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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1954-04-27 第19回国会 参議院 水産委員会 第21号

○森八三一君 今の永野部長お話だと、私の非常に心配しておる取次ぎになつてしまうのです日本政府調査をして、これだけはどうしても被災者のためにやつてやらなければならんと計算をされたものがきまつてそれを対米交渉へ移して、向うのほうで容認された部分だけをやつてやると、こうなるというと、これは取次ぎになつてしまう

森八三一

1954-03-22 第19回国会 参議院 水産委員会 第14号

どうも今の永野部長さんのお話は、それはちよつと研究が薄いのじやないかな。というのは、今度投ぜられた爆弾の種類はまだ決定しておらないけれども、少くとも最低十二時間、二十二日間、三十日、コバルト爆弾の放射能に至つては二十年の長きに亘つて、そのうちにおけるところの細胞組織の破壊がその当時現われないとしても、二十年の間において出て来る場合がある。

千田正

1953-12-07 第18回国会 衆議院 水産委員会 第2号

○松田(鐵)委員 永野部長良心というものは実にりつぱな良心だと考えて私は拝聴しますが、しかしただいまの漁民が、そうして自分は底びきを廃業してまでも北洋許可を得たいという議論は、その漁民自体利益打算ということのみを考えておられるのではないかということをはつきり認識されておるかどうか、北洋漁業利益機船底びきの利益とはどうであるかということを御検討されたかどうかということを、まず第一に考えなければならないのではないか

松田鐵藏

1953-12-07 第18回国会 衆議院 水産委員会 第2号

先ほど赤路君からも李ラインの問題の意見等も出ましたが、おそらく水産委員の中には相当いろいろな意見を持つておる者がたくさんあると思いますが、行政だから水産庁がこれをやり、そうして苦しくなれば関係各県の主務部課長意見を聞いて決定するといつたようなことは、あまりにお上手過ぎるじやないか、永野部長は頭がいいということはわれわれ認めますし、これは周知の事実でありますけれども、頭のいいことはけつこうだけれども

川村善八郎

1953-06-20 第16回国会 衆議院 水産委員会 第3号

いいたしますが、永野生産部長は本委員会答弁されたが、たとえて言えば、いわゆるどの独航船をどの母船につけるとか、あるいは網をどうするとか、あるいは漁獲物の額をどうするとかいうような問題を話合いをして、それがきまらないうちは許可証を出しませんとはつきり速記録に残つておりますが、それは許可証を出してやつたところでこの問題でもし陳情が来て、帰るまでにきまらないときには、一体その責任を長官がとるのですか、永野部長

川村善八郎

1953-03-13 第15回国会 参議院 水産委員会 第22号

政府委員清井正君) 只今永野部長から御説明申上げましたのでございますが一なお附加えて申上げたいと思います。成るほど法律の建前といたしましては、こういうふうに一々特例法というようなものを制定する必要は、要するに本法にそれだけの規定があつて、それを打消す意味において特例法を出すということになるのであつて、御承知の通り漁業法の根本的な問題といたしきては、まあいろいろ問題はあるかも知れません。

清井正

1952-12-27 第15回国会 衆議院 水産委員会 第16号

水産庁としてはどこまでも原案を支持したい、これはわれわれにも考えられますけれども、永野部長も言われたように、これは原案であつて業者並びに関係者と協議の上で最終決定をしたいという意思がここに現われておりますし、特に去る十一月二十八日ですか、日にちは違うかもしれませんけれども、尾崎君も永野部長もいたときに、原案であるから業者等意見も聞いて最終決定はしたいということを数回述べておりますが、その相談をしたかどうかという

川村善八郎

1952-12-27 第15回国会 衆議院 水産委員会 第16号

びないのでありますけれども、遺憾ながら結論が出なければ、準備の都合や漁民志気等にも非常に影響いたしますし、さらに今後水産行政についておもしろからざることがあればたいへんであるということで、どうしても母船もふやし、さらに独航船もふやして、政治的な解決を見たならばいいのではないかという気持で私は参つたのでありますけれども、この問題もすでに暗礁に乗り上げておるようなかつこうになつておりますので、かつて長官永野部長

川村善八郎

1952-12-27 第15回国会 衆議院 水産委員会 第16号

○川村(善)委員 それでまだはつきり会社はきまつておらないということが明らかになつたのでありますが、さてもう一ぺん永野部長の言われた、八十五隻の独航船調査船の十五隻というものをわれわれの原案といたしまして、これで今後業者関係方面と協議いたして参りたい、こういうふうに考えております、それから母船の方は、これは今母船の数を何も限定して考えておるわけではありません、母船計画をよく検討いたしました上で、

川村善八郎

1952-11-14 第15回国会 衆議院 水産委員会 第3号

なぜかというと、昨年も一船団かせいぜい二船団で三十隻くらいが適当だろうといつて打ち出したのが、やはり五十隻になり、しかもその当時は調査船はあまり出したくないといつたような意味つたのが十二隻ということから押しても、最小限度に押えておかないと、百五十という線を出すと二百になる、二百という線を出すと三百隻になるので、そこは永野部長の手腕であつて敬服するところであります。

川村善八郎

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