1978-04-18 第84回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第10号
それで、田沢湖につきましては戦時中の河水統制事業のときの経緯もございますし、また今後の仙北平野の農業用の灌漑の利水の形態、態様というようなことも関係省庁及び県と十分詰めまして、田沢湖の水質の回復ということについては努めてまいりたいと思います。
それで、田沢湖につきましては戦時中の河水統制事業のときの経緯もございますし、また今後の仙北平野の農業用の灌漑の利水の形態、態様というようなことも関係省庁及び県と十分詰めまして、田沢湖の水質の回復ということについては努めてまいりたいと思います。
○政府委員(川崎精一君) 昭和十八年から二十七年までかかりまして、第一期河水統制を実施したわけでございますが、そのときの計画は一応マイナス一メートル、こういうことでございました。これがまあ必ずしも現在利用低水位の水位とは内容的に一致しないと思いますが、一応限度が一メートル、こういうことであったと思います。
○政府委員(川崎精一君) 第一期の河水統制を行ないました時点では、約八十八・五トンでございました。御承知かと存じますが、緊急水利というようなことで、多少旧淀川にフラッシュの効果を持たせて、十トンばかりすでに利水に転用をいたしました。さらに最近は、中津川の運河等埋めまして八一五トン、これも利水に転用いたしております。
それが第一期河水統制では大体ゼロくらいが中心になるのじゃないかというような感じでございます。したがって、今度利用の低水位幅を広げましたから、ある程度やはり平均的な重心は下に下がるわけでございますが、その感じが大体三十センチないし五十センチじゃなかろうかというような、大ざっぱな感覚で浦井先生にお答えをしたわけでございます。
これはいろいろ古い歴史的ないきさつがございまして、第一期河水統制の昭和二十七年に完成をみたわけでございますが、その時点でもやはりこの数字を踏襲いたしまして維持用水の必要量として八十八・五トン毎秒を設定したわけでございます。
現在、淀川には約八十八・五トンの維持用水というのが第一期河水統制事業のときに計画で定められたわけでございますが、その後、水需要の進展に伴いまして、緊急用水として、約十立方メートル、それから中津川運河、これは新淀川を建設するときの建設材料を運搬するための運河として、これに八・五トンを流しておったわけでございますが、これも現在、水資源開発公団の手によりまして水路の処置をいたしまして、これを利水に転換をいたしておるわけでございます
これにつきましては、すでにこの疎水は明治以来の疎水でございますので、第一次河水統制事業で現在マイナス一メートルまで下げるというルールになっておりますが、特にそういった機能に支障のないように補償のポンプ施設等を増設したわけでございますが、今回さらにこれを利用低水位一メートルというような計画がきまりましたので、こういったもの、それから非常渇水時の事態に対応する処置等を含めまして、しかるべき補償施設をいたしたいと
○政府委員(川崎精一君) ちょっとスタートはあれでございますが、河水統制によります十一事業等を含めまして、完成を現在までにいたしておりますダムが直轄事業で三十九カ所、公団で五カ所、それからいわゆる補助事業の関係で八十七カ所、合計いたしますと百三十一ダムになっております。
たとえば第一期河水統制以後、洗いぜきでマイナス一メートル、こうなっておっても、実際は一メートルまで下げてくれなかったとか、そういう不信感が非常に強い、下流は下流として。それは府会議員あたりからこういう事情だということを私に言うてくるわけです。そういう点で、これはどうしても上流と下流と相反する利害の問題がございますので、非常にむずかしい問題であろう、こう思うわけです。
○川崎政府委員 現在でもいろいろ、一応第一期河水統制の趣旨で、琵琶湖の水位はプラス三十センチからマイナス一メートルを限度にいたしまして変動しておるわけでございます。実質的には七、八十センチにとまっておるわけでございますが、大体現在はゼロないしマイナス三十センチぐらいを中心に変動をしておる。
○北側委員 第一期河水統制が昭和十八年から昭和二十七年、このあとの問題につきましてはもう少しあとのほうでお聞きしたいと思うのですが、要するにいろいろな統計を見られて、マイナス一・五メートルで渇水期においては四十トン、あとの問題は大臣がいろいろ協議してきめていく、こういうお話でありますので、その問題についてももう少しあとで触れてみたいと思うのです。
淀川の流量は、第一期河水統制事業によりまして、枚方の基準地点で毎秒約百三十七立方メートルを確保するよう定められたことは御承知のとおりでありますが、現実の流量はしばしば百立方メートル以下の値を記録いたしております。淀川は一千万人の飲料水の水源として利用されているのみでなく、一方では都市排水路としても利用されておりまして、流量減少に伴い水質は急速に悪化いたします。
琵琶湖につきましては、戦争末期のころに第一期の河水統制というような事業がございまして、その計画によって現在水位を操作いたしておりますけれども、戦時中のことでございましたので十分徹底しなかった経緯もございまして、滋賀県側にも、下流の大阪府、兵庫県側にも、それぞれなりにやはり被害意識があるわけでございます。
○坂野政府委員 先生のおっしゃるのと若干数字が食い違うかもしれませんが、第一期河水統制事業の際に、淀川の下流につきましては、維持用水を含んでの話ですが、毎秒百三十六・六七立方メートルという数字がございますが、おっしゃいますように非常に水の需要が急速にふえておりますので、これに対処するのに、水資源の開発事業として長柄の可動ぜきの改築事業で毎秒十トン、高山ダムが毎秒五トン、これを完成しておりまして、なお
その次は、昭和十八年だったと思いますが、淀川の第一期河水統制事業の際にきめられました下流の水利権量は、平均毎秒百十六トンだと思います。これは御承知だと思います。百十六トンで、その中で琵琶湖からは九十二トン、木津川、桂川からは二十四トン、こういうことになっておるわけですが、これは昭和十八年の話でございますから、その後阪神地区ではどんどんと水の利用がふえておると思うわけであります。
○政府委員(細郷道一君) 具体的な事例もあると思いますが、多く見受けられますのは、たとえば、ダムをつくって、そこで水を取水をして、それが上水道、あるいは工業用水、あるいは農業用水、それから河水統制、こういったようなものにそれぞれ使われるという場合には、御承知のように、それぞれの効果を測定してアロケーションをして、そうしてきめていくというわけでございます。
その電力会社への売電交渉が——都道府県がやる場合には、多目的ダムとして河水統制上、飲料用水、工業用水、はたまたそういう防災を含めての任務の区分、これはもう電源開発促進法できまっておりますから、その負担区分というものによってダム建設をやる。ところが県民からいうと、電源開発の事業費は全額起債で、六分五厘の金利です。それで工事をするわけです。でき上がって、年々償還していく。
○松井説明員 先ほど御答弁できないで失礼しましたが、直ちに調査いたしましたところ、相模湖につきましては、県営の畑かん事業として、河水統制の負担金を三十九年に出してございますが、これは畑かんの水でございまして、一応水田には関係ございませんので、ただいまの先生の御質問の点には直接関係がないかと思います。
ちょうど政府全体といたしましても、先ほど話されました河水統制と申しますか、河川の資源の開発を中心とするものから、より大きな総合的なものを、個所を調べておったのであります。地方におきましては地方財政の窮乏を転機として、むしろ繁栄を求める道というのはやはり税源の涵養だ。
○岡本委員 建設省としては、淀川の河水統制の第一期工事は竣工しておる、こういうふうなことなんです。そして実際十五・二トンの水を下流の工業、上水道その他の川水に配分してもいいという計画は立てておられますけれども、しかしながらそれに対するところの滋賀県側に対する補償が伴っておらない。
○畑谷政府委員 いまお話しのとおりに、第一期河水統制事業で、新規の十五トンという水量につきまして、一応の琵琶湖の水源を利用するという計画のもとに進めて、これが終了しておるわけでございます。その内訳を申しますと、大阪府の工業用水が五トン、大阪府営上水道用水二・五トン、大阪市の上水道用水六トン、阪神上水道用水一・七トン、合計十五・二トンということになっております。
○岡本委員 ただいまのマイナス一メートルまでという考え方は、淀川河水統制第一期工事の中にあるわけでございます。淀川河水統制第一期工事が昭和十八年に始められて、二十六年に完了したということになっております。その治水工事によりまして、従来よりもはるかに低く水面を下げることができるというふうなことを行なってきたのであります。
琵琶湖の水位と下流の水の流量の問題については、戦時中から戦後にかけての第一期河水統制事業による約束というものがありまして、琵琶湖の水位をプラス三十センチからマイナス一メートルの間で操作することにより、下流の枚方における流量を毎秒百三十六トン供給することとし、それに対する補償として、下流側の関係者は滋賀県に八千万円を支払っているという過去の事実があるのでありますが、この点については、滋賀県側は、当時の
しかし、最後に私が地方自治の問題でお伺いしたいのは、何か現在のたくさんの都道府県のやっている行政が、たとえば河川にいたしましても、河水統制の面から見ると、あるいはまた地域開発の面から見ると、ずたずたにされすぎているから、これを国の直轄河川にしてしまったらいいじゃないかとか、道路も国道にしたらよくなるとか、あるいはまた、各省官庁の出先機関があっちこっちにございますが、これを統合して、一極の地方統合官庁
で、実はそれに伴いまして、昭和十二年ごろから全国的に河水統制の調査を行ないまして、これは堤防だけでなくて、水源地にダムを設けたり、そしてこれを洪水の害を防ぐためにそこに一時水を貯溜し、その貯溜した水を利用しまして、水道用水とか発電とかというように多目的に利用しようという機運が非常に起こりまして、昭和十二年からずっと全国的に建設省で河水統制という調査が実際にできたのであります。
昨年も私はその点を指摘しておいたのですが、昨年からことしに直ちにそのようなものが実現するとは思いませんけれども、しかしながら、それについて何らかの、将来はこういうふうにしてこの河川の統制をやっていくのだ、河水統制をやっていくのだという方針を、何らかお考えを願わなければならないと思うのですが、その後局の方で何かそういうような考え方を進めていただいておるのか。その辺のところを伺いたいと思います。
まあ面会しようとしても面会もさせないというようなことが、そんなにたくさんはございませんけれどもたまたまそういう点がありまして、せっかくの治水対策、まあ道路の問題でしたら、少し不便を感ずれば、二年や三年おくれても、これはまあその地方だけの人の問題で済むことでありますけれども、たとえば治水関係の災害防止の河水統制というような場合になりますというと、そのために何千人という死傷者が出るし、何万町歩という田畑
それがいわゆる河水統制にもなるし、あらゆるものに利用されるところに特定多目的ダムの意義があり、またその活用いかんによって、いわゆる民生の安定、経済基盤の確立をかち得ることにもなるのでありまして、この辺に関しましても、やはり幾多の考え方の違いというようなものがここにあろうと思います。