1992-05-20 第123回国会 参議院 環境特別委員会 第8号
○国務大臣(中村正三郎君) 委員御指摘のように、PCBの回収処理については、四十七年四月にPCBの汚染対策推進会議というところで政府の中でどう対応しようかということで分担を決めてやってまいりました。いろんな省庁で一どきに同じ仕事をやってもいけないわけですから分担を決めてやろうということで、回収処理は通産省が担当するということになってまいりました。
○国務大臣(中村正三郎君) 委員御指摘のように、PCBの回収処理については、四十七年四月にPCBの汚染対策推進会議というところで政府の中でどう対応しようかということで分担を決めてやってまいりました。いろんな省庁で一どきに同じ仕事をやってもいけないわけですから分担を決めてやろうということで、回収処理は通産省が担当するということになってまいりました。
具体的には、大気や水質の常時監視、あるいは化学物質環境安全性総点検調査等による環境状況の把握とか、あるいは水銀等汚染対策推進会議等の活用による関係省庁の公害防止対策の総合調整、あるいは環境保全総合調査研究促進調整費によります関係省庁の調査研究の促進、さらには私どもの国立公害研究所を初めといたしまして、現在では十三省庁、約五十の研究所で各種の公害関係の研究を推進しておるところでございます。
この汚染対策につきましては、四十七年の四月、関係省庁より成りますPCB汚染対策推進会議、こういうものが設置されまして、総合的な汚染防止対策が推進されておるところでございます。 厚生省におきましては廃棄物処理法、これを所管する立場から、まず廃PCBそれからPCB入りのノーカーボン紙、こういうものを新たに産業廃棄物として指定いたしました。それから処分基準を整備いたしました。
○岡崎政府委員 PCBが問題になりましたのは昭和四十七年でございますけれども、それ以来、PCBに対する汚染対策につきましては、関係省庁が、これは九省庁でございますけれども、PCB汚染対策推進会議というのを設けまして、各省庁がそれぞれの役割分担をいたしまして、それに基づいてPCBの汚染対策を推進してきているというのが処理体制の状況でございます。
○森国務大臣 先ほどうちの政府委員が申し上げましたように、四十七年からPCB汚染対策推進会議を環境庁が取りまとめ役でやっております。この機能を発揮しまして、関係省庁と力を合わせてこの対策を推進してまいりたいと思います。
このPCBによる環境汚染は、もう十年以前になりますけれども、昭和四十六年に大きな社会問題になりまして、政府もPCB汚染対策推進会議というのをつくって対策を講じられた。にもかかわらず、十年も経て再びこういうような問題が起こってきたということに対して、環境庁はこの問題はよく御承知だと思いますけれども、どのような見解をお持ちか、お伺いをしたいと思います。
当時、ノーカーボン紙などは回収されていったわけですが、きょうは造船所を所管していらっしゃる運輸省にお願いをしておりますが、運輸省は政府のPCB汚染対策推進会議のメンバーにも加わっていらっしゃったわけですけれども、一体この問題についてどのような対策をとってこられたのか、そして、はがした塗料の回収をどういうふうに指示されてこられたのか、お伺いをしたいと思います。
ところが四十八年十一月に、水銀等汚染対策推進会議の決定によりまして苛性ソーダの製法転換というような問題が起こりました。水銀法から非水銀法への製法転換という問題が起こりまして、そのために約三千億円の投資が行われたわけでございます。その結果、新しい設備がつくられたわけでございますが、その過程におきまして非常に多くの過剰設備が発生をいたしました。
○岩垂委員 そのことを前提にして、昭和四十八年十一月に水銀等汚染対策推進会議が設置をされました。苛性ソーダ水銀電解法の全面的な転換を進めることになったわけです。御理解のとおりに、隔膜法への転換を五十年九月までに三分の二、五十二年度末、つまりことしの三月三十一日までに全面転換をするというものでありました。
○山田国務大臣 いま御指摘のイオン交換膜法技術がまだ工業的に実用が可能になっていないということ、またアスベスト隔膜法製品ではわが国の需要をまだ十分に満たし得ないというような事情によりまして、昨年の五月の第四回の水銀等汚染対策推進会議で、全面転換の遅延ということもいまの実情ではどうもやむを得ないという結論に至っておることは、御承知のとおりでございます。
そういう批判、世論を反映いたしまして、いま御指摘になりましたように、四十八年十一月には、十二省庁から成っておりますところの水銀等汚染対策推進会議、議長は環境庁長官でございますが、この会議におきまして、いま御指摘になりましたように、既存、新設を含めすべて隔膜法に転換すべし、そして昭和五十三年三月以降は日本から水銀法の工場がなくなるような行政指導を通産省がすべきである、そういう方針が十二省庁の会議におきまして
いま局長がお話しになりましたように、昨年の五月二十五日の水銀等汚染対策推進会議を受けて、そこでは第二期転換が延期されましたけれども、それを受けていまお話の出ましたイオン交換膜技術評価専門委員会、またクローズドシステム調査専門委員会、こういうものが設けられ、いろいろ検討が加えられたということを承っております。
○天谷政府委員 先ほど申し上げましたように、水銀法の転換に関しましては、現在行政指導の指針になっておりますのは、昨年五月の第四回水銀等汚染対策推進会議で決められた方針でございます。この方針は変わっておりませんので、われわれとしてはこの方針に従って転換の指導を進めていきたい。
○山本(政)委員 長官、水銀等汚染対策推進会議の議長ですよ。それがどのくらい延期になるのか、そういうことはおわかりにならないのでしょうか。あなた、議長ですよ。(石原国務大臣「それはよく存じておりますが、ただ経過について詳しく……」と呼ぶ)経過についても、あなた、議長ですから、そのことは大体御存じのはずでしょう。そうじゃないのですか。
長官は、水銀等汚染対策推進会議の議長ですね。そうですね。この点、私は余り詳しく知りませんが、水銀法から隔膜法あるいはイオン交換膜法というのですか、そういうふうに転換をするということが四十八年の十一月の推進会議で決められて、五十二年度末までには全面転換すべきだというふうにそのときに話があったと、こう思うのですが、いま転換済みの企業というのは六〇%ぐらいあると聞いております。残りがまだ未転換。
○政府委員(天谷直弘君) 昭和四十八年の第三水俣病が起こって世上騒然としたような時期におきましては、一日も早く水銀法から非水銀法に転換することが急務であるということで、水銀等汚染対策推進会議におきましてあのような決定がなされたわけでございます。
○政府委員(天谷直弘君) 昭和四十八年の十一月に環境庁にありますところの水銀等汚染対策推進会議におきまして、苛性ソーダの製法の水銀法から隔膜法への全面転換計画の行政指導方針が決定をされたわけでございまして、それに基づきまして、以後製法の転換を進めてまいり、第一期におきましては約六割の転換が行われたわけでございます。
その後通産省としまして、PCB汚染対策推進会議の決定に基づきまして、工業技術院でその処理方法についていろいろ検討したわけでございますが、一応一定の条件で燃焼すれば十分燃焼できるということが確認されまして、この結果をもとにいたしまして、関係企業にそういった処理施設を設けまして燃焼処理するように指示したわけでございますが、諸般の情勢によりまして、そういった処理ができないで今日まで至っておるわけでございます
特に、苛性ソーダの製法の問題で、昨日の新聞は「水俣病に代表される非惨な水銀公害追放のため国はカセイソーダの製法を五十三年三月までに水銀を使わない方法に全面転換する政策を進めてきたが「水銀等汚染対策推進会議」(議長・石原環境庁長、十二省庁で構成)は、二十五日午前十時から環境庁で会議を開き、先に通産省が技術上の困難を理由に提出していた転換期限延長要請を正式に認め、「出来るだけ速やかに転換する」との条件付
○柳瀬政府委員 通産省の方から三月二十二日にこの水銀等汚染対策推進会議の課長クラスの連絡会を開きました段階で、イオン交換膜法に五十三年の三月末までに転換するということはいろいろ技術上の問題で非常に無理があるという旨の説明がございまして、そこで環境庁といたしましては、そういう約束になっていたことに対してそれができないということはまことに遺憾な問題であるということと、それから業界が非常に無理だということを
また、その開発を促進するためにいろいろ手も打ったわけでございますが、大変残念なことにこのテンポにどうしても間に合わなかったということでございまして、今回の水銀等汚染対策推進会議の合意事項の中にも、こういうような事情に立ち至ったことは、事が水銀に関する問題であるだけにきわめて遺憾であるというふうに申しておりますが、私どもはそういう気持ちでおります。
○内田善利君 環境アセスメントはこれで終わりまして、最後に、きょう苛性ソーダの製法転換についての水銀等汚染対策推進会議の発表を見たわけですが、これは第三水俣病当時、こういう懸念は本委員会でも相当懸念されて、念を押して通産省等には質問をし確認をとった問題なんですね。
四十八年当時、ソーダ業界の水銀たれ流しによって水俣病の原因を来したということはまだ記憶に新しいことでございますが、この際、三木元総理が環境庁長官でありましたが、四十八年十一月十日の水銀等汚染対策推進会議で、水銀法から隔膜法への転換について、五十年九月までに三分の二を転換を終わり、五十三年三月末までに原則として全面転換を決定をしておりましたが、それが現在どのようになっておるか、お聞きをしたいと思います
○柳瀬政府委員 三月二十二日に、通産省の方から水銀等の汚染対策推進会議を構成しております関係各省庁に対しまして、イオン交換膜法の技術開発のおくれによりまして全面転換を五十二年度末までに完了することは不可能な情勢となっているという説明を承っておるわけでございます。
本論に入りますけれども、苛性ソーダ転換問題についてお聞きいたしますけれども、四十八年に当委員会でも相当論議をいたしましたところでありますけれども、環境庁長官が中心になりました水銀等汚染対策推進会議ができたわけでありますけれども、この当時の理由と背景、これをお聞かせ願いたい。これは環境庁長官の方からです。
○岡本委員 通産省の方は、技術ができても、中の設備をかえるのには相当かかりますからね、五十三年三月までに要するに水銀等汚染対策推進会議で決定したことができないんじゃないですか。見通しは無理なんでしょう。そういうふうにまたあなたの方では分科会では答弁していますが、これはどうなんですか。
○岡本委員 そうしますと、通産省の方では、水銀等汚染対策推進会議で決定をいたしましたとおり、五十三年の三月までに全設備を転換する計画、これはそのまま進めるわけですか。いかがですか。
○天谷政府委員 水銀法の苛性ソーダ製造法を隔膜法に転換することに関しましては、昭和四十八年十一月十日に環境庁を事務当局とする十二省庁から成るところの水銀等汚染対策推進会議におきまして、いま先生がおっしゃいましたような方向で転換をするということが決定されております。
○政府委員(柳瀬孝吉君) 水銀汚染問題につきましては、昭和四十八年の六月に関係十三省庁から成ります水銀等汚染対策推進会議を設けまして、いろいろな対策を講じてきたわけでございますが、当時、水銀を排出するおそれのあった苛性ソーダ工業に対しましては、四十八年の十二月末までに水銀の関連の作業工程についてのクローズドシステム化を完了するということと、それから、なお、万全を期するために苛性ソーダの製造法を従来の
そこで道庁としては、こうした調査結果に基づいて、環境庁に申し入れをしておるわけでありますが、この問題について、水銀汚染対策推進会議の議題にして、さらに環境庁としては、この問題を綿密に、やはり議題にされるお考えでありましょうか。
私どものほうでは、環境庁長官を議長としまして置かれました水銀等汚染対策推進会議を中心にしまして仕事を進めてまいりまして、現在まで三回会議を開いております。なおまた技術的な点につきましては、水銀汚染調査検討委員会というものを設けまして、その中に環境調査と健康調査の二つの分科会を設けて、いろいろと企画だとかあるいは解析評価を行なっていく上の意見を聴取しているわけでございます。