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66件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1992-05-20 第123回国会 参議院 環境特別委員会 第8号

国務大臣中村正三郎君) 委員指摘のように、PCB回収処理については、四十七年四月にPCB汚染対策推進会議というところで政府の中でどう対応しようかということで分担を決めてやってまいりました。いろんな省庁で一どきに同じ仕事をやってもいけないわけですから分担を決めてやろうということで、回収処理通産省が担当するということになってまいりました。

中村正三郎

1988-05-12 第112回国会 参議院 商工委員会 第12号

具体的には、大気や水質の常時監視、あるいは化学物質環境安全性点検調査等による環境状況の把握とか、あるいは水銀等汚染対策推進会議等の活用による関係省庁公害防止対策総合調整、あるいは環境保全総合調査研究促進調整費によります関係省庁調査研究促進、さらには私ども国立公害研究所を初めといたしまして、現在では十三省庁、約五十の研究所で各種の公害関係研究を推進しておるところでございます。

清水浩

1987-07-29 第109回国会 衆議院 決算委員会 第2号

この汚染対策につきましては、四十七年の四月、関係省庁より成りますPCB汚染対策推進会議こういうものが設置されまして、総合的な汚染防止対策が推進されておるところでございます。  厚生省におきましては廃棄物処理法、これを所管する立場から、まず廃PCBそれからPCB入りノーカーボン紙、こういうものを新たに産業廃棄物として指定いたしました。それから処分基準を整備いたしました。

森下忠幸

1986-04-15 第104回国会 衆議院 決算委員会 第5号

岡崎政府委員 PCBが問題になりましたのは昭和四十七年でございますけれども、それ以来、PCBに対する汚染対策につきましては、関係省庁が、これは九省庁でございますけれどもPCB汚染対策推進会議というのを設けまして、各省庁がそれぞれの役割分担をいたしまして、それに基づいてPCB汚染対策を推進してきているというのが処理体制状況でございます。

岡崎洋

1982-03-23 第96回国会 衆議院 環境委員会 第3号

このPCBによる環境汚染は、もう十年以前になりますけれども昭和四十六年に大きな社会問題になりまして、政府PCB汚染対策推進会議というのをつくって対策を講じられた。にもかかわらず、十年も経て再びこういうような問題が起こってきたということに対して、環境庁はこの問題はよく御承知だと思いますけれども、どのような見解をお持ちか、お伺いをしたいと思います。

藤田スミ

1982-03-23 第96回国会 衆議院 環境委員会 第3号

当時、ノーカーボン紙などは回収されていったわけですが、きょうは造船所を所管していらっしゃる運輸省にお願いをしておりますが、運輸省政府PCB汚染対策推進会議のメンバーにも加わっていらっしゃったわけですけれども、一体この問題についてどのような対策をとってこられたのか、そして、はがした塗料の回収をどういうふうに指示されてこられたのか、お伺いをしたいと思います。

藤田スミ

1978-04-20 第84回国会 参議院 商工委員会 第9号

ところが四十八年十一月に、水銀等汚染対策推進会議決定によりまして苛性ソーダ製法転換というような問題が起こりました。水銀法から非水銀法への製法転換という問題が起こりまして、そのために約三千億円の投資が行われたわけでございます。その結果、新しい設備がつくられたわけでございますが、その過程におきまして非常に多くの過剰設備が発生をいたしました。

天谷直弘

1978-02-21 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

岩垂委員 そのことを前提にして、昭和四十八年十一月に水銀等汚染対策推進会議が設置をされました。苛性ソーダ水銀電解法の全面的な転換を進めることになったわけです。御理解のとおりに、隔膜法への転換を五十年九月までに三分の二、五十二年度末、つまりことしの三月三十一日までに全面転換をするというものでありました。  

岩垂寿喜男

1978-02-21 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

山田国務大臣 いま御指摘イオン交換膜法技術がまだ工業的に実用が可能になっていないということ、またアスベスト隔膜法製品ではわが国の需要をまだ十分に満たし得ないというような事情によりまして、昨年の五月の第四回の水銀等汚染対策推進会議で、全面転換の遅延ということもいまの実情ではどうもやむを得ないという結論に至っておることは、御承知のとおりでございます。

山田久就

1978-02-16 第84回国会 衆議院 予算委員会 第14号

そういう批判、世論を反映いたしまして、いま御指摘になりましたように、四十八年十一月には、十二省庁から成っておりますところの水銀等汚染対策推進会議、議長環境庁長官でございますが、この会議におきまして、いま御指摘になりましたように、既存、新設を含めすべて隔膜法転換すべし、そして昭和五十三年三月以降は日本から水銀法の工場がなくなるような行政指導通産省がすべきである、そういう方針が十二省庁会議におきまして

天谷直弘

1978-02-16 第84回国会 衆議院 予算委員会 第14号

いま局長がお話しになりましたように、昨年の五月二十五日の水銀等汚染対策推進会議を受けて、そこでは第二期転換が延期されましたけれども、それを受けていまお話の出ましたイオン交換膜技術評価専門委員会、またクローズドシステム調査専門委員会、こういうものが設けられ、いろいろ検討が加えられたということを承っております。

永原稔

1977-11-01 第82回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第6号

○山本(政)委員 長官水銀等汚染対策推進会議議長ですよ。それがどのくらい延期になるのか、そういうことはおわかりにならないのでしょうか。あなた、議長ですよ。(石原国務大臣「それはよく存じておりますが、ただ経過について詳しく……」と呼ぶ)経過についても、あなた、議長ですから、そのことは大体御存じのはずでしょう。そうじゃないのですか。

山本政弘

1977-11-01 第82回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第6号

長官は、水銀等汚染対策推進会議議長ですね。そうですね。この点、私は余り詳しく知りませんが、水銀法から隔膜法あるいはイオン交換膜法というのですか、そういうふうに転換をするということが四十八年の十一月の推進会議で決められて、五十二年度末までには全面転換すべきだというふうにそのときに話があったと、こう思うのですが、いま転換済み企業というのは六〇%ぐらいあると聞いております。残りがまだ未転換

山本政弘

1977-10-27 第82回国会 参議院 商工委員会 第2号

政府委員天谷直弘君) 昭和四十八年の十一月に環境庁にありますところの水銀等汚染対策推進会議におきまして、苛性ソーダ製法水銀法から隔膜法への全面転換計画行政指導方針決定をされたわけでございまして、それに基づきまして、以後製法転換を進めてまいり、第一期におきましては約六割の転換が行われたわけでございます。  

天谷直弘

1977-10-26 第82回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第2号

その後通産省としまして、PCB汚染対策推進会議決定に基づきまして、工業技術院でその処理方法についていろいろ検討したわけでございますが、一応一定の条件で燃焼すれば十分燃焼できるということが確認されまして、この結果をもとにいたしまして、関係企業にそういった処理施設を設けまして燃焼処理するように指示したわけでございますが、諸般の情勢によりまして、そういった処理ができないで今日まで至っておるわけでございます

滝沢宏夫

1977-05-26 第80回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第16号

特に、苛性ソーダ製法の問題で、昨日の新聞は「水俣病に代表される非惨な水銀公害追放のため国はカセイソーダの製法を五十三年三月までに水銀を使わない方法全面転換する政策を進めてきたが「水銀等汚染対策推進会議」(議長石原環境庁長、十二省庁で構成)は、二十五日午前十時から環境庁会議を開き、先に通産省技術上の困難を理由に提出していた転換期限延長要請を正式に認め、「出来るだけ速やかに転換する」との条件付

上田卓三

1977-05-26 第80回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第16号

柳瀬政府委員 通産省の方から三月二十二日にこの水銀等汚染対策推進会議課長クラス連絡会を開きました段階で、イオン交換膜法に五十三年の三月末までに転換するということはいろいろ技術上の問題で非常に無理があるという旨の説明がございまして、そこで環境庁といたしましては、そういう約束になっていたことに対してそれができないということはまことに遺憾な問題であるということと、それから業界が非常に無理だということを

柳瀬孝吉

1977-05-25 第80回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第6号

また、その開発促進するためにいろいろ手も打ったわけでございますが、大変残念なことにこのテンポにどうしても間に合わなかったということでございまして、今回の水銀等汚染対策推進会議合意事項の中にも、こういうような事情に立ち至ったことは、事が水銀に関する問題であるだけにきわめて遺憾であるというふうに申しておりますが、私どもはそういう気持ちでおります。

児玉幸治

1977-05-25 第80回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第6号

内田善利君 環境アセスメントはこれで終わりまして、最後に、きょう苛性ソーダ製法転換についての水銀等汚染対策推進会議の発表を見たわけですが、これは第三水俣病当時、こういう懸念は本委員会でも相当懸念されて、念を押して通産省等には質問をし確認をとった問題なんですね。

内田善利

1977-04-15 第80回国会 参議院 予算委員会 第21号

四十八年当時、ソーダ業界水銀たれ流しによって水俣病の原因を来したということはまだ記憶に新しいことでございますが、この際、三木元総理が環境庁長官でありましたが、四十八年十一月十日の水銀等汚染対策推進会議で、水銀法から隔膜法への転換について、五十年九月までに三分の二を転換を終わり、五十三年三月末までに原則として全面転換決定をしておりましたが、それが現在どのようになっておるか、お聞きをしたいと思います

桑名義治

1977-04-07 第80回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第7号

柳瀬政府委員 三月二十二日に、通産省の方から水銀等汚染対策推進会議を構成しております関係省庁に対しまして、イオン交換膜法技術開発のおくれによりまして全面転換を五十二年度末までに完了することは不可能な情勢となっているという説明を承っておるわけでございます。

柳瀬孝吉

1977-03-15 第80回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第5号

本論に入りますけれども苛性ソーダ転換問題についてお聞きいたしますけれども、四十八年に当委員会でも相当論議をいたしましたところでありますけれども環境庁長官中心になりました水銀等汚染対策推進会議ができたわけでありますけれども、この当時の理由と背景、これをお聞かせ願いたい。これは環境庁長官の方からです。

岡本富夫

1977-03-15 第80回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第5号

岡本委員 通産省の方は、技術ができても、中の設備をかえるのには相当かかりますからね、五十三年三月までに要するに水銀等汚染対策推進会議決定したことができないんじゃないですか。見通しは無理なんでしょう。そういうふうにまたあなたの方では分科会では答弁していますが、これはどうなんですか。

岡本富夫

1975-12-17 第76回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第4号

政府委員柳瀬孝吉君) 水銀汚染問題につきましては、昭和四十八年の六月に関係十三省庁から成ります水銀等汚染対策推進会議を設けまして、いろいろな対策を講じてきたわけでございますが、当時、水銀を排出するおそれのあった苛性ソーダ工業に対しましては、四十八年の十二月末までに水銀の関連の作業工程についてのクローズドシステム化を完了するということと、それから、なお、万全を期するために苛性ソーダ製造法を従来の

柳瀬孝吉

1974-04-12 第72回国会 参議院 決算委員会 第9号

どものほうでは、環境庁長官議長としまして置かれました水銀等汚染対策推進会議中心にしまして仕事を進めてまいりまして、現在まで三回会議を開いております。なおまた技術的な点につきましては、水銀汚染調査検討委員会というものを設けまして、その中に環境調査健康調査の二つの分科会を設けて、いろいろと企画だとかあるいは解析評価を行なっていく上の意見を聴取しているわけでございます。  

城戸謙次