1972-04-12 第68回国会 衆議院 外務委員会 第7号
○楢崎委員 ただいま主題になっておりますこの密約問題は、本来ならば昨年十一月の沖繩協定委員会でも私どもとしては取り上げる予定であった。当時の協定委員会の委員長は今日の外務委員会の委員長でありますし、私の質問の時間に強行打ち切りを提案された青木さんもおられるのでたいへん感慨無量であります。
○楢崎委員 ただいま主題になっておりますこの密約問題は、本来ならば昨年十一月の沖繩協定委員会でも私どもとしては取り上げる予定であった。当時の協定委員会の委員長は今日の外務委員会の委員長でありますし、私の質問の時間に強行打ち切りを提案された青木さんもおられるのでたいへん感慨無量であります。
○国務大臣(福田赳夫君) 吉野局長がおりませんので、私からお答え申し上げますが、電報を示しながら、ちらほら示しながら、衆議院の沖繩協定委員会で、こういう事実はあったのかなかったのかと、こういうお尋ねがあったわけです。それに対して吉野局長は、そういう事実はありませんと、こういうふうなお答えをいたしたわけであります。ところが、その事実はあるんです。
○国務大臣(福田赳夫君) 国連の中国非難決議につきましては、私が昨年暮れの参議院の沖繩協定委員会でしたかにおいても申し上げておるのですが、これはもう死滅したものなんだ、こういうことです。
自来、沖繩協定委員会、沖特委員会で終始いたしておりまして、内閣委員会の皆さま方には、本日初めて出席をいたしましてお目にかかる次第でございます。万事ふなれでございますが、ひとつどうぞよろしくお引き回しを願いたいと思います。(拍手) ————◇—————
○矢追秀彦君 時間がなくなりましたので、最後に総理に重ねてお伺いをいたしますが、この核撤去の問題については、いま、外務大臣からは、アメリカの責任ということを盛んに言われますけれども、それだけでは、ずっと沖繩協定委員会、この沖特委員会、衆参合わせましてずっとその点が一番問題になってきながら、いつもアメリカの善意を信ずるだけで要するに終わってきているわけです。しかも、もうあと四カ月という期間です。
そこで、こうなりますと、この間、十一月十一日の沖繩協定委員会で、福田外務大臣が、一九五一年二月一日の国連総会で、中華人民共和国を侵略者であるという決議がなされたものについて、この決議は事実上消滅したものと考えてよろしいというふうにおっしゃったわけです。
それも、申し合わせの時間が非常に制約されておりますので、たくさん聞きたいことがありますけれども残余は沖繩協定委員会のときに質問するといたしまして、きょうお尋ねしたいのは、たしか四十四年だったと思いますけれども、沖繩における戦前の郵便貯金、これを払い戻しするということをこの委員会で承認をしたことがありました。