本全権なり、河野全権は、何かもう少しはっきりした話し合い、そうして紆余曲折の見通し、そういうものをお話し合いになって、ちゃんと話し合いが取りつけてあるかどうか、もう少しそこを具体的に明瞭にしていただきたい。
そのことを今申し上げまして、それぞれ河野全権及び鳩山総理から明確な御回答をお願いいたしたいと思います。
○森元治郎君 河野全権の当時の御心中はわかりましたが、正しいとか正しくないとかいう判断は、なかなかこれはむずかしいので、河野さん御自身でも一体フルシチョフがどういうことを言った、ブルガーニンがどういうことを言ったということを直接お会いになってお聞きになっても、果して相手の言うことを正しく受け取ったかどうかということはこれはむずかしいのです。
すなわち河野農林大臣、河野全権との関係であります。私の親しい友人である特派員が、先ごろのモスクワ交渉に、モスクワに特派されました。この人の報告であります。この人の記事であります。詳しく言えば去る十一月十一日付の世界週報、時事通信社から出しております。ロンドン支局長の海野君がその二十九ページに書いておることであります。私は河野農林大臣が、昔有能な新聞記者であったことは先輩から伺っております。
従いまして河野全権としてはそれらの問題については何らの御答弁をなさらない。そうしてその問題については、外交上の機微ということで答弁をなさらないので、私は、常道にはずれるけれども——要すれば秘密会においてでも、その点を明らかにすることを主張しておるものでありまして、この問題は、当委員会としても、正式に取り上げて、いかにするかについて、今委員長と政府の間で交渉願っておるような次第であります。
○曾祢益君 私はこの問題は、河野全権も出た上において、もっと本格的に質疑を継続したいと思います。
またそのことは、モスクワでは、河野全権もそういう点に努力をされたのであります。これが最後のとどめでございます。そういうわけでございますから、この問題については、もう御心配は私はないと思います。あまりその問題をやかましくする今時期も少し過ぎておるような気がいたします。そして、こういう情報が外務省に来ております。
それから、またこのたびの交渉においても、そういう点をフルシチョフ氏が河野全権にも申しましたし、またブルガーニン氏も鳩山総理に申されたのであります。その点は、決して向うがただ形式的の答弁をしてひっくり返したのではございませんから、さよう御了承願います。
○曾祢益君 そこで不幸にしてソ連の立場というのは、そういうような非常に強いものであると、河野全権が言われたようなものであるように考える。しかし同町に、それは一つの法的な見解としてはそうでありましょう。今直ちに、じゃアメリカが日本に沖繩を返してくれりゃ、おれの方も返してやるんだといったら、彼らの立っておる法理内基盤というものが弱くなります。条件つきの領有みたいになります。
そこで、もう一つ伺いたい点は、河野全権は五月のモスクワにおける交渉において、いろいろ先ほども野村さんのお話にもあったかに思いますが、先方に対していわば日本の譲るべからざるものを譲ったのではないかというようなことで、だいぶ方々から質問があったのです。
今河野全権があらためて、法律的にはソ連はアメリカの領有関係とは無関係に権利を主張しておるという趣旨を言われ、しかもなお政治的には、総理と同じように、軍半対立の緩和ということによってやはり領土が、つまり北の領土も返ってくる見込みがあるという、その点は同感だという趣旨を言われたと思うのです。
河野全権は、また、冷たい暗い国ソヴィエトという古い認識を改めなければならないと言っております。そうして、また、慎重派の親分といわれた重光外務大臣でさえ、国交回復の重大決意をいたしたのであります。もちろん、日本とソヴィエトとは国柄や思想が違うのでありますから、国民の中にこれに対するいろいろな意見のあるのは間違いない事実である。
現に、重光全権が交渉に行かれました際に、フルシチョフは、河野全権が来たときに、択捉、国後についてのソ連側の説に賛成して、ソ連の主張はまことに合理的かつ実際的であって、日本としては受諾すべきものと評価するという趣旨のことを言った。
第一点にお尋ねいたしたいのは、この前北澤君から問題になって、ブルガーニン・河野会談、フルシチョフ・河野会談等々において、領土問題について、河野全権が、ソビエト側に対して、歯舞、色丹以外は放棄してもよいというよろなことを確約を与えたかのごとき事実が、シェピーロフ外務大臣を通じてあなたに報告があった。それを総務会で報告をした。それをあなたは否定されました。
なお、その後の交渉におきましても、私なりあるいは重光外務大臣なりまた河野全権からもたびたび要求いたしましたし、先方もそのたびごとにこれを調査すると約束いたしておりましたが、最後に鳩山総理大臣がブルガーニン首相に最終的に交渉をされましたときにも、この点に特に触れられまして、その結果、先方も今度の共同宣言の中にこの調査をやるという条項を挿入することに同意をいたしたような次第でございます。