1982-07-05 第96回国会 参議院 決算委員会 第9号
沖繩復帰してことしでもう十年になるわけですがね。なんでこんなにおくれたんですか。
沖繩復帰してことしでもう十年になるわけですがね。なんでこんなにおくれたんですか。
○喜屋武眞榮君 いろいろと、激励、同情も励ましもあるわけでありますが、先ほど大臣もおっしゃったようにことし十年の節目を迎える、それで過去十年間に一体沖繩に対してどれだけの予算が、特にこれは防衛施設庁に求めたデータでありますが、沖繩復帰後における本土沖繩別駐留軍関係経費、こういう表が出されておるわけですが、これに基づいて私十年の足跡を分析して見たのですね。
私どもも、沖繩復帰以後この十年間におきまして御案内のように復帰後急速な人口の増加ということがございます。それとともに沖繩県産業が御承知のとおりその基盤の脆弱さがゆえに新しい雇用需要というものがなかなか生まれにくいという状況で現在まできたわけでございます。
もちろん個人の所有地を使用するわけでございますから、原則といたしましては使用者の合意による円満な賃貸借契約ということが一番望ましいわけでございまして、沖繩復帰以来、私どもその点で非常に努力しているわけでございます。 復帰時点におきまして必要な契約件数というのは二万六千件ございましたが、残念ながらその中で公用地暫定使用法の適用をせざるを得なかったものが三千件弱でございました。
沖繩復帰になりました昭和四十七年当時は第二次大戦の惨禍あるいは米軍の長きにわたる駐留の中で、本土の法体系をそのまま持ち込むことが必ずしもその当時の沖繩の実情にそぐわないということで、公用地暫定使用法というのを五年間の期限つきで制定されたものと思います。
次に、本年は沖繩復帰十周年を迎えるという記念すべき年に当たりますところ、この機会に沖繩問題についての所見を若干申し述べます。 政府としては、日米安保条約に基づく米軍の存在は、わが国の平和と安全、また、ひいては極東の平和と安全に寄与していると考えており、沖繩県における米軍施設、区域の円滑かつ安定的使用を確保することは、日米安保条約の目的達成のために不可欠であると考えております。
そのために立木伐採数量、広葉樹六百五十、五本、八・八一立方メーターを北部森林組合に払い下げる、こういうことについて沖繩の営林署が許可をしたと、こういう情報を入手しているんですが、これは、私が今月の十日、十一日、沖繩復帰振興計画の十周年の問題で調査に行ったとき明らかにされたものでございます。現在、沖繩の那覇空港は一日置きに制限給水をされまして、大変水不足で沖繩は苦労しております。
こういう内容をつぶさに私ども調べていきますと、一時的には沖繩復帰に伴う離職者の発生、こういう方々はどちらかというと中年から上の方々が多かったわけでございます。それからもう一つは、米軍基地の撤収、部隊の移動等に伴いまして、駐留軍労務者のいわゆる離職というものが非常に数多く発生して、この方々もわりと年齢的には商い方が多かったわけでございます。
那覇空港は民間専用にするというのが沖繩復帰の目玉じゃなかったですか。まさにあれは全くの自衛隊基地ですよ。滑走路だけを運輸省が使っているにすぎない。これじゃいけないと思うね。そこいらは全体としてどうなのか、可能なのかどうか、これは国務大臣としてやはりお答えいただかなければいかぬですね。
しかも、本委員会における委員の審議時間は、沖繩復帰に伴う特別措置法を一括審議したときと比べても八割程度にしかすぎません。 さらに、わが党が本委員会での審議の前提として提出を要求した資料のうち、たとえば「財政の中期展望」方式による昭和六十五年度までの財政予測値や、臨調事務局が集約したという大企業向け補助金一覧表などがついに提出されませんでした。
それから、こういう前例があるかということでございますが、これは沖繩復帰に伴う特例法案の場合におきましても、こういう特別委員会で御審議をお願いしました。沖繩の場合にも各省に関係することが決められておるわけでございます。
それで、四十四年に決められた五十万六千五百七十一人が、五十六年では一条定員が五十万二千二百九十九人、沖繩復帰特措法政令定員が八千六人、国立学校設置法定員が一万四千八百四十一人となっておりますので、合計しますと五十二万五千百四十六人であり、総定員法の五十万六千五百七十一人の最高限度をはるかにオーバーしているという状態となっております。
それから、沖繩復帰のときには、やっぱり特別措置で、経過措置で救済されていますね。それとの比較から言えば、私はいろいろ技術的な問題があるかと思うんですが、一律に外国人だけを優遇するわけにいかないということでけってしまうのは、少し厚生省としては行き過ぎじゃないかと思うんですが、どうですか。
それはなぜかと言いますと、沖繩復帰特別措置法第百十条によって、「当分の間」というこの布石があるわけなんですね。これによって食管法が適用されておらない。そうすると、「当分の間」という内容は、いつかはこれは本土並みに完全適用される、こういうことになるものだと私は理解いたすわけなのであります。その「当分の間」ということが解除されて本土並み完全適用、この見通しはどのように考えておられますか。
またもう一つ、沖繩のときに特別措置をとったことも私、承知しておるのでございますけれども、これは永久に日本国民になるのでございまして、また、われわれの意識としまして、沖繩復帰は国民ひとしく願望しておったのでございます。そういう意味で、外国人とそれから日本人を同等に扱うという問題と、復帰によって永久に本来の姿に戻ったという問題とはやや問題を異にするのではなかろうか、これが第二点でございます。
ひとつ大臣、さっきから私以外の他の委員もそれに類したことを言っておりますから、問題の所在は十分つかまれておると思うのですが、内外人平等の扱い、それから沖繩復帰の扱いのことも話がありましたけれども、そういった例からも経過措置ということがとれないのかどうか、重ねてお尋ねいたします。
政府は言おうとしませんが、一九六〇年の安保改定交渉以来、事前協議問題で日本とアメリカが最も突っ込んだ交渉をやったのは、沖繩復帰の問題について協議した一九六九年の佐藤・ニクソン会談でありました。
そこで、いままでの過去の四次にわたります五カ年計画の中で予備費の取り崩しをした実例は、沖繩復帰に当たりまして沖繩関係の整備費を予備費から充てたという実例がございます。それ一件のみでございます。
四次にもございましたが、この予備費と申しますのは、経済情勢の変動でございますとか新たな技術の進歩、あるいはその他予測しがたい事業に充てるための予備財源、したがって、こういった問題が起こらなければ使わないことも考えられるという、そういった性格の費用でございまして、どういうふうに使われたかという例を申し上げますと、第四次の予備費は、たまたま沖繩の復帰の時期に当たっておりまして、沖繩復帰に伴います、その事前
これは沖繩復帰の際にも、本土並み基地に縮小していく、少なくとも基地の態様については本土並みに持っていくということが国会決議もなされながら、今日まで依然として五三%あるということ、きょうはこの議論は避けますが、避けて通れない。
まず、沖繩の雇用失業情勢でございますが、これは沖繩復帰以来、沖繩の振興開発に鋭意私ども努めてきたわけでございまして、そういうことの中で、就業者の数というものはかなりの増加を見ておるわけでございますが、なお労働力人口の伸びが大きゅうございまして、全国平均の大体二倍半ないし三倍という非常に高い失業率を示しておるわけでございます。
そういう沖繩の特殊事情を考慮いたしまして、さきの沖繩復帰対策要綱、第三次要綱におきましても、実情を十分調査の上、国において適切な措置を講ずる、こういう基本方針を明らかにしたものでございまして、その方針に基づきまして、この関係事案を措置しようと考えておるところでございます。
○伊江朝雄君 目下、沖繩復帰十年目の、現行措置法からいって最後の年度の予算の編成が行われております。私はこの五十六年度の予算編成に当たりまして、大臣以下開発庁の皆様方の御努力に対して、あの中身からいたしまして大変に私は敬意を表します。
○政府委員(美野輪俊三君) 沖繩の復帰特別措置についきましてはただいま先生御指摘のように、沖繩復帰時に本土制度へ円滑に移行されるようにするために、言うなれば激変の緩和のための措置ということで特別措置がとられておるわけでございます。
御承知のように、沖繩復帰の際に、米軍が不法不当に強奪をした土地の取り扱いをめぐって、大変国会が混乱をいたしました。しかし、当時も与党自民党が絶対多数を占めておったこともあって、沖繩における公用地等の暫定使用法というものが強行立法され、さらに五年後の五十二年にもまた、この公用地法が再延長を見たことは御承知のとおりです。
○宮地政府委員 附属学校の設置についてのお尋ねでございますが、御案内のとおり教育学部の附属学校につきましては、四十七年の沖繩復帰の際に大学全体の統合計画との関連からその一環として整備をするという考え方で来ておりまして、今日まで概要、附属学校ということで対応してきたわけでございます。
それから、昭和五十年に行われました沖繩海洋博、これは沖繩復帰を記念いたしまして開催されたわけでございまして、もちろん沖繩という場所柄、交通の便等で当初の予想した入場者数より少なかったというようなことはございますけれども、「海——その望ましい未来」というテーマを掲げまして、沖繩復帰を記念いたしまして開催したことは非常な意義があったのではないかと思っております。
沖繩復帰前の沖繩国会で、米軍の占領中に核模擬爆弾の核投下訓練が行われたという問題を私はここで何遍も提起しました。そのときに佐藤内閣——佐藤首相、福田外相時代だと思いますけれども、沖繩が本土に復帰したら日本の領域の中で核投下訓練なんかはやらないでくれ、そういう問題を取り上げる用意があるかと言ったら、そのときに総理も外相も、絶対やらせないように米軍に申し入れる、やらせませんと約束しました。