2011-11-07 第179回国会 衆議院 予算委員会 第2号
今、総理が言われたように、深海の深くに低温で高圧で氷状の塊のようにしてあるということです。日本でも東部南海トラフ、ここに大規模にあるというふうに推定がされている。 あるいは、海底の熱水鉱床、これは基本のメタルとか、あるいはガリウムやゲルマニウムのレアメタル、そうしたものが噴出した熱水に含まれていて、その後沈殿をしている。
今、総理が言われたように、深海の深くに低温で高圧で氷状の塊のようにしてあるということです。日本でも東部南海トラフ、ここに大規模にあるというふうに推定がされている。 あるいは、海底の熱水鉱床、これは基本のメタルとか、あるいはガリウムやゲルマニウムのレアメタル、そうしたものが噴出した熱水に含まれていて、その後沈殿をしている。
その上で、御指摘のありましたメタンハイドレートでございますが、海底約数百メートルの低温、高圧のもとで、天然ガスの主成分であるメタンガスが氷状になっている物質と考えております。
これは、メタンの分子が水の分子の中に取り込まれたものが高圧、低温の海底で氷状になっていて、これが日本近海に大量に眠っている。七・四兆立方メートル、これが、日本の天然ガスの消費量で計算してみますと、百年分の埋蔵量があると言われている。
新たなそういう消融雪装置等がポイントにできたところへ新たにラッセルを通した場合に、かたい凍った氷状の雪がそこへ挟まる、凝雪というのでしょうか、挟まる、そしてポイントが動かなくなるという新たな障害が起きていることも承知しております。しかし、これだけ近代化されたのに、どこに問題があるのだろうか。 一つは、線区全体としての輸送機能が発揮できるような対策に欠けるところもあるのじゃなかろうか。
それが雪が降って、そこを二台のバスが通って電圧ができて氷状になってハンドルをとられた、こういうふうな認識を私自身がしておるので、もう一回これはまた現地を調査するということにいたします。
ことしは幸いにスクリューの折損その他の事故はございませんでしたが、これはそのときにおきます氷状、あるいは氷に対して船をぶつけていきますその船の操船の諸条件、そういったこととのかみ合わせから、今後十分に研究をしなければならない事態が起こってくるんだというふうに考えておりまして、そういった点につきましては、技術関係者が推進本部その他関係者の会議をもちまして改善を加えておるわけでございます。
その後、本部といたしましては専門家の御意見を聞きますと、氷状がゆるんで自力でも脱出できる可能性はあるということでございましたが、最悪の場合に備えまして、いろいろな対策を本部連絡会を三回やりましていたしたわけであります。
そこをオビは割って入りまして、水路のすぐ近くまで、結局「ふじ」から二十一キロのところまで来たわけでございますが、そのところで、「ふじ」から飛ばしましたヘリコプターに、楠隊長、「ふじ」の艦長、オビの船長が乗りまして氷状の偵察をいたしました。その結果、水路までは容易であるが、東西に開けておる水路から「ふじ」に近づくことはこの氷状では非常に困難であるということで、そういうオビの船長の判断になりました。
そういうわけでございますが、また昨日、実は南極本部が、昭和基地と交信いたしました結果、昭和基地には「ふじ」の磯辺艦長、川口副艦長がヘリコプターで飛び、氷状について詳しく報告をしてまいりました。同報告によりますと、「ふじ」の東北東五百から六百メートルのところに幅五十メートルほどの水路ができてきました。この水路はさきに確認されております「ふじ」の北方十五キロ付近を東西に走る水路とつながっております。
大体そういうこともわかったわけでありますが、それはもちろん結果としてわかったわけでありまして、これは、ことしの氷状と申しますか、全部宗谷及び昭和基地の気象及び氷の観測を含めましての気象解析の結果とでございます。一応御報告いたしておきます。(拍手)
しかし、その後の気象なり氷状は非常に悪うございまして、具体的に例をあげてみますと、宗谷の砕氷能力は再改装によって相当増強されました。この全能力を常に発揮したのでございますが、前進は非常に困難をきわめまして、予備観測のときとは比較にならないほど困難をしました。それからまた前進するためにはそのつど船長がみずからヘリコプターに乗られまして氷状を偵察しなければ進めなかったということでございます。
○山本参考人 先ほど隊長からお話がありましたように、ことしの氷状が最悪であるかどうかということもわかりませんし、来年がどうなるかということも、これは非常に予測するところの資料が少いために、予測が困難なのでございますが、しかしやるからには、少くともことしのような氷状を想定に置いて計画を進めなければならないというふうに私個人としては考えております。
そこで、これに接近するように行ったんでありますが、だんだん氷状が悪化して参りまして、そうして三十一日には強力なブリザードに襲われまして、そうしてそのまま身動きならないようになってどんどん西の方へ流されていった、こういうのであります。そうして一月三十一日までに、約二百四十海里西の方へ流されたのであります。
それらをいろいろ判断をしてみますると、本年は非常に氷状が悪い。ベルギーでも非常に困難を来たした。ベルギーでも困難を来たしても、何もこっちが成功すればいいのでございますけれども、そういう状態でございます。
バートン・アイランド号と宗谷が二月の七日に会合いたしまして、それから西南の方向に航路をとりまして、二月の九日にその地点に接岸いたしまして、それから十一人の越冬隊員を収容いたしますと同時に、飛行機ビーバーをもちまして資材を約二万トン程度オングル島に運び入れましたが、その後この地方の氷状がだんだんと悪化して参りまして、バートン・アイランド号の艦長よりの示唆もございまして、二月の十四日に離岸いたしております
それによりますると、大体現在第二次越冬隊として三名を送り込んで、もっぱら航空機によって物資の輸送に従事いたしておったのでありますが、なかなか天候の関係でそれが困難でありますので、まずその三人をできるだけすみやかに船に収容いたして、その後宗谷及びバートン・アイランドは、その現地の氷状から見て、一刻も早くその地点を離脱しなければならない。
そうして二十六日前方にビーバーの発着可能と思われる開水面を発見いたしましたので、これに接近してビーバーを飛ばそうと思いまして、氷原に進入していったのでありますが、あいにくそのとき氷状が急激に悪化いたしまして、一進一退を余儀なくされまして、三十一日には強力なブリザードに襲われまして、その後はほとんど航行の自由を失いまして、完谷の全能力をあげ、乗組員全員の最善の努力にもかかわらず、大氷原とともに西に西にと
本観測越冬隊員を規模を縮小しても残すかどうかという問題は、先ほど申しましたようにいろいろ氷状調査、雪上車の運行が安全に可能であるということの見通しがつきましたときに、遂行してもらいたい、こういうふうに指示いたしておるわけでございます。
そうして二十六日、宗谷の前の方にビーバーの発着可能と思われるような海水面を発見いたしましたので、これに接近して飛行機を飛ばそうと思って氷原に進入したのでありますが、氷状が急激に変化いたしまして、一進一退を余儀なくされました。
実は、この間スクリューが折れましたときに、多少がっかりしたのでありますが、ある人が来られましてソ連でもアメリカでも、南極という所は大へんな所だ、三べんや四べん行ってもわかる所ではない、二十ぺん、三十ぺん行ってやっとわかるくらいの所だ、そこで、非常に毎年気象状況あるいは氷状も変るのであるから、まず無事に帰られるということが非常な成功である、だから、決してあなた方は落胆してはいけないということで元気づけられたのでありますが
しかし、聞きますところによりますと、本年は非常に氷状が悪い、各国とも相当苦しい状態といいますか、それを切り抜けておる、非常に努力しておると、こういうのでございますから、その真相につきましては、海上保安庁長官から発表をいたしておるのでございます。私は、この現地との連絡による海上保安庁の報告を国民の方々は御信頼を願うということが最も大切ではないかと思います。新聞の報道はいろいろございます。
そして二十六日に前方にビーバーの発着可能と思われるような海水面を発見いたしましたので、これに接近するように氷原に進入したのでございましたが、氷状が急激に変化いたしました。一進一退を余儀なくされまして、三十一日には強力なブリザートに襲われまして、その後はほとんど行動の自由を失いました。
そして現に松本船長のもとに船があるのでございまして、またその氷量、氷状、こういうことにつきましては、船長が一番よく知っており、また船長も刻々報告をいたしております。従って船長の判断、報告を東京の本部において牽制するとか干渉するというようなことはないのであります。
エンダービー付近の大陸そのものの偵察は、ヘリコプターの行動半径からしまして、直接これを写真におさめたり、あるいは肉眼で確認するという程度まではいきませんでしたが、先を急ぐ関係上、そのまま七日、八日と、大陸の偵察、氷状の偵察をやりまして、リュツォ・ホルム湾の方面に向けて、パック・アイスの外縁に沿いながら調査しつつ向ったのでございます。
それからなお閉さされました十九日になりまして、万一の場合を考慮されまして、オピ、グレイシャーに連絡をとれ、こういう指示がございましたけれども、われわれとしましてはまだ時期も早いし、その後の天候の変化によりまして、氷状が必ずよくなる、われわれで脱出するんだ、外国の砕氷船に御迷惑はかけなしという決心をしておりましたから、連絡はしましたけれども、別に砕氷依頼ということはやっておりません。
宗谷は二月の十五日の現地時間で十二時三十分に着岸位置を離れまして帰国の遂についたのでありますが、ちょうりど三十四海里のオープン・シーを、これはたやすく前進いたしました後にクローズ・パックに遭遇いたしまして一たん待機、二月の十七日に砕氷前進を始めまして、十時間にようやく八百五十メートルを前進したのでありますが、氷状悪化のために前進不可能となりました。
二、宗谷の午後四時二十分の位置は外洋へ直接向う針路上の氷状は悪いのでウォータースカイの状況から前項のオープンシーに入れば脱出に容易な氷海域があると考え西方に約一浬前進してこのオープンシーに入った。 三、海鷹丸はパック外縁を行動中である。同船と協同してオープンシーと外洋との距離を調査したところ密群氷の巾は約一〇浬である。 四、右の状況をオビ号に連絡し脱出にはまだ確信がないむね通知した。
それからというものは、宗谷の砕氷能力及び爆破状況より考えて、いろいろの方法を試みまして、非常に困難な状況のもとに前進を試みたのでありますが、十八日はまた厚さ四メートル程度の、直径十メートルから五十メートルのフローが密集いたしまして、その間にブラッシュ・アイスと申しまして、氷の粉になったのが層をなして盛り上ってきて、ことに変りやすい天候の変化によって氷状が好転しなければならないようになったのであります