2015-04-06 第189回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号
そこで、一九九七年当時、遺族会からの強い要請で、当時の沖縄開発庁長官でありました鈴木宗男長官の理解を得て、御協力を得て、同年十二月十二日に対馬丸の沈没地点と予想された地点を深海探査船で調査をし確認され、同船の引揚げの要請が活発に行われたのでありますが、思いはかないませんでした。引き揚げることはありませんでした。
そこで、一九九七年当時、遺族会からの強い要請で、当時の沖縄開発庁長官でありました鈴木宗男長官の理解を得て、御協力を得て、同年十二月十二日に対馬丸の沈没地点と予想された地点を深海探査船で調査をし確認され、同船の引揚げの要請が活発に行われたのでありますが、思いはかないませんでした。引き揚げることはありませんでした。
昨年のこの分科会におきまして、武州丸の沈没地点における洋上慰霊、この実施につきまして御議論があったところでございます。この議論を踏まえまして、平成十八年度予算案におきまして、南西諸島(洋上慰霊)として事項を計上いたしておるところでございます。
その後、事故を起こした水陸両用車から流れ出た油が海面に浮かび上がっていることや、水陸両用車のキャタピラにより沈没地点周辺のサンゴが約二十メートルにわたり傷つけられていることが報告されています。 事故が発生してから三週間たったきょう現在、沈没した水陸両用車は放置されたままですが、引き揚げはいつになるのか、それを把握しておられるか、教えていただきたいと思います。
昨年発生した東シナ海での武装不審船、これが発見から沈没地点に至るまでの動きを見ますと、いわゆる中国のEEZ内の、中国側へ向かって逃亡したという航跡は明らかであります。この船が仮に北朝鮮から出航したものであるとすると、補給をどういうふうにしていたのか。
○山口那津男君 次に、海上保安庁長官に伺いますが、先日、沈没地点から水中カメラを入れまして調査を行われたと思います。今後、この調査の結果を踏まえて、沈没船を引き揚げるべきなのかどうか。私は、真相、事実の解明という意味で、あらゆる手段を尽くすべきであると考えます。
小さな問題かもしれませんが、私はそういうことについても政府の方からアメリカ政府に対してきちんとそんなことをやめるようにというふうにやらないと、複数回送り込まれた家族もおるやに聞いておりますので、そういう細かな政府の方からのアメリカに対する要請もしていただきたいということと、それから、関係家族が査問会議を傍聴したり、それからえひめ丸の沈没地点を自分の目で確かめたいということでハワイへ何度か渡航しておるようでございますが
それまで沖縄に行くたびに対馬丸遺族会からは、その沈没地点が確認できるのかどうなのかと。日米で四カ所があったわけでございますけれども、せめて沈没地点だけでも確認するように遺族会としても努力してくれというようなことでもって再三そういうことを言われておりまして、私なりにも調べてまいってきておった関係で思いもひとしおであったわけでございます。
つまり、新しい仕組みが、ダブルといいますか、人工衛星のインマルサット衛星でむしろ沈没地点はわかる。これから一番大事なことはやはり、船が沈んで、ライフラフト、救命いかだ、そこに乗り移って、その乗り移った人をいかに早く助けるか。これは、氷の海なんかでは、冬の海なんかは早く見つけないと凍死してしまうわけです。
○国務大臣(小泉純一郎君) 三月七日、沖縄の那覇港から約十時間かけて沈没地点に御遺族の皆さんと到着いたしました。 当日、心配されました天候も比較的穏やかで、慰霊祭も滞りなく無事なされましたけれども、五十年以上たってなおかつ生存者もおられた、御遺族も一緒に参加して悲しみを新たにされている姿を見まして、戦争の傷跡というのは深いなと。
○炭谷政府委員 実は、対馬丸の沈没地点についてはいろいろな経緯がございます。 実は、昭和六十年に対馬丸沈没地点について、四カ所、いろいろな資料から、その場所ではないかというものが出てきたわけでございます。四カ所にあると慰霊祭を行うについていろいろと支障があるということで、遺族の方から大変強い御要望が出てまいりました。
しかもその半分、七百名にわたる人たちが学童だったようで大変痛ましい事件だったわけでありますが、五十三年ぶりとはいえ初めて沈没地点で洋上慰霊祭ができて、遺族の方々、また奇跡的に生還された生存者も含めて慰霊祭が行われたということは大変意義深かったと思います。
私もその式典に参列させていただきましたけれども、関係御遺族の半世紀にわたる念願であった沈没地点での慰霊祭が実現して本当に深い感慨を覚えました。 大臣には、昨年十二月の対馬丸の船体発見後、直ちに厚生省としての洋上慰霊祭の実施を御決断いただきまして、大変短い期間にもかかわらず諸準備を進められて、今回の洋上慰霊祭がまことに厳粛に、そして無事に済みました。
そして、この沈没地点の確認に科学技術庁そして海上自衛隊が大きな貢献をしたということだけは、私どもは認識を深くしておかなければならないというふうに思っております。 そして、話は海上基地の問題に変わらせていただきますけれども、昨日、三月の十一日、沖縄関係省庁の審議官と大田知事との会談が行われました。その会談の内容を安達審議官から少しお話をしていただきたい。
そのときに、喜屋武会長のお話を聞きますと、沈没地点が四カ所あるのだ、そしてこの四カ所の地点で順番で慰霊祭をやってきたけれども、どうしても気持ちが伝わらない、だから沈没地点をはっきりと確認してくれ、そんな要請でありました。
また、海洋科学技術につきましては、ナホトカ号流出油災害事故における沈没部調査や学童疎開船対馬丸の沈没地点特定に大きな貢献をした深海調査能力に加え、昨年竣工した海洋地球研究船「みらい」や深海調査研究船「かいれい」等を活用して、総合的に海洋観測研究開発、深海調査研究開発などを推進してまいります。
また、海洋科学技術につきましては、ナホトカ号流出油災害事故における沈没部調査や学童疎開船対馬丸の沈没地点特定に大きな貢献をした深海調査能力に知友、昨年竣工した海洋地球研究船「みらい」や深海調査研究船「かいれい」等を活用して、総合的に海洋観測研究開発、深海調査研究開発などを推進してまいります。
○栗原君子君 ナホトカ号によります油の流出事故におきましては、船尾の沈没地点で油が噴き出しているという状況の中で界面活性剤が多量に使われたといった報道もあるわけでございますが、これらをごらんになりまして、環境問題を取り組んでいらっしゃる市民運動の人たちから、界面活性剤は大変有害なものである、こうした御指摘が随分とあるわけでございますけれども、これらについてはいかがだったでしょうか。
それから、船体、船の本体の部分ですね、先ほども総理が触れられました、隠岐島から百六キロ北北東ですか、そこの沈没地点もいまだにはっきり確認されていないわけですけれども、そこから流出したと思われる油膜また油塊、これはもう原因、沈んだところから油が出ているという上の部分、海上に浮き上がった部分、間違いないということがわかったのも、これも二、三日前の話だという、そういう状況であるわけです。
ぐらいは最近の最新技術を使えば潜水も可能であるというのが、参議院の喜屋武議員に対する政府の答弁書で出ておりますが、先例を見てみますと、これは一九四五年、昭和二十年八月二十二日に、サハリンからの緊急引揚者を乗せた三隻の船が国籍不明の潜水艦の砲撃を受けまして、一隻は自力入港したものの二隻が沈没、そのうち、小笠原丸の場合は民間人の努力でほとんどの遺骨を海底から収集できたが、泰東丸、八百八十トンについては沈没地点
そして、きょうもう一つ申し上げるのは、先ほど申し上げておりますように、滋賀丸の沈没地点は室戸岬の慰霊碑がございます、そこから東の沖へ約一・五キロ、水深は約七十八メートルの地点と言われております。
○政府委員(豊田実君) まず、最初の漁船の引き揚げ、技術的に可能かということですが、これまでの我が国の実績としては、最高深度五百メートルまでは実績ございますが、今回の沈没地点の水深は二千から二千五百と推定されておりますので、技術的には非常に困難というふうに考えております。
したがいまして、後ろに下がりました潜水艦と、前に進みまして沈没いたしました第一富士丸の沈没地点との間にはかなりの距離が生じておったのではないか、かように考えられます。