2004-03-30 第159回国会 衆議院 環境委員会 第5号
若干かみ砕いて申し上げますと、「本土決戦準備」という関係の資料で申し上げますと、現在の神栖町の配置図と、それから当時の展開していた部隊の大まかな配置図がございます、これを重ね合わせてみますと必ずしも符合しないということもわかりましたし、念のため、我々、この全国調査をまとめる際に、専門家の助言グループという、この分野に造詣の深い専門家に集まっていただいておりますが、その助言グループの中でもこの分野に詳
若干かみ砕いて申し上げますと、「本土決戦準備」という関係の資料で申し上げますと、現在の神栖町の配置図と、それから当時の展開していた部隊の大まかな配置図がございます、これを重ね合わせてみますと必ずしも符合しないということもわかりましたし、念のため、我々、この全国調査をまとめる際に、専門家の助言グループという、この分野に造詣の深い専門家に集まっていただいておりますが、その助言グループの中でもこの分野に詳
それでは、その「本土決戦準備 關東の防衛」の中身に独立混成第百十五旅団長相葉健少将の戦後手記というのが引用されて、その当時の部隊の配置図等が随分明らかにされているかと思います。これも図書館に所在しているのかどうか、公開のための審査に付するおつもりなのかどうか、戦史資料として開示の手続を進めていただいているかどうか、その辺、ちょっと御回答いただけないでしょうか。
「本土決戦準備」の中で、その参考とした資料ということで引用されておりますのが、先生御指摘のように独立混成第百十五旅団長相葉健少将の戦後手記という名前が載っておりますが、これは防衛研究所所蔵の戦史資料ではございません。これは、第三者から借り受けて参考にさせていただき、また返却したということでございますので、繰り返しになりますが、防衛研究所にはございません。
実は、この神栖の事案と陸軍との関係というものをまとめた資料がないだろうかとちょっと探しましたところ、防衛庁防衛研修所の戦史室がまとめて昭和四十六年の十一月三十日に発行された「本土決戦準備1 關東の防衛」という本がございます。 こちらの方、ついせんだって手に入れたんですけれども、この五百二十四ページの中に、この当時かかれている独立混成第百十五旅団の配備図というのがしっかりかかれているんですね。
ここに防衛庁の防衛研修所の戦史室がまとめました「本土決戦準備 一 関東の防衛」、二は九州の防衛の本ですね。この本の図がここで紹介している配付資料の図になるわけですけれども、ここでは、米軍の本土上陸を想定して、本土決戦の準備作業が記録をされています。米軍の行動パターンを予測して、南九州と関東地方に米軍が上陸することを想定して大規模な準備が行われていました。
○内藤功君 防衛研修所戦史室のつくった「戦史」というのがありますが、この「本土決戦準備」の「関東の防衛」というのを見ると、昭和二十年の六月八日に東京都の義勇隊の結成式が行われているという記事があります。これは当時の陸軍省兵務局におった課員がつくった資料ですから一番正確なものだと思うんですね。そうして六月の八日に結成されている。