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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-05-18 第77回国会 参議院 建設委員会 第7号

これは確かに従来の各種五カ年計画の中で予備費を投入いたしましたのは、沖繩本土復帰に伴う各種公共事業の際だけでございます。これは先生御指摘のとおりであります。しかしながら、最終的には実績の総事業費は二兆六千二百四十一億円となっておりまして、結果的には予備費を加えたものの枠を超しておるわけであります。  

竹下登

1972-04-13 第68回国会 衆議院 逓信委員会 第8号

○廣瀬国務大臣 沖繩本土復帰の折衝におきまして、私ども郵政省といたしましては、電波法を管理し、電波法を守っております立場にありますわけでございますから、ただいまお話しのように、VOAはアメリカ政府機関放送である、極東放送アメリカ法人放送である、この外国政府機関並びに外国法人はわが国内において放送できないということは、電波法で明記されておるところでございます。

廣瀬正雄

1971-12-18 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

日本電波法では、外国政府放送は許されないということになっておるのでございまして、平素電波法、あるいは放送法を守っております私どもといたしましては、そのような放送日本で行なわれということについては、もちろん反対であったわけでございまして、私、承っておりますが、前の郵政大臣の井出君も、そういうような姿勢でいろいろ努力をされたそうでございますけれども、先刻るる外務大臣からお話がありましたような沖繩本土復帰

廣瀬正雄

1971-11-08 第67回国会 参議院 予算委員会 第6号

国務大臣佐藤榮作君) これはもう所信表明でも申し上げたとおりでございますが、私自身が総理になりまして、そうして沖繩に参りまして、そしてその際に申したのは、沖繩本土復帰なくして戦後は終わらない、こういうことを実は申したのであります。ただ口先だけでなしに、私は、戦時中における沖繩県民、それが祖国防衛の第一線だったと、そうしてほんとうに、所信表明演説で申しましたように、全島焦土と化した。

佐藤榮作

1971-10-20 第67回国会 衆議院 本会議 第4号

もし批准書の交換ができないようなことになれば、多年の国民的願望である沖繩本土復帰が不可能になることをおそれるものであります。総理大臣の所見をお伺いいたしたいと思います。  第二は、ニクソン・アメリカ大統領北京訪問についてであります。  これによりまして極東情勢が全く変貌する、したがって、沖繩返還協定はやり直すべきであるという一部の議論に対してであります。  

小坂善太郎

1971-03-25 第65回国会 参議院 逓信委員会 第8号

沖繩本土復帰を明年に迎え、協会は万全の対策と理解を一そう深くしていただき、戦後二十六年もの間、苦悩を味わってきた百万の同胞に対し、いかなる点におきましても、本土並み電波を送れるよう、事業経営面においても、技術面においても、最大の努力をしていただきたいことを強く郵政大臣並びに協会に要求いたします。  

塩出啓典

1969-07-01 第61回国会 参議院 逓信委員会 第24号

しかし、沖繩援助計画については、条件等もおありのことだと思いますが、沖繩本土復帰の際は当然OHKの業務を引き継がれることとなりましょうし、したがって、OHKの現状の援助はいわば数年後というか、ここ二、三年間の先行き投資であり、このことも五十八国会のこの審議の中で、新谷委員その他の方から先行投資ということについて、当時の小林郵政大臣との間にいろいろお話があった模様であります。

村尾重雄

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