1979-09-07 第88回国会 参議院 本会議 第4号
米軍の沖繩上陸演習をなぜ了承したかということでございますが、私も上田さん同様、沖繩がさきの大戦におきまして痛ましい戦禍の犠牲を受けておることに対しまして十分同情もし、これに対しまして政治が責任を持ってこたえなければならぬ多くの課題を抱えておることを承知いたしておるつもりでございます。
米軍の沖繩上陸演習をなぜ了承したかということでございますが、私も上田さん同様、沖繩がさきの大戦におきまして痛ましい戦禍の犠牲を受けておることに対しまして十分同情もし、これに対しまして政治が責任を持ってこたえなければならぬ多くの課題を抱えておることを承知いたしておるつもりでございます。
フォートレス・ゲールという戦後最大規模の米軍の沖繩上陸演習には、陸海空の自衛隊制服幹部が見学と称して参加しました。米政府は日米の陸海空の三軍統合演習を希望していると報道されています。 自衛隊増強も急ピッチです。七月十七日、防衛庁は、五十五年度から五十九年度までの中期業務見積もりをまとめましたが、これは事実上の第五次防衛力整備計画にほかならないではありませんか。
昭和二十年になると戦局は末期的様相となり、三月の硫黄島陥落、四月の米軍の沖繩上陸、つづいて五月のドイツ降伏など、情勢はいよいよ急迫化し、広島市は第二総軍司令部をこの地に迎えて本土決戦の一翼をになうことになった。
○河野(義)政府委員 先生のおっしゃいます十月十日の空襲以後の問題でございますが、それ以後、沖繩を戦地として取り扱っておるわけでございますが、これは、その十月十日の大空襲以降、沖繩につきましては連合軍の沖繩上陸の危険が切迫しているということと、それから、そうした中で、いま申しましたような大きい空襲もありますし、いろいろ沖繩を取り巻く、補給路も絶たれまして水とか食糧も枯渇した、衛生状態もきわめて悪い状態
(拍手) 太平洋戦争末期の沖繩上陸戦で、日本軍国主義者の手によって悲惨な全滅戦に駆り立てられ、わずか三カ月間に二十万の生命を失った沖繩同胞は、戦後本土から切り離され、アメリカの直接の軍政のもと、社会秩序がことごとく破壊し尽くされたのであります。凶暴な人権侵害、基地の建設のための無法な土地強奪、まさしく言いようのない圧迫と専制で苦しめられながら沖繩県民は闘い続けてきたのであります。
沖繩上陸三週間後、日にちは昨年の十月二十九日午前一時、まさに夜中であります。まっ暗やみであります。那覇市辻町、これは未婚の方でございますからA子さんにしておきます。二十歳の方であります。自衛隊員による婦女暴行未遂事件と実は新聞に出た。警察を調べてみましたら、傷害が何カ所もございます。暴行傷害とちゃんと書いてある。説明を全部受けてみました、那覇警察の署長さんから。
防衛庁のそっちの担当の方がおいでになるなら重ねてお答え願いたいと思うのですが、私、心配いたしますのは、ことしの一月二十七日から二十九日にかけて三日間、海上自衛隊佐世保地方隊が沖繩上陸に備えた警備強化をねらった訓練をやった。そしてそのことが、NBCというのは長崎放送でありますか、また、沖繩でもテレビを通じてそれが放送されて、沖繩で相当これが問題になった。
そういうことを強調する意味もあって、また外部からの沖繩上陸作戦とか本土上陸作戦みたいなああいうものが連想されるような形の戦争の形態は目下のところはないだろう、そういう、何と申しますか、一応の見通しと申しますか、理論的に考えられ得る一つのそういう展望みたいなものの意味で申し上げたのであります。
ただいま先生のお示しの硫黄島、沖繩上陸作戦は、あの当時はすでに日本は制海権なく、また制空権も持つていなかつたと私は判断いたします。こちらはほとんど何らの海上、空中において防衛する能力なく敵の上陸を許したものである、かように判断をいたしております。先ほど先生は原子爆弾と仰せになりました原子爆弾、誘導弾、これはもちろん非常な最高兵器であります。