2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
私、二島だ四島だといろいろな議論がありますけれども、この一九五六年の日ソ共同宣言の二日前に、これは十月の十七日のフルシチョフと河野会談です、これを見て大変驚きました。 御存じの方も大勢いらっしゃると思うんですけれども、改めて御紹介しますけれども、この一九五六年十月十七日の会談で何を河野農水大臣は申されたかというと、この年の五月九日のブルガーニン首相と河野大臣との会談を引き合いに出しました。
私、二島だ四島だといろいろな議論がありますけれども、この一九五六年の日ソ共同宣言の二日前に、これは十月の十七日のフルシチョフと河野会談です、これを見て大変驚きました。 御存じの方も大勢いらっしゃると思うんですけれども、改めて御紹介しますけれども、この一九五六年十月十七日の会談で何を河野農水大臣は申されたかというと、この年の五月九日のブルガーニン首相と河野大臣との会談を引き合いに出しました。
現行の衆議院比例代表並立制を導入した一九九三年から九四年にかけての政治改革国会でも、細川連立与党と野党自民党が激突をいたしましたが、最終的には、細川・河野会談を受けて連立与党が野党自民党の主張を受け入れる形で合意し、成立をいたしました。
また、当時の党幹事長を務め、細川・河野会談にも立ち会いました森喜朗元総理も、政治の劣化をもたらす要因はいろいろあると思いますが、根本的には小選挙区制に原因があると思っています。当事者の諸先輩がこの小選挙区制が失敗だと述べているということは、大変重い指摘であります。 そこで、大臣にお尋ねします。 先ほど、中選挙区議連のことのお話もございました。
そして、両院協議会が開かれて、細川・河野会談が開かれて、やっと成案を得た。つまり、与野党の話し合いの中でできてきているわけです。 この間の衆議院の比例の二十名定数削減問題も、実は、強行採決に最後にはなったけれども、それまでに、六党の幹事長会談をやり、実務者会議をやり、いろいろ意見を闘わせて、そういう手続を踏んでちゃんとやってきているんですよ。
オルブライト・河野会談でもこういう問題が取り上げられて、そこであなたはこう言っておられるんです。 だから、その問題は、一体協議を継続するということなのか、継続審議なのか、それとももうアメリカの立場というのは明確なのか、これ、どっちなのかということが極めて不鮮明だ。
だから、この細川・河野会談の合意というのは、政党間の信義からしても、連立与党を形成する政党は政府に働きかけてこの合意を誠実に守らせる義務がある。私は、当然議院内閣制のもとではそういうことになろうかと思うのであります。それで、実はこの十項目の一番最後に、政治改革についての各党協議会というものを設けようという合意になっているわけです。
あったのは、細川・河野会談と、それに基づく連立諸党と自民党との修正協議だけでした。 首相は、談合という批判に対して、民主主義のルールの一つだと答えたことがあります。しかし、国会が出した結論を覆すことも、政府の答弁を変更することも、すべて密室の私的な談合で行われたというのは隠れもない事実ではありませんか。
○谷垣国務大臣 十一月十九日であったと思いますが、私が文部大臣に任命される以前の問題でございますが、大平・河野会談の中でいわゆる四項目の政策の実現への話があったことは私も新聞で承知をいたしております。しかし、その性格及び具体的内容については私は実は承知をいたしていないのであります。 それで、私自身はこういうふうに解釈をしておるわけであります。
しかし、その問題は大事なことだから考えてはおるけれどもというよりは、むしろイシコフさんはこの点についてはもう古くから非常に興味を持っておられるわけなんで、これはイシコフ・高碕会談あるいは河野会談のときから言っておられて、非常に興味を持っておられるのですが、いよいよ詰めの段階になったらそういうことを書こう、前向きでこれをやっていこう、それには日本も応分の協力をするということを書こうという段階になりましたら
しかし、倉石・河野会談は、問題を円滑に処理すべき事前の話し合いであります。最終的には国会において結論を生み出さなければならない問題であります。(拍手)国会の審議にのぼった以上、その審議に参加した他の国会議員の意見もまた尊重しなければならないのであります。
いわゆる倉石・河野会談を通じてある種の方向が示されておるようでございまするが、はたしてこれが当委員会の審議を通じていかなる決着に落ちつくであろうかということにつきましては、政府といたしましても全く予想ができないような状況でございます。
自治省は、このILOの法案の処理につきまして、いま労働大臣からは倉石・河野会談というものをそれが両党の窓口だというふうにお考えになっているという御答弁があるにもかかわらず、全国の市長会とか町村会に働きかげていわゆる倉石修正というものはいけないのだというふうな動きを見せたり、その他役所という立場ではどうかと思われるような動きをなすっていらっしゃる、こういうようなうわさを聞くわけですが、その点はどうですか
これはいわゆる倉石・河野会談を意味していると私は思うのですが、どうですか。
要するに、倉石・河野会談というものがあって、大体話し合いがついたというところで一括審議をしたと思いますが、その際も、わが党としてはあくまでもいま申し上げた趣旨で、あとで鉄道営業法、それから国家公務員法、地方公務員法は分離すべきだという主張をいたしまして、議運で採決で敗れておるわけでございますが、しかし、その後自民党の内部にもいろいろと情勢の変化があって、今日ここまできておると私思うわけでございます。
○小林委員 いささか重大な発言の部類に属するかと思うのでありますが、そういたしますと、労働大臣は倉石・河野会談の内容については何ら承知をしていないとおっしゃるのでありますか。私どもの聞くところによりますれば、交渉の過程は逐一労働大臣に報告をいたしまして、労働大臣の了解と了承のもとにこの話が進んでおる、もっと詳しく申し上げますと、この倉石・河野会談の原案作成でございます。
これは倉石、河野会談というのは、私的な会談ではありません。すなわち、昭和三十七年に、われわれは自民党に対して、正式なILO八十七号条約並びにそれに関連をする法律の取り扱いについて話をしたいから、自民党としては正式な窓口をきめてもらいたい、われわれはこういう申し入れをいたしました。これに対して、その窓口は倉石並びに齋藤両氏にいたしましょう。
あるいはそれが書記長・幹事長会談であり、あるいはそれが倉石・河野会談であり、いろいろな形の中でものごとが取りきめられ、そのことが理解をされてこういう形になってきたと思いますので、この問題の処理にあたっては、ひとつ大前提として、そのようにもろもろに努力をされたその努力というものは、各党がやはり責任を持って実施をしていくという誠意が第一の大前提にならなければいかぬと思うのです。
○滝井委員 けさの新聞を見ますと、岸・河野会談というのが行なわれておるように出ております。九時半の委員会が十時でなければ開かれないというのは、おそらく岸内閣の運命に関するような重大な会談が岸・河野会談で行なわれたためであろうと推定するのです。
それからもう一つ、私昔の例ばかり引いて相済みませんが、イシコフ・河野会談、それからまた——藤山さんじゃありません、岸さんが、大陸反攻の意見を支持したという報道が中共側に非常に刺激を与えていることは御承知の通り。私は別に岸さんが進んで蒋介石の大陸反攻説を支持するがごとき言説をなさったことはないものと確信しておる。
それから、あなたは、この問、岸・河野会談の際に、河野経企長官は、五月十八日は日曜日ですが、その日曜に何もこだわる必要がないというようなことを言って、岸総理は了承したというようなことを言っておるのですが、その会談は必ずあったと思うのです。あなたと河野氏とが会談して、五月十八日の日曜日にはこだわらないで、日曜以外の日を投票日と選んでもいい。