2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号
ちなみに、二〇〇〇年当初に文部科学省の庁舎の建て直しをしたときに、発掘調査において、当時、江戸城の外壁の石垣が発見されました。虎ノ門という地名がついていますので、まさしくその虎ノ門の周辺の遺構が出てきたわけですけれども、この遺構が見つかった際にも、この遺構を現地で保存して、一部を一般の方々に今公開しています。
ちなみに、二〇〇〇年当初に文部科学省の庁舎の建て直しをしたときに、発掘調査において、当時、江戸城の外壁の石垣が発見されました。虎ノ門という地名がついていますので、まさしくその虎ノ門の周辺の遺構が出てきたわけですけれども、この遺構が見つかった際にも、この遺構を現地で保存して、一部を一般の方々に今公開しています。
○松沢成文君 最後に、また大臣にもう一度お聞きしたいと思うんですが、いよいよ我々の東京の江戸城も、これ、私は再建をしていくべきだというふうに思っているんです。ただ、今、江戸城があったところは皇居になっておりまして、吹上の御所の方がある昔の西の丸の方には両陛下がお住まいになっていたり、あそこで様々な皇室関係の行事も行われて、宮内庁もあるわけですよね。
もともとこの日本の長い歴史の中で、都というのは都(みやこ)で、いわゆる今上陛下がおわす場所が首都であり、そこが国の中心、政治の中心であるということで、京都におわすときは京都が都(みやこ)で、東京に新政府が、明治政府ができたときに、江戸城に遷都されて王都になったということから、東京が都(みやこ)、東京都になる伏線ができたということで、もともと東京市だったというところも踏まえて、その中で、東京市が合併されて
○国務大臣(萩生田光一君) 江戸城について天守閣の復元を目指した活動があること、また、そのような活動のうち民間団体が主導するものがあることについては承知しています。 一般に、史跡等の往時の姿をしのばせる歴史的建造物を十分な歴史的根拠に基づいて復元することは、文化振興や地域の活性化に資するものであると考えています。
○松沢成文君 あと一分ですので、大臣、最後に、江戸城天守復元なんです。 これ、江戸城も江戸時代に天守閣があったんですね、明暦の大火で焼けていますけれども。これ、やはり首都東京の一つのシンボルとして、文化的なシンボルとして、あるいは地方創生の一つの起爆剤として、あるいは観光振興にもつながると思います。
○国務大臣(柴山昌彦君) 江戸城についても天守閣の復元を目指した活動があること、そのような活動のうち、NPO等の民間団体が主導するものがあるということについては存じ上げております。 全国でも天守等の復元の動きがありますけれども、一般論で申し上げれば、史跡等の往時の姿をしのばせる歴史的建造物を十分な歴史的根拠に基づいて復元することは、地域の活性化や文化振興にプラスになるというように考えております。
○松沢成文君 私も、やはり神社仏閣、城郭、そういうものを、もちろん文化財保護法ともしっかりと調整をしながら再建したり復元したりするということは、地域の文化振興にもなるし、あるいはすばらしい観光資源にもなるし、それをみんなで造り上げることが私は地方創生にもつながると思っていまして、是非ともこれ進めていきたいと思って、今、江戸城あるいは名古屋城の応援をしているわけなんですね。
次の質問に行きますが、ちょっと順番変えて、ちょっと江戸城天守閣の問題について質問をしますので、順番変わりますが、よろしくお願いします。 まず、大臣にお聞きしたいんですが、江戸城にも天守閣の再建というか復元構想があって、NPOの皆さんが一生懸命、私も入っていますが、市民活動を展開しているという事実を御存じでしたでしょうか。もし知っていたならば、そういう活動についてどのような認識をお持ちでしょうか。
無類の将棋好きで知られる徳川家康は、後に一世名人となる大橋宗桂らを江戸城などに招いて御前将棋を指させて、慶長十七年、一六一二年ですけれども、宗桂に俸禄を、給料ですね、を支給して棋士の地位向上を図ったという、こういう歴史がございます。
何度もこの委員会でも質問してきましたが、私は、江戸城天守閣の復元運動、NPO活動でもう六年ぐらい取り組んでいるんですが、その目的の一つが、日本の歴史的というか伝統的な木造建築技術、すばらしいものあります、この伝承を図っていかなきゃいけないという目的があるんですね。
次に、江戸城天守閣の復元の問題なんですが、実は江戸城も建地割図という設計図が残っておりまして、これに忠実に木造で復元できれば将来重文や国宝になれるのではないかということで、NPOを始め今財団法人もできて様々運動が進んでいるんですけれども、ただ、難しいのは、今残っている天守台が四代目の天守台なんですね。ただ、上の天守閣は造らなかったわけです、火事で焼けちゃった後。
そこで、提案したいのですが、今回の天皇の御退位、御譲位、そして新天皇の即位、さらには東京オリンピック・パラリンピックの開催などの御慶事を記念して、皇居東御苑、これ江戸城天守でいうと本丸跡のところですけれども、ここを是非とも天皇陛下から国民の皆さんにすばらしい御慶事でありますので御下賜をいただいて、恩賜公園あるいは城址公園として国又は東京都が整備をすれば、多くの国民、都民、観光客の皆さんにも大変喜んでいただけるのではないかと
私は、そういう観点から、江戸城天守閣の再建を目指すNPOで活動しておりますけれども、大臣、城郭復元の全国運動は私は文化の成長戦略になるというふうに考えておりますけれども、大臣はいかがお考えでしょうか。
なお、やぐら門の復元等の御指摘をいただきましたけれども、いわば武家の象徴である江戸城の遺構というものを、現在の皇室用財産として用いられている皇居内に復元するということについては、慎重な検討が必要ではないかなというふうに考えております。 また、三の丸尚蔵館についてお尋ねをいただきました。
そういう点では、皇室用財産、これは、いずれも我が国の芸術、文化の最高峰の至宝と言えるものばかりですし、あるいは、首都の玄関口である皇居、昔でいうと江戸城になるわけですが、そのやぐら門や吹上のきれいな緑であったり、お堀端であったり、それに映える美しい白壁を、塀をずっと復元していくような、そういう積極的な復元であったり活用というものに、大いに予算を投じてでも推進すべきではないかなというふうに私は個人的に
こういうところに大臣から是非とも、この城郭の復元については様々な効果が見込まれるわけで、これは江戸城だけじゃないんです、全国でもう十五の城郭で、本物の木造天守を造りたい、あるいは建て直したいという運動が市民運動でどんどん起きているんですね。
その上で、近世の江戸城には、徳川幕府初代将軍家康から四代家綱の時代まで天守閣が存在したが、一六五七年のいわゆる明暦の大火で焼失し、以降、再建されていないと承知しております。一般に、史跡等の往時の姿を忍ばせる歴史的建造物を十分な歴史的根拠に基づいて復元することは、地域の活性化や文化振興に資するものであると考えております。 一方で、御指摘の江戸城の天守閣復元を実現するためには課題があります。
実は、私はこの委員会で前下村大臣のときも何度か取り上げたんですけれども、今、江戸城天守閣の復元運動に取り組んでおりまして、今そのNPOがありまして、江戸城天守を再建する会、そのメンバーの一人としてずうっとここ数年活動をしております。
この丘は、江戸城を築いたことで知られている太田道灌が築城した稲付城があったところです。道灌死後、ゆかりの住職によって静勝寺というお寺が建てられて、現在、静勝寺には北区の指定有形文化財なども置かれています。境内一帯は稲付城跡として東京都の旧跡にも指定されている。 この静勝寺の高崎住職は、ある新聞のインタビューでこう述べています。
王宮と書いていますけれども、皇居も今東京にあるわけで、首都というのは、かつて石原慎太郎先生が天皇陛下がいらっしゃるところが首都なんだとおっしゃいましたけれども、江戸時代には江戸城が江戸にあり、天皇陛下は京都にいらしたわけでありまして、当時は、鎖国していたから首都というのを海外に言う必要はなかったのかもしれません。
これは、そもそも論、哲学の問題なんですけれども、本当に江戸城に天守閣を造ることが、徳川家のものであればいいんですが、今、天皇皇后両陛下がお住まいになっていらっしゃるという中で、そういう江戸城的なコンセプトと、今皇居としての位置付けとして天守閣が本当に望ましいのかという、そういうところから私はやっぱりもう一度議論をしていく必要があるのではないかというふうに思います。
この一両年は、東京都は、文化や競争力、利便性等においての国際都市比較においては順位が上がっているというふうに認識をしておりますが、そこでこの江戸城でございますが、この江戸城の天守閣については、再建、復元を望む声もあることは十分に承知をしておりますが、その一方、再建、復元を、では誰が主体的に行うのか、その財源や建築技術上の問題や遺構保全への影響など、様々な課題があるのも事実であります。
この皇居は、かつて江戸城であったわけですね。江戸城址であります。総理は、この江戸城にかつて荘厳な天守閣があったということを御存じだったでしょうか。それでまた、その天守閣は長い歴史の中でいつ頃存在したか御存じだったでしょうか。
○和田政宗君 大型の木造建築物を造る技術というのは日本の誇るべき技術だと思いますし、お城の天守閣、例えば江戸城の天守閣を忠実に木造で再建するとなりますと五層の天守になりますので、歴史的建造物の復元の観点からも規制を緩和できるところはしていただくよう、お願いをできればというふうに思います。 次に、建設、建築業界における伝統技能の継承と担い手の確保について聞きます。
○松沢成文君 この江戸城天守閣復元に向けて、私は二つの方針を示したいなと思っているんです。 一つは、もう絶対鉄筋コンクリートのようなものは駄目だと、見取図が残っているわけですから、もう木造で完全復元すると。そこで価値が初めて出てきて、将来的には世界遺産になっていく可能性もあるんですね、本物の復元ですから。 それともう一つは、税金を使わないということなんです。
一方、江戸城の天守閣の復元には課題があり、まずは天守台の所有者である宮内庁の同意が前提と考えるが、宮内庁は慎重と聞いている。
そこで、実は私も東京に何か文化の薫りをつくれないか、文化の創造ができないかと思ってずっと考えていたんですが、実は、江戸城、東京の真ん中に、今は皇居と呼ばれていますけれども、江戸城がある。ここは太田道灌、あるいは徳川家康が転封されて入ってきて、すばらしいお城を築いたわけなんです。 この江戸城は、近代城郭文化の最高傑作と言われたすばらしい天守閣を持っていたんですね。
地下水が流れ込んでくるのを全部キャッチするような、江戸城にめぐらせているような、ああいう巨大な掘り割りをつくって、地下水をそこで全部キャッチする、そして別の方向に流していく、そういう工法をやるべきではないのかなというふうに思いますけれども、それは、今後の技術屋あるいは知見の豊かな人たちの判断、検討にしたいと思います。 次に、作業員の被曝です。
江戸城が焼けて将軍を上野寛永寺に移そうとする本丸焼失後の議を退けて、すぐに西の丸に移り、そこを焼かれても本丸跡に陣屋を建てて江戸城を動くべきでないと決めたと。 要するに、本陣、司令塔はどっかりと江戸城の中に残って、そしてそこからしっかりと指示を出すんだということをはっきりと出したということであります。
坂本竜馬がいなくても、総理、総理には、江戸城を無血開城した勝海舟に倣って、総理の座を明け渡していただきたいと考えております。一次補正予算案をまとめたら総理はみずから身を引くべきだと進言をさせていただきまして、質問を終わらせていただきます。(拍手) 〔内閣総理大臣菅直人君登壇〕
江戸城の無血開城は西郷隆盛と山岡鉄舟でやったのよ、勝海舟はその功績を横取りした男なんだけれども。 まあそれは別にしても、あなたがそれほどの敬天愛人を座右の銘として唯一あがめられている、そういう精神の人物であるならば、こういう蓮舫のこういう行動に対して憤りがあるんじゃないですか。仙谷はもういいけど、蓮舫についてどうなんですか。