1954-05-19 第19回国会 参議院 水産委員会 第26号
におきまして漂流中の第三喜保丸、これは約二十トンで十名乗つておりましたが、これを救助し、又巡視船の「てんりゆう」は夜中の午前一時に花咲の南東約百五十マイルに漂流中の第一太平丸、これは十七トンで九名乗つておりましたが、これを救助し、又巡視船の「あぶくま」は同日の夜明方午前五時頃遭難中の朝海丸、二十五トンで十一名乗つていましたが、これと、第二ともりう丸、これは二十トンで八名乗つていましたが、それぞれを荒天下に決死的作業
におきまして漂流中の第三喜保丸、これは約二十トンで十名乗つておりましたが、これを救助し、又巡視船の「てんりゆう」は夜中の午前一時に花咲の南東約百五十マイルに漂流中の第一太平丸、これは十七トンで九名乗つておりましたが、これを救助し、又巡視船の「あぶくま」は同日の夜明方午前五時頃遭難中の朝海丸、二十五トンで十一名乗つていましたが、これと、第二ともりう丸、これは二十トンで八名乗つていましたが、それぞれを荒天下に決死的作業
修理が、仮開通の見込みが付くに至つたので、非常に望みをかけておつたのでありますが、又々常磐ルートの中継所でありますところの本田中継所が中川堤の決壊により、局員が全く不眠不休の防水作業にも拘わらず浸水の厄を受け、再び開通の見込を失うに至りましたが、栗橋附近の東北ルート断線個所修理班が、是が非でも東北ルートを復旧せしめなければならんと、幸手附近より濁流中を舟艇を操つて修理用ケーブルを運搬し、文字通り決死的作業