1973-03-07 第71回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第5号
そのほか天竜川河状調査委員会の審議にも参加しております。 それで佐久間ダムの堆砂の進行状況、これは昭和四十年に四千二百万立方メートル、四十一年には四千三百万立方メートル、四十二年には同じく四千三百万立法メートル、四十三年四千七百万立方メートル、四十四年五千三百万立法メートル、昭和四十五年の十一月には六千万立方メートルというふうになっております。
そのほか天竜川河状調査委員会の審議にも参加しております。 それで佐久間ダムの堆砂の進行状況、これは昭和四十年に四千二百万立方メートル、四十一年には四千三百万立方メートル、四十二年には同じく四千三百万立法メートル、四十三年四千七百万立方メートル、四十四年五千三百万立法メートル、昭和四十五年の十一月には六千万立方メートルというふうになっております。
したがいまして、河状調査委員会といいますか、佐久間ダムにつきましては、これは電源開発株式会社が管理運営をいたしておりますので、それの水利使用の許可条件といたしまして、毎年、年に一回必ず、河状の堆積状況等を含めまして、一連の観測事項につきまして報告をするように義務づけております。
幸か不幸か、天竜水系には、天竜川河状調査委員会なるものが設けられて、定点をきめ、年々同じ時期に河状の測量をやっておるから、河状の変化が克明に出ておる。しかし、全国の他の河川ではこのような例は少ない。実際には、九州でも北海道でもこういう事態は多かれ少なかれあるのに表へ出てきていないというように私は考えるわけなんです。
御承知のように、天竜川の治水のために、特にダムがつくられて以後、静岡県には静岡県天竜川河状調査委員会なるものがございまして、定点を設定し、年々天竜川の河状の変化の測量をやっておったわけであります。定点三二、三三、三四という地域は、佐久間ダムの中に設定された地域であります。
もう一点は、天竜川河状調査委員会なるものがあって、主として本川でありますけれども、建設省、静岡県、電源開発株式会社、さらに地元関係市町村を含めて天竜川河状の調査を、毎年定点測量をやっておるわけであります。これは全国にも例がない。
ダムの下流が河床沈下し、ダムの上流が河床上昇するのは、これは常識でありますけれども、私はここに天竜川河状調査委員会が調査をいたした資料を持っております。昨年も実はこれを引用してお尋ねをしたわけでございますけれども、特に浦川地区のいわゆる大千瀬川の河状がこの一年間でどう変わったかということが出ているわけであります。
○斉藤(正)委員 小澤委員の名質問で中断されましたが、ここに「天竜川河状調査の概要」という静岡県企画調整部が出した冊子があるけれども、いわゆる天竜川がいかにあばれ天竜であるかということがるる述べられている中で「静かになった近代」という項がございまして、「近年にいたり、大正時代から昭和にかけては、記録のうえでも、人々の記憶のうえでも天竜川としての大水害はほとんど残っていない。
現在、佐久間、秋葉ダム建設着手の結果としての下流における河床低下の問題につきましては、河状調査委員会という機関を設けまして、地元の者もそれに参加いたしまして河状を調査いたしております。
これはいまやっておる河状調査の場所なんですから、これは天竜と大千瀬の合流点から下流三カ所をやっておることは事実なんですよ。しかし私が言っているのは、大千瀬と愛川の合流点のところに被害が起きてここの河床が上がっておるわけなんです。ここの調査はしていないということなんですよ。
○説明員(坂野重信君) 秋葉ダムそれから佐久間ダムの間の河状調査の問題でございますが、秋葉ダムの湛水区域内につきましては、電発の直接管理責任でございますので、電発のほうで河状の調査はやっております。
また別途に、先生御承知だと思いますが、河状調査委員会というものができております。そういう場合におきましても、私のほうは電発からいろいろ資料をいただいております。この資料によりますと、河床の変動というものは、かなり部分的にはあるように承知いたしております。
河状調査委員会は県のほうでやっておられますが、実際の費用の八割は当社が受け持ってやっておるわけでございます。県のほうから七、八、九という点、それから水窪川の支流にもございますが、そのほうは電発で担当してやってくれぬか、そういうお話がございましたので、私のほうでやっているわけでありますが、別に他意があってやっているわけではございません。
次に、天竜川河状調査委員会の調査結果について過日も伺ったわけでありますけれども、大千瀬川が本川と合流する地点において七十五センチ上昇していることはお認めになると思います。さらにこの天竜川河状調査委員会の大千瀬川の八、九というところを見てみますと、八定点では五十七センチ下がっているわけであります。九という定点では百二十五センチ下がっているわけであります。
○斉藤(正)委員 昭和四十三年度、すなわち本年度の天竜川河状調査委員会の計画書によれば、この七、八、九の定点はおたくの担当ですよ、測量は。なぜダムに何も関係ない大千瀬川をおたくが担当してやるのですか。断わればいいじゃないですか。
いろいろなやり方があってやっているけれども、どうもはっきりしないというように聞いているわけでありますが、過日も申し上げましたけれども、秋葉ダムの中心地点のこの天龍川河状調査の十九定点におきましては、すでに河床が三十一年十一月よりも四十二年十一月は二メートル九十四上がっているわけです。さらにその上流の二十地点では三メートル六十六上がっているわけであります。
ところが、このダムと災害の関係を一体どう解釈すべきかということでいろいろな検討が行なわれておる中で、天龍川河状調査委員会なるものが設けられて、建設省関係の皆さんもこのメンバーに加わっていることについては大臣も御承知のとおりであります。
○斉藤(正)委員 電源側も参加をされて天龍川河状調査委員会なるものが設けられていることは御承知だと思います。この河状調査委員会の調査資料によりますれば、部分的に多少の違いはありますけれども、概略いえることは、ダムの下流では河床が異常に沈下をし、ダムの上流では河床が異常に上昇しているという結果になっております。
今度は三十六年、四十年以上に二階の上まで実は浸水しておるわけですが、これまた河状調査委員会の調査の結果によりますれば、先ほどもちょっと農林大臣に御質問を申し上げた際言ったわけでありますけれども、大千瀬川の本川と合流する地点で、昭和三十一年四月に百二十八・一二であったものが百二十八・八七となり、七十五センチの河床の上昇を見ているわけでございます。これはなぜ河床が上昇したか。
いたしておるわけでございまして、その間に先ほど農林省からお話がございましたように、大河津の分水のところにあります洗堰というので区切っておりますが、その下流は河道が潜掘ぜられ、それからその下流におきましては安定しておる、それからその下流に至りまして堆積が相当ひどいというふうな状況に相なりまして、しばしばこれを何とかしなければいかぬという問題にされておったわけでございますが、終戦後に至りまして新潟県に旧信濃川河状調査委員会
従いまして今後十分河状調査の上工事を進めるべきであると考えるのであります。 第五といたしまして、災害土木費国庫補助規定は、原形復旧を原則としておりますため、応急に復旧された堤防が、無計画に連なつて、河状きわめて險悪なる状況にある河川が多く、かえつて災害発生の原因をなすところ少くないのであります。