2020-02-25 第201回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号
また、本事業の対象につきましては、河川中心でございますけれども、あと、ダムでございますとか、砂防、治山、これに係りますしゅんせつでございまして、地方団体が河川等の各分野の個別計画に緊急的に実施する必要がある箇所として位置づけたしゅんせつ事業を対象とすることといたしているところでございます。
また、本事業の対象につきましては、河川中心でございますけれども、あと、ダムでございますとか、砂防、治山、これに係りますしゅんせつでございまして、地方団体が河川等の各分野の個別計画に緊急的に実施する必要がある箇所として位置づけたしゅんせつ事業を対象とすることといたしているところでございます。
夜間でも月明かり程度の明るさで静止画の撮影が可能な簡易型のカメラも開発させていただいて、今、令和二年度末までに全国で約二千カ所の設置を進めているところでございますけれども、今回、台風十九号を中心に、河川の氾濫状況、いろいろなことが指摘されておりますので、こうしたことを踏まえて、更に設置の箇所数をふやしていくために必要な予算の確保に努めて、人家への影響が大きい箇所からになると思いますけれども、中小河川中心
たとえば長野県などは、河川中心なんですが、もう三年くらいで、長野県のいま見通している需要に対して底をつく状態にあるのですね、長野県などは。河川ですよ、山は余り取ってないですよ、ここは。そうしますと、長野県というのは、これからまだまだどんどん道路工事は特にあるのですが、長野県以外から陸送かなにかで輸送していかざるを得ないのですかね。
なお、そういう形の進め方の中では、当然建設省所管の河川中心のいわゆる保全対策、私のほうは山腹中心の保全対策というものを相関連させまして、中央におきまする連絡会議、地方におきましても、県を単位としまして地方連絡会議等を、実は具体的な姿において進めて、その中で実施しておるというのが現況でございます。
四十年度よりの治水五カ年計画を見ても、東北管内の四十二年度末における進捗率は約六五%と進んでおりますが、その内容があまりにも大河川中心に片寄り過ぎてはいなかったか、また農業政策との関連において、治水問題が軽々に扱われてはいなかったか——種々の疑念を抱かざるを得ないのであります。
大河川中心主義から中小河川へ重点を移すということになってまいりますと、いままでの五カ年計画の予算の進め方、いままでは大河川重点にやっておったが、それを少し予算を中小河川のほうへ回すのだというふうなことでやりますと、これは問題があると思うのです。伊勢湾台風であるとか、ああいう超大型の台風がやってまいりましたときには、まだまだ日本の国土はもろい。
全国的に申し上げまして、大河川が非常なはんらんを起こす、したがって大規模な災害を起こすということで、今日まで、何と申しましても、大河川中心であったことは、これは事実であります。最近の雨による災害が、それこそ大河川には起こらないで、中小河川に顕著に現実に起こっておる。
それからもう一つ、大河川中心で中小の河川をないがしろにしておるのじゃないか、こういう御質問がありました。そういうことはいたしておりませんけれども、御承知のように非常に雨の多い、河川の多い国でありますから、全部一挙にというわけにはまいりません。
私は、今までの建設省のやり方は、大体において大河川中心主義だと思う。これについては問題がたくさんございますが、やはり川を治めるには山を治めなければだめであります。今度の経験でつくづくそのことを感ずるのであります。どうかそういう意味で、私は治山計画について、もう少し建設省としては徹底した考えをもって予算もよけい充てて、計画的に実行しなければだめではないかということを感ずるわけであります。
そのほかは全般論といたしまして、ちよつと今までにない点を申しますと、強力な河川中心の総合委員会を設置してもらいたいというようなことが目新らしい点じやないかと思います。
そうして人身御供とかいろいろな方法によりまして水の神様の御機嫌を伺つた、こういう時代があつたのでありまするけれども、洪水は神様の仕業でない、水の仕業である、而してその起きる河川というものが一番大切だ、こういうような考え方からいたしまして、河川中心主義の治水対策が生れたのであります。