2020-04-02 第201回国会 衆議院 本会議 第14号
日程が明確になったことにより、コロナ終息へ我が国が向かっていく決勝点も明確になったと言えます。日本のみならず、今後拡大が予想されるアジア、アフリカ地域などへの国際的な支援を展開しつつ、人類が新型コロナウイルスに打ちかったあかしとして、また東日本大震災から十年となる復興五輪の意義を込め、成功を期してまいりたいと思います。
日程が明確になったことにより、コロナ終息へ我が国が向かっていく決勝点も明確になったと言えます。日本のみならず、今後拡大が予想されるアジア、アフリカ地域などへの国際的な支援を展開しつつ、人類が新型コロナウイルスに打ちかったあかしとして、また東日本大震災から十年となる復興五輪の意義を込め、成功を期してまいりたいと思います。
だから、今から決勝点を決めるというのはおかしいかもしれないけれども、しかしやはりスタートと決勝点がきちっとしておることが、物事を実行する上においては成果が期せられるわけですね。何百メーター走っておっても決勝点がないというようなことならだれも走りませんからね。
ですから、今外枠をやっているわけですが、そういうものをきちんと出してこの法律の施行、こういうことにならないと、用意ドンと言ってもどっちが決勝点なのか、回れ右に走ってもいいんだということで、右回りも左回りも同じでいいんだというのと同じになってしまうのですね。やはりそれにはルールがなければいかぬと思うのですね、競争には競争のルールがなければ。
○大城眞順君 これから折り返し地点で、開発庁、それから自治省に御質問申し上げようと思ったんですけれども、折り返しかと思ったら決勝点に着いておるようでございまして、大変申しわけないんですけれども、二点。 まず一点は、防衛施設庁に質問だけしますので、後でお答えいただきたい。 ACMIは使っておるのか使っていないのか。使っておるんだったら、使った結果ぐあいはどうなっているのか。
一遍努力をして落ちついたと思いましたらまた動く、決勝点のないマラソンのような話になっては、とてもこれは企業はやれない。そういうことがございますから、私どもいろいろ御批判はあっても、やはり介入する場合には介入しなければならない。一生懸命やってまいっております。 G7のことでございますが、先ほどもおっしゃいましたように、やはり問題はアメリカの財政赤字というところ、貿易赤字というところにございます。
ですから、そういうことも一切外に出さないようにしてやっているんですけれども、例えば競技の決勝点はどうしてもこれは写さざるを得ない。どちらから写しても広告が入るように、もう既に主催者との簡でそういうことができてしまっているということになりますと、本当にスポーツの中継はどうしても避けられないという状況まで来ているのは現実でございます。
そうするうちに団地なんかができる、だからもつだろうということになると、行き着いたと思って、決勝点だと思うと、またテープを向こうに持っていって、もうちょっと走れということになって、いつになってとめどがつくかわからぬという情勢で非常に困るんだ。だから、一年間なら一年間に区切ってやってもらいたい。そして、一年間すればそれが定着するんじゃないか。国鉄も切るのが能じゃないと思うんです。
ところが、決勝点で誰が一番でゴールをきるかと待ちかまえていた多くの人達は、あまりに選手の到着がおそいのにやきもきしていました。あとで判ったところによると、そのマラソンのコースの途中で警官が選手に外国人登録証明書を持っているかを尋ね、呈示できない人は携帯義務違反ということで取調べを受け、マラソンどころではなくなってしまったというのです。そういう例が挙げられております。
四次防だって初めに計画したとおり船もつくれなければ戦車もできない、こういうところで何か安心感、めどを得たいという考え方から始まった、いわば決勝点をつくっておいて逆に理屈をつけたような気がするわけです。しかし、そんなわれわれの考え方と先方様とは関係がないわけでございます。先方様はもっと広いグローバルな観点からやり、必要に応じてどんどん極東に物を回してくればそれは抜かれっ放しになる。
私は、ただいままでもいろいろ指摘してきたところでございますけれども、本法案が成立いたしましても、それは決勝点ではなくて出発点でございます。
用意ドンで走ったら、決勝点に着く前ぐらいに次が用意ドンでざあっと走っていくというのですね。父母がこの運動会に参加をしても、自分の子供がどこにいるのかさっぱりわからない、こういう状態なのですよ。これはプレハブ教室の問題としてみたら、夏は暑くて冬は寒い、そういう問題でなくて、プレハブ教室を建てなければいかぬような状態というのは、運動場をこういう状態にするのだ、子供がけがをするような状態に追い込むのだ。
ところが、それを間違えて、スタートラインのときだけではなく決勝点のときにも平等でなければならないというふうにいたしますと、早く走れる人はゆっくり走り、ゆっくり走る人は無理に早く走らなければいけない。
来年どうなるか再来年どうなるかという見当もつかないでことしだけのことを言ったって、決勝点を決めない競馬みたいなもんだよ。馬券買えませんよ、これじゃ。二千メートル走っているのか三千メートル走っているのか見当つかないで、スタトには立ちました、とにかく走っています、どこへとまりますか、馬に聞いてくださいというような話ではどうにもならない。
カメのスタート点を前に置いてウサギのスタート点をうしろに置くなら、これは同時に決勝点に着くということもあり得る。そういうような逆な価格体系というのを、いまの資源の少ない日本、しかもインフレで困っている日本の今日の物価情勢、こういうものから見れば全然変えていかなくちゃいけないのじゃないのか。それが国民の生活を預かっているところの国民生活局やあるいは物価局の私は役割りじゃないかと思う。
スポーツにたとえますならば、百メートル走者の優勝者が決勝点に入ろうとした瞬間に決勝点を二十メートルほどあとのほうにずらしてしまうのと同じことだと言わなければなりません。私は、先ほど議運の理事懇でも話したことでありますが、相撲で申しますならば、横綱が押し出されようとした瞬間に、だれかが土俵のワクをすっと広げてしまう。このようなことがあったら、おそらく相撲を見ている観衆は黙ってはいないと思うのです。
ここで、本日ただいま自動車のすべての条件の自由化を行なったときに、日本の自動車産業がはたして何社生存できるのであろうかという、いわゆる決勝点から始まって、振り返って現在の走り方を検討してみようというような反省が見られないということ等は私も事実であると考えますが、しかし、いままでどおりの伸び率をもって自動車の生産並びに消費が伸びていくであろうということについては、幾ぶん、生産者側のほうも、そういうことは
○永井委員 四十三万トンというのは決勝点の願望で、その願望からそういう数字を計算したということになると、そのときの国際情勢や経済環境等にもよるわけで、いま五十年の年度を展望することは無理です。探鉱費二百十七億、こういうふうに言うと、非常に具体的な計画路線がしかれておるように見えるのですが、そういうものはないのですか。
今度は決勝点がきまってくるわけですね。期間の制約があるわけですね。それ以上長期にわたりできないようなところについては、市街化区域を指定してはいかぬということになっていますが、市街化区域と指定した限りにおいては、十カ年間にその地域の公共投資を完了しなければならぬ、こういうことになります。
しかし土地改良は、土地改良そのものが農家の収入を上げる決勝点ではないのでありまして、収穫を上げるための手段としての土地改良。ですから、増産されたものが、農家にとって収益がふえていく、こういう価格政策がそれに伴ってこなければ、何ぼ土地改良をやればたくさんものがとれるといったって、たくさんものがとれたら値段が下がるんじゃ、だれも土地改良をやる魅力がなくなる。
コルチナダンベッツォでスキーの耐久レースを見たんですが、ソビエトの選手はとにかく一生懸命で走ってきて、決勝点に入ったらそのままひっくり返ったのです。そして担架で運ばれていった。ですから、全力を尽くして、死ぬ一歩手前まで力を尽くして走ってきた。日本の選手はどうかというと、三十何位かで入ってきて、そのままのこのこ旅館に帰って、シャワーをかぶって、着がえて活動写真を見に行っている。