1978-06-08 第84回国会 参議院 内閣委員会 第17号
ところが、そこで手当てをいたしたわけでございますけれども、何か本人の妹さんが同じ市内の江南病院というところに勤務しておられるということで、家族からの要望でもって、手当てをした上でその江南病院に転送したのでございますが、残念ながら六十何時間、三日後にお亡くなりになった、こういうのが事故の概要として承っております。
ところが、そこで手当てをいたしたわけでございますけれども、何か本人の妹さんが同じ市内の江南病院というところに勤務しておられるということで、家族からの要望でもって、手当てをした上でその江南病院に転送したのでございますが、残念ながら六十何時間、三日後にお亡くなりになった、こういうのが事故の概要として承っております。
○政府委員(加藤威二君) 大阪の星ケ丘、それから千葉の松籟荘、仙台の迎光園、それから宮崎の江南病院、それから福岡の厚生荘、この五カ所でございます。それで、現在手元に全部あいている病院の資料が全体的にございませんけれども、星ケ丘等の例を見ますると、大体ベッドの二割程度があいているものじゃないかということでございますが、正確な数字は別途また調べまして御報告申し上げたいと思います。
○政府委員(加藤威二君) 結核ベッド数は、星ケ丘が四百四十四ベッド、それから松籟荘が五百五十ベッド、それから仙台の迎光園が二百四十五ベッド、それから宮崎の江南病院が百九十一ベッド、それから福岡の厚生荘が百四十六ベッドでございます。それで、あいているベッドの数は、まだ正確な資料がございませんので、調べて後ほど御報告いたします。
○参考人(曽我梶松君) ただいま専門に結核療養だけをやっておりますのは松籟荘と、それから仙台にあります迎光園、それから枚方にあります星ケ岡病院、それから宮崎にあります江南病院、大体そこがほとんど専門に結核療養をやっております。