1952-05-19 第13回国会 衆議院 建設委員会 第32号
港湾專門もあれば、道路專門もあれば、河川專門もあれば、建築專門もあるから、それらのものがすべての技術の最高峰を持するのには運用上どうか、というようなお話もありましたけれども、それはたとえば東大の総長を選ぶ場合にも、あるいは理科からも出るでありましようし、あるいは文科からも出るでありましよう。
港湾專門もあれば、道路專門もあれば、河川專門もあれば、建築專門もあるから、それらのものがすべての技術の最高峰を持するのには運用上どうか、というようなお話もありましたけれども、それはたとえば東大の総長を選ぶ場合にも、あるいは理科からも出るでありましようし、あるいは文科からも出るでありましよう。
これも先程申上げましたように、河川專門ではありませんから、或いは的外れのことがあるかも知れませんが、御参考までに申上げたわけであります。今よりも尚この治水の技術というものを民衆の手に握らせる、そうして住民の責任において治水技術をやるということが私は必要ではないかと思うのであります。
もともと我が国の河川技術者は、明治十一年以来段々專門化をいたしまして、大正三、四年頃には河川專門の学士が三百五十人もおりました。その当時の初代の技監は今以て我が国の治水の基を技術的に築いた沖野博士でありました。その沖野博士が、日本の河川は決して河川改修だけでは目的を達することはできない、あの上流の砂防を行わない以上はその万全を期することはできない。