1982-10-12 第96回国会 衆議院 決算委員会 第10号
あるいはより軍事的分野の多いことにつきましては防衛庁にお願いすることもございますが、たとえば沖繩返還交渉……(井上(一)委員「そんなことは聞いておらぬ」と呼ぶ)いや、過去の例を申し上げますと、双方が分かれてやる、沖繩交渉のときには軍事交渉は防衛庁にお願いして外務省が協力する、全体は外務省が取りまとめるということがございましたとおり、いろいろの態様がございますが、外務省が基本的には対米関係の接触点になるべきであるという
あるいはより軍事的分野の多いことにつきましては防衛庁にお願いすることもございますが、たとえば沖繩返還交渉……(井上(一)委員「そんなことは聞いておらぬ」と呼ぶ)いや、過去の例を申し上げますと、双方が分かれてやる、沖繩交渉のときには軍事交渉は防衛庁にお願いして外務省が協力する、全体は外務省が取りまとめるということがございましたとおり、いろいろの態様がございますが、外務省が基本的には対米関係の接触点になるべきであるという
それは、たとえば一例で申し上げますと、あの佐藤内閣の時代でありましたが、当時アメリカのニクソン大統領との繊維交渉とか、沖繩返還交渉とか、こういう課題が進められていたときに、表の外交ルートの交渉、やりとりとまた別に、裏のルートから、何々大学教授という人が先方のニクソンの周辺の有力者との間に特別のコネクションを持って、裏の外交を進められた、こういうふうなこともいまでは歴史的な事実として明らかになっているわけであります
次に、政府が従来から繰り返して説明しておりますとおり、沖繩返還交渉の際に、御指摘のような核兵器持ち込みに関する密約のごときものは一切存在しておりません。(拍手) 〔国務大臣中曽根康弘君登壇〕
○説明員(丹波実君) 実は、私自身、沖繩返還交渉の担当官の一人で、すべて物事知っておるつもりでございますが、まさに当時、核つき返還という議論が一部にございまして、これが非常に大きな問題だったことは先生御記憶のとおりでございまして、しかしながら、結果的に安保条約及び諸関連取り決めの本土並み適用ということで日米間に決着がつきまして、核の問題をめぐりまして、別途裏で何らかの了解なり裏取り決めがある、こういうことは
沖繩返還交渉の暗黒部分が明らかになったいま、その真相を全面的に国民に語るべきではありませんか。 アメリカなど五カ国による環太平洋合同演習への自衛隊参加について、昨日、総理は、わが党金子議員の質問に対し、単なる戦闘技術向上のためのものと、こう答えられました。この答弁は、問題の本質と重大性を国民から押し隠そうとするものであります。
それで沖繩返還交渉を通じてこういうことをしたんですよ。 私は、この密使がだれかというのを訪米調査並びに国内でわが党は調べました。そして、だれであるかをわれわれは突きとめました。いま京都産業大学教授で、元防衛研修所の所員です。その後にマイヤー大使がニクソンあての手紙でこの人は日本の最高級指導者が信頼している人だという報告を送ってジャック・アンダーソンが暴露したこともある、その人であります。
これは、当時、アメリカ側で沖繩返還交渉についてリチャード・スナイダー日本部長とともに国家安全保障会議の作業グループのチーフとして大きな責任を負いましたモートン・ハルペリン、この人がイニシアチブをとって主任研究所員時代につくった本であります。
さて、きのうに引き続きまして、沖繩返還交渉に絡む密約の疑惑、これについてお伺いしたいと思います。 ここに、日本国際政治学会の昭和五十年に発行しました「沖繩返還交渉の政治過程」という本があります。
○福田内閣総理大臣 御指摘の点は非常に重大な問題に触れておるわけですが、日米間に、沖繩返還交渉当時のあの経過、あれは何か理解の違いがある、こういうようなお話であり、しかもそれが非核三原則に触れる部面において問題がある、こういうようなお話ですが、これはもう核の問題につきましては、あの返還交渉におきまして非常に神経質に、しかも厳密に話し合った問題であり、またそのことは、当時国会におきましてもるるお話を申
○福田内閣総理大臣 不破さんのお尋ねは、日米が沖繩返還交渉のときのあの核の扱いについて意見の食い違いがあるんじゃないか、こういうような御疑念でありますが、その御疑念、その御懸念は、これはもう不必要でございます。
一つ、核再処理問題、これがありますが、とにかく、沖繩返還交渉でありますとか、あるいは通貨論争でありますとか、あるいは繊維問題でありますとか、あるいはアメリカによる頭越し外交の問題とか、そういう角度の問題はないんです。まあ私は、日米二国間においては最も問題の少ない会談である、こういう理解であります。
○愛知分科員 多少私ごとになるかもしれませんけれども、私の父が外務大臣をやらせていただきましたときに、沖繩返還交渉をやらせていただいたわけでございますが、父から聞いた話を覚えておりますのですが、まず、いま大臣がおっしゃいますように、大事な交渉事のときには国民的な合意が何よりも大切であるということはそのとおりでございまして、いろいろな要素があるかもしれませんけれども、最後は、やはり当事者同士の人間関係
○立木洋君 きわめてあいまいだと思うのですが、それではさらにお聞きいたしますけれども、キッシンジャーが七三年の十一月に証言されたというものによりますと、沖繩返還交渉の中で、沖繩の核通過について、一時通過と一時中継貯蔵について日本政府に要求したということが述べられていますが、この点について日本政府がどういう態度をとられたのか、当時の外務大臣であります福田副総理から御答弁をいただきたいと思います。
○立木洋君 キッシンジャーが七三年の十一月に証言されている中で、沖繩返還交渉のときに日本に核通過の一時通過と中継貯蔵について日本政府に要求したという趣旨のことが述べられていますけれども、その当時の日本政府はどういう態度をとられたか。
○大河原(良)政府委員 沖繩返還交渉の中の一つの大きな、またむずかしい交渉の問題がVOAであったわけでございますが、種々折衝の結果、協定第八条に規定されておりますような措置が日米間で合意を見たわけでございます。
○政府委員(大河原良雄君) アメリカ側がVOAの放送というものの意義を、先ほど御説明申し上げましたようにとらえているということは、会議でも米側が言ったところでございますが、日本側といたしましては、そもそも沖繩返還交渉の際に、沖繩の本土復帰と同時にVOAの撤去ということを要求し、先ほど御指摘ございましたような交渉経緯を踏まえて、五年間はとにかく沖繩でのVOAの運営継続を認めるという合意ができたという事情
しかしながら、日本側といたしましては、VOAの内容いかんということではなくして、沖繩返還交渉当時からの長い経緯にかんがみ、また沖繩返還協定そのものの日本の合意にも照らして、先ほど来申し上げております基本的な立場に沿ったすみやかな措置を米側がとることを強く希望するということを繰り返しまして、結局、会議の最後に、米側といたしましては日本側のただいまのような立場を十分本国政府に報告いたしますということを約束
○政府委員(大河原良雄君) 沖繩のVOAの問題につきましては、沖繩返還交渉当時以来の長い経緯がございます。しかしながら、その経緯は経緯として、日米間で合意を見たものが協定に規定されているわけでございますから、この協定に従った適正な措置がなるべくすみやかにとらるべきであるというのが私どもの基本的な考え方でございます。
○政府委員(大河原良雄君) 先ほど来、政府のこの問題に対する基本的な考え方、立場を御説明申し上げておりますし、また今回の対米協議にあたりましてはその基本的な立場に立っての話し合いをやったわけでございまして、私どもといたしまして返還協定の定めるところに従ってこの問題が適正に処理されるべきである、またそのためには沖繩返還交渉当時以来の国内におけるVOAに対する考え方というものが十分尊重され、反映されなければいけない
沖繩返還交渉当時以来、P3を那覇空港から移転さして、早く那覇空港を民間空港にしたいというふうな方針のもとにこの問題に取り組んできているわけでございますが、P3の移転先につきまして、いろいろ経緯がございまして、現在移転先として考えております嘉手納における受け入れ施設の整備を急いでおりまして、明年春にはこの整備を終わらしたいと、こういうふうに考えておりますので、その整備が終わり次第P3を那覇空港から嘉手納
○大河原(良)政府委員 沖繩返還交渉の際に、この点が話し合われたわけでございまして、その結果の合意が、四十七年五月十五日の航空交通管制に関する日米間の合意になっているわけでございます。
○大河原(良)政府委員 沖繩の施政権が日本に返還されましたあとに提供されるべき施設、区域の点につきましては、沖繩返還交渉の過程におきまして、ただいま御指摘がございました了解覚書があるわけでございます。これは一九七一年の六月十七日に、日米間で合意を見た覚書でございますけれども、なるほど御指摘のとおりに、この了解覚書には、いまのアメリカン・リージョン並びにVFWにつきましては、何の言及もございません。
○大河原(良)政府委員 沖繩返還交渉当時以来、沖繩にありますアメリカのいわゆる特殊部隊というものにつきまして、国会等でいろいろ御議論ございました。当時、特殊部隊の一つとしていわれましたのがグリーンベレーというものでございますが、私、そのレッドベレーというもの承知いたしておりません。
それから、P3は那覇から嘉手納に移駐させるということにつきまして、ことしの一月二十三日に安保協議委員会におきまして合意の成立を見て、これを発表しているわけでございまして、嘉手納に移駐のための設備の提供工事を近く着工と、こういう段取りに至っておるわけでございまして、P3の那覇空港からの撤去につきましては、沖繩返還交渉当時からの長い経緯を踏まえての日米の合意でございますので、これをこの際変えるという考えは
牧港住宅地区につきましては、沖繩返還交渉の際に、代替施設完成による返還の問題は今後の検討の特定の主題とされるということが基本的に合意されているわけでございまして、二百戸を移しましたあとの千戸の問題につきましては、かねてから話し合いの対象には当然なっているわけでございますが、この問題が、今回の整理統合の計画の中でどういうふうに取り上げられるかということにつきましては、いまの段階では御答弁をいたしますことを
また、このSR71の沖繩における駐留につきましては、沖繩返還交渉当時からの問題でありました関係上、政府としては、SR71につきまして、先ほど申し上げましたようにかねて深い関心を持っているわけでございまして、米側に対しまして今回直ちに照会いたしましたのも、そういう背景のもとに行なったわけでございます。
○政府委員(大河原良雄君) SR71が沖繩返還交渉当時から問題になっておりましたことは、一つには、これが国際法に違反した行動を行なっているのではないかという疑念が国内に持たれておったわけでございまして、政府といたしましては、この点の疑念につきまして米側にそのつど照会し、米側は国際法に違反するような行動を行なっておらないということを確言してきているわけでございます。
一番端的なのは佐藤前総理の沖繩返還交渉でありますけれども、その場合に、沖繩の返還をアメリカに要求すると同時に、これはいろいろ世上伝えられるところでありますけれども、繊維について日本として一つのギブをしなければならなかった、こういうことだと思うわけであります。