2016-04-25 第190回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会農林水産委員会連合審査会 第1号
江藤淳さんが、保守とは感覚であるということを述べています。私は、保守というのはそういうものかもしれないと思っておって、保守主義というイデオロギーがあるのかというと、そういうイデオロギーがあるとは思わない。 京都へ行きますと、私は保守ですから共産党に入れますという人がいるらしくて、なるほど、そうなのかと思ったような気がいたしますが。
江藤淳さんが、保守とは感覚であるということを述べています。私は、保守というのはそういうものかもしれないと思っておって、保守主義というイデオロギーがあるのかというと、そういうイデオロギーがあるとは思わない。 京都へ行きますと、私は保守ですから共産党に入れますという人がいるらしくて、なるほど、そうなのかと思ったような気がいたしますが。
簡潔にいきたいと思いますが、かつて、亡くなられた江藤淳さんが、日本の国会とイギリスの国会の違い、どこにあるかというと、一番大きな違いは、日本の国会は官僚がもっと民間を監督しろという、こういうことをおっしゃる、イギリスの国会は官僚が民間に口出してはいかぬという、こういうことをするのが国会の役割だと、こういうようなことを皮肉混じりにおっしゃっていたことがありましたが、私は、私立学校行政というのはそういう
ここに江藤淳さんの「日米戦争は終わっていない」という本があるんです。江藤淳さんはお亡くなりになりましたが、この中に、占領のときに日本に占領政策を、いわゆるSWNCC、占領委員会。これは、ステート・ウオー・アンド・ネービー・コーディネーティング・コミッティーという、SWNCC。この文書の第一号というのが今でも国連の敵国条項にぴったり合うんじゃないかという気がするんです。
しかし、文芸評論家の江藤淳という人は、今の陛下の平成流を次のように雑誌で批判されます。何もひざまずく必要はない、被災者と同じ目線である必要もない、現行憲法上も特別な地位におられる方であれば、見舞いは馬上であろうと車上であろうとよいというふうに言っておられます。 しかし、他人にどう言われても、天皇は目線を国民と同じレベルに置き続けるというふうに思います。
亡くなりました江藤淳さんが、このことを非常に詳しく書いてございます。余りにも厳しい検閲があって、この検閲があるということさえ国民には知らされませんでした。憲法はアメリカによってつくられたということさえ知らされませんでした。 私は、憲法が国の土台であり国の姿であると思っておりますので、どのようなものをつくるにせよ、国民が一緒に議論することが必要だと思っております。
それを告発したのが、たった一人江藤淳でありました。彼の、たしか「閉された言語空間」ですか、これは非常に大事な大事な資料ですし書き物ですけれども、彼はそこで当時の日本人のふがいなさ、特に日本の言論のふがいなさというものを告発していますけれども、実際に戦争中以上に微に入り細にわたる言論統制をやったんです。
この辺は、「一九四六年憲法」ですか、江藤淳さんの御本に非常に詳しく書かれておりますし、そのほかにも多くの事例がございますので、お読みいただければわかると思います。 私は、デモクラシーの根幹というのは、一人一人の国民が考えることによって築かれていくのだと思います。
清水幾太郎、江藤淳らが現行憲法を批判し、猪木正道や上山春平氏らがこれを擁護しました。 そして、いずれにせよ、この事件を境に、我が国民の安全保障問題に対する考え方は総じていわゆる現実主義的になり、憲法論議がタブーでなくなったのであります。 次は、イラクのクウェート侵攻に対して、平成三年一月に開始された多国籍軍によるイラクへの軍事的制裁がございます。
僕は第二の敗戦という江藤淳さんの言葉が大変好きなのです。日本はやはり第二の敗戦ですね、一九八五年、プラザ合意の後。やはりアメリカにいいようにされているんじゃないかというふうに一面で言えるし、同時に、自分で自分の国の形をつくる、この形、指針を失っているのではないのか。戦後日本の原像にもう一回立ち返っていいのではないか。それは何なのか。それは市民的諸活力をいかに強めるかですよ。
これまた既に出たかもしれませんが、当時の占領軍の検閲はまことに強力でありまして、亡くなった江藤淳先生が書いておられますが、大変強力かつ検閲をしていること自体がわからない検閲をしておりました。中でも、検閲の対象の一つは、憲法が外国製であるということをにおわせたりすることは一切まかりならぬという検閲をやっておりました。
○小渕内閣総理大臣 余計なことかもしれませんが、山本権兵衛大臣のお話は、かつて江藤淳氏作の「海は甦える」を私も大変愛読したものでございまして、その出処進退につきましては、私としても、これを見習う点多々あると思っております。 ただ、今回の問題につきましては、まだ真相のすべてが明らかになっておりません。
「海は甦える」江藤淳。これは、明治末期から大正にかけて、山本権兵衛総理大臣、元海軍省大臣です。そのときに、御存じのシーメンス事件が発覚して、当時の海軍機関少将藤井光五郎、少将ですから今の局長クラスですよ、本部長クラスですよ、彼がわいろを受け取ったということで、ちょうど大正三年ですか、一月二十三日に時事新報がこのシーメンス会社贈賄事件を報道いたしました。
文芸春秋には、江藤淳さんもそういった金額をたしか指摘しておられた、こう思うのですが、これが一般のマスコミの常識であります。市場も、額面割れだ、こういう形で審判をしているわけですね。もう五十円そこそこ、切ったりしているわけですからね。 これは、どうなんでしょうね、検査方法に問題はないのでしょうか。
過般、新聞紙上を拝見をいたしておりましたら、鈍牛たる私、火牛となって走れ、そういう江藤淳さんのお言葉もございました。私も、微力でございますけれども、全力を挙げて、火の牛ともなってこの事態に十分対応したい、こう考えておりますので、御支援のほどを心からお願いいたします。ありがとうございました。(拍手) 〔国務大臣宮澤喜一君登壇〕
大正大学の教授で文芸評論家の江藤淳先生が申しておられる言葉、今の日本は普通の国どころか、変な国ですらなく──変な国ですらないんですよ。国とは言えない奇妙な実態が国ごっこをしているにすぎない、こういうふうに言っておられます。これは、政治、経済、軍事、社会、文化、スポーツ等のあらゆる分野についてバランスがとれた国家でないということだと私は理解しております。
江藤淳先生が申しておられるように、今の日本は、普通の国どころか変な国ですらなく、国とは言えない奇妙な実体が国ごっこをしているにすぎないと思われるのであります。 国家が国家として、国として存続するためには、国内治安を維持するための警察と、国外からの侵略に対処するための軍隊を具備することが不可欠の要件であります。
江藤淳氏らの研究でその検閲の内容が徐々に明らかになってきた。検閲が三十項目あります。それを申し上げます。日本国の検閲、それは連合国GHQの検閲は、戦前の○○○、ペケペケペケというふうに消した検閲じゃないのです。どこを消してどこを入れたかわからぬようにする検閲なんです。検閲として最も巧妙で、最もマインドコントロールをきかす効力のある検閲だ。
ちょうどそのころ文芸春秋に、余り正確に覚えていませんが、江藤淳さんが論文を書かれて、今、地平線上にはこの資本主義イデオロギーにかわるものは影も形も見えてない、こういうことを言っておったんです。 今、私は、新しいものがもし出るとすれば人口とか環境について新しいイデオロギーが出てくる、必ず出てくるだろうというふうに思うんです。
そういうところに、文芸春秋で、私もよく本を拝読する江藤淳さんが、ある意味では激烈な記事を書かれておる。これはちょっと黙っておれないので、その弁解というふうな意味で承るという趣旨ではないのですけれども、御見解だけはこの場ではっきりお伺いしておこうと。激烈な批判文でございます。 「あなた方は」、あなた方というのは外務省のことですが、「一体皇族を外務省の特別職員とでも思っているのか。
作家で文芸評論家の江藤淳氏が日本新党を引き合いにし、代議士経験もなくて日本新党なら当選できそうだという一心で出馬した県会議員や松下政経塾出身者など三十数人の素人集団が一堂に会しているのを見るときに、私は心底ぞっとしたと、その心証を正直に話しておられます。この素人に対する嫌悪感こそが、プロの目を自任してはばからず、そこから越えようとしない作家江藤氏の限界であります。
先日の有識者会議におきましても、江藤淳東京工業大学教授は、「チームメートであってもルール違反したら、泣いて馬謖を切ることがなければならない。」こういう厳しい提言もされているわけであります。
既に報道されていることですから実名で申し上げますが、江藤淳東京工業大学教授は、諸外国の例を引きながら、日本古来の習俗に基づく儀礼であるから公式参拝は推進する。田上穣治一橋大名誉教授は、信教の自由と政教分離は別で、現在の靖国論争は戦争放棄の原理が影響している、それさえ避け得れば津地鎮祭の判例でよいのではないか。この両講師の論点がその後の小委員会の基調となっていったということです。