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6件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2015-07-08 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第18号

そして、昭和二十年の六月の二十二日に、沖縄守備軍の組織的抵抗が終わった段階で、日本本土では義勇兵役法という法律が公布されて、男性の場合は十五歳から六十歳まで、女性の場合は十七歳から四十歳までを戦闘員として初めて戦場に出す法律ができたわけですよ。ですから、沖縄の若い十代の生徒たちは、何ら法的な根拠もなしに戦場に出されて、若い命を失ってしまったわけです。  

大田昌秀

2007-05-22 第166回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

これは、軍の命令によって集団自決沖縄戦の場合にあったということと、軍の命令はなかったという二つの説があるわけでございますけれども、実は私も戦争体験しておりまして、私の学校は四百名ほどの職員生徒がいましたけれども、沖縄守備軍司令部から一人の将校がやってきて、口頭でもって、今日ただいまから全校職員生徒は軍に動員されたということで、戦場に出されたわけなんです。  

大田昌秀

2007-04-11 第166回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号

したがって、当時の日本軍沖縄守備第三二軍、一木一草に至るまで戦力化する、根こそぎ動員ですよ。軍人と民間人との区別なしに戦場動員をする。それから、軍、官、民、共生共死の一体化、軍と官と民はともに生き、ともに死ぬという考え方を徹底して押しつけました。当時、沖縄守備の総指揮官である第三二軍司令官牛島中将は、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし、こういう命令も下していたわけです。  

赤嶺政賢

2000-02-01 第147回国会 参議院 本会議 第3号

沖縄守備隊の大田中将自決の直前に電報を打たれました。「一木草焦土ト化セン」「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と惨状を訴えられ、沖縄県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と締めくくられているのであります。  しかし、今日なお沖縄県民には基地をめぐる危機や不安が去っていません。このような状況を我々国民一人一人の問題として真剣に受けとめ、問題が解決されていくよう最大限の努力をしていかねばなりません。  

村上正邦

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