2006-03-31 第164回国会 衆議院 法務委員会 第12号
一番新しいのは池上警察署でした。一番古いのは警視庁の留置場でございました。本質的に差はございませんが、池上の方は施設も立派で、警視庁の留置場よりもいろいろな面ですぐれているという印象を持ちましたが、基本的にそんなに変わっておりませんでした。 全国で、私の地元でも、留置場をどんどん改造しております。
一番新しいのは池上警察署でした。一番古いのは警視庁の留置場でございました。本質的に差はございませんが、池上の方は施設も立派で、警視庁の留置場よりもいろいろな面ですぐれているという印象を持ちましたが、基本的にそんなに変わっておりませんでした。 全国で、私の地元でも、留置場をどんどん改造しております。
たとえばこれも一つの事例ですが、一九七四年十月、朝鮮総連の東京の大田支部の社会経済部長が金大中事件のビラ張りの許可申請を池上警察署に提出して、あわせて自分の名刺も出した。この人は地元に居住する活動家で、百も承知の上なんです、その人は常にこういうような届け出に来ているわけですから。にもかかわらず、名刺もちゃんと出しているにもかかわらず、あなた、登録証を持っているかと提示を求めたというのです。
四月十九日に検察庁に送るときには、まだ氏名不詳者になつておりまして、そのときは、池上警察署留置番号第四号、年齢三十歳くらい、たけ五尺二寸、細面の男というようなことで検察庁に送致されておりますが、五月九日に強盗、傷人、公務執行妨害で起訴されました。それからだんだん調べて参りますうちに、右の野島という者は、二月二十一日の蒲田事件の関係者であることがわかりました。
それは東京都中央区銀座西二丁目一番地に事務所がありまする株式会社中央機器製作所の専務取締役をやつておりまする那須栄という者が、警視庁管内池上警察署によりまして人権蹂躙をせられた事実についてであります。
なお古島氏あるいは加藤氏から申し上げたかもしれませんが、私どもが池上警察署に参りますと、まつたくの人違いであるのみならず、池上署自身も押収いたしましたいろいろの物件を返還するから取りに来いという通知を出しておるのでありまして、まつたくの人違いであることが判然いたしておるのにかかわらず、それに対する処置をとらない。私どもが訪問しても、まだ人違いであるかどうかわからぬということを捜査主任が言つておる。
それから四月十七日に池上警察署管内矢口派出所におきまして、午前七時ごろでありますが、工員らしい者が七名同派出所を襲いまして、某巡査をだまして屋内の休憩所に導入しまして、いきなり数名の者がこれに襲いかかつて拳銃を奪取いたしました。
その当日池上警察署を大挙襲撃するという一つの情報を手に入れましたので、警察側といたしましては、少くとも蒲田、大森、池上、あの方面に何か事が起るのではないかというので、相当警戒を厳重にいたしておつたのであります。ちようど二月二十一日の午後三時ごろから大森署管内にあります日本教具株式会社、これは今日本機器株式会社と言つております。
それを目撃しておりました付近の者が、ちようどその付近を通行中の同じく池上警察署勤務の交通巡査にただちに急報いたしましたので、その巡査も現場に行き合せまして、この巡査と田中巡査が共同で一人の逃走中の男を逮捕いたしまして、ただいまこれを追究中であります。近く連累者も検挙を見ることであろうと考えております。
しかも奇怪なることは、池上警察署が今実際の犯人を留置しているそうでありまして、そこでこの会社の人たちがこれは違うのだ、この会社の専務の那須さんではないのだ、那須さんはちやんと家にいる、この人間は違うのだと言つているにかかわらず、全然取上げない。
一番重大なことは、建築許可後P・T・Aの反対運動が起つたという記入でありますが、これは地元のかたも御承知でありますが、八月の末日に総会を開かれまして、九月八日には池上警察署を訪れ、P・T・Aの反対運動はすでに起つておつたので、教育長がそれをキヤツチしなかつたのであります。で、特に重大と思われますのは、これに添付された参考図であります。
その次にこの署長は大橋英雄という署長と聞いておりますが、この署長が辞められるときに、これは池田益太郎証人にお伺いしますが、あなたは池上警察署の防犯会長ですか。防犯会に関係しておられますか。
○証人(梶原泰治君) この問題は一応大森高等学校がこの反対運動に立ちます前の問題でありまして、これは池上小学校で池上警察署に陳情に行かれたときの状態でございます。