2015-05-13 第189回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
当時の報道によれば、南原氏はこの発言について、全面講和を論ずることは自分にとって政治学者としての責務であり、それを初めから曲学阿世の徒の空論として全面講和や永世中立論を封じ去ろうとするところに日本の民主政治の危機の問題があると述べており、そのような考え方に基づく発言であったというふうに受けとめます。
当時の報道によれば、南原氏はこの発言について、全面講和を論ずることは自分にとって政治学者としての責務であり、それを初めから曲学阿世の徒の空論として全面講和や永世中立論を封じ去ろうとするところに日本の民主政治の危機の問題があると述べており、そのような考え方に基づく発言であったというふうに受けとめます。
私も、二十年来がんこな永世中立論者でありますけれども、私は自衛権というものを最高度に尊重するからこそ、中立政府をとり、非武装の方途を選ぶのです。憲法の中に、この長沼判決にも明らかなように、国の固有の権利としての自衛権なんというものをごうも否定なんかしていませんよ。法務大臣が、そういうふうに読み取れるところもあるかもしれぬとか、そんな控え目に言われることはない。
いまのところは、ただちに路程をそこまで組めないならば、永世非武装中立ということまでいかずとも、いま申し上げたオーストリア型のような形での永世中立論への志向ということは、外交政策上、真剣に考えてみなければならない課題ではないかと思うのですが、そこの御意見をひとつ伺いたい。
私はここぐ国際法上の永世中立論や、米ソに対するアジア第三勢力結集台頭による中立問題を論ずるのではありません。これはかりに別にいたしましよう。別といたしまして、私の尋ねたいことは、第二次世界戦争後中立の観念がかわつ来ておることを思うのであります。
これによつても明らかなことく、国際連合の一員たらんことを欲するものが永世中立論を唱えるがごときことは、まさに論理の矛盾といわんか、愚かといわんか、いたずらに世道人心を惑わす以外の何ものでもないのであります。
しかしながら現在の日本の進むべき道というものは、偏狭なる民族主義に陥つてみたり、あるいは経済基礎を持たない永世中立論に陥つてみたりすることは間違いであつて、やはりわれわれとしては世界との友好関係の中に立つての中立堅持という問題が、今後日本の進むべき道であると考えておるのであります。
(「ノーノー」と呼ぶ者あり)私は吉田首相が本当に国論統一こそ講和の絶対條件と考えるならば、ただ無暗に国民を侮蔑することなく、たとえ他党が全面講和・永世中立論を主張いたしましても、これ盡く憂国至誠の送りである以上、虚心坦懐に、よりよき真理と誠実を探究且つ切礎琢磨して、大同に統一するの大乗的襟度を以て行くことができないのかどうかをお尋ねいたしたいのであります。
首相は、自己の好みに合わざるものはことごとく曲学阿世であつて、全面講和や永世中立論は危險思想である、かように心得ておられるのでありましよう。これらは驚くべき独善であり妄断であります。反対党といえども、別な角度から憂国の至情に燃えておりますることは、あえて巡庭がないはずであります。私はここに強い不満の意を表し、これに反省を促して質問に入りたいと思うのであります。
更に又、永世中立論につきましては、これは日本だけが單独に意思表示をいたしましても、相手国たる世界の各国がこれを認め、個々にか或いは共同にか、日本の永世中立を確認する宣言を発して呉れなければこれ又問題にならんのでございます。こういうふうに考えて参りますと、問題が如何に困難であるかということは、吉田首相のその都度の発言に待つまでもなく、我々自身これを認めるところの問題でございます。
従いまして、今日一般に行われております中立論ないし永世中立論と、外政を担当されております政府当局の考えとの間には、相当な開きがあるようにわれわれは考えるのであります。そこでこういう問題につきましては、とかく国民も無関心でありますし、かつまた政府当局においても、昔ながらの知らしむべからずというような考え方が依然として根強くあるのではないかと私は考えます。