1954-11-13 第19回国会 衆議院 農林委員会 第80号
現在におきまして水陸合計で六千二百七十万石という収穫予想を出したのでございます。これを九月十五日現在の試算収穫高六千四百六十三万石に比較いたしますと、百九十万石の減少ということになるのでございます。この百九十万石の中の減少のおもなる原因は、九月十五日以降に襲来いたしました台風十四号及び十五号の被害でございます。
現在におきまして水陸合計で六千二百七十万石という収穫予想を出したのでございます。これを九月十五日現在の試算収穫高六千四百六十三万石に比較いたしますと、百九十万石の減少ということになるのでございます。この百九十万石の中の減少のおもなる原因は、九月十五日以降に襲来いたしました台風十四号及び十五号の被害でございます。
五ページに水陸合計が書いてありますが、これによりまして、本年度の面積増加が、水陸合せて三万七千町歩ということになります。六ページには水稲及び陸稲の県別の作況指数が書いてあります。これは県別でありますから、ごらんをいただきたいと思います。 次の七ページに移りまして、横書きで第五表に被害状況が示してあります。第七ページが被害面積の延べでございまして、八ページが減収量を示しておるのでございます。
従いまして水陸合計におきましては五千四百四十一万五千二百七十石というわけであります。
これを石数で申し上げますと、水稲においては全国におきまして五千三百万八千八百石、陸稲におきまして百四十万六千四百七十石でございまして、水陸合計では五千四百四十一万五千二百七十石でございます。
これを一応石数に見積りますというと、概算の数字でありまするが、水陸合計いたしますと、六千百八十一万石と見込んでおつた次第であります。 その後御承知のような、また今朝来種々御調査の報告があり、御陳情がありましたように、八月以降の天候は、西南地方の一部を除きましては、はなはだしく悪くありました。
その総合作況指数は八月十五日現在、実際に申しますと、これを先立つ数日の間の調査でございますが、全国的には水稲平年比九五%、陸稲は一〇一%と見込みまして、この面積を、当時まだしつかりわかつておりませんでした作付の概略面積について仮試算をいたしまするというと、水陸合計で平年ならば約六千玉百万石に対しまして、水稲六千三十四万二千石、陸稲百四十七万二千八百十石、計六千百八十一万四千八百十石と見込んでおりました
これを合計いたしました水陸合計は六千百八十一万四千八百十石でございまして、昨年の実収高より減少すること四百三十三万七千石余と見込んでおります。 特に今年の特徴といたしましては、御配付申し上げました資料の九ページにあげておきましたが、被害に特に特徴があること御承知の通りでございます。
陸稲の平年収穫量につきましては、先ほどの参考表のBといううしろのもう一枚めくつて頂いた所で現わしております、百四十五万九千五百石を平年収穫高と思つておりますが、これに対しまして一〇一%、百四十七万二千八百十石でございまして、その水陸合計は六千百八十一万四千八百十石となるわけでございます。
何故かと申しますと、昨年は必ずしも悪くない、水陸合計して六千六百万石を超える作であつたのでありまして、終戦後では二十六年に六千数十万石の年があつただけでございますので、平年作を下廻ると申されたか、六千万石を或いは上廻ると申されたのじやないかと思います。
これを先ほど申し上げました生産割当の数量と比べますと、水陸合計で一〇三%で、要するに生産割当より三%増收という計算になつたのであります。このようにいたしまして、九月十日の数字を計算いたしましたところ、水陸合計で申し上げまして六千三百七十九万六千三百石という数字が出たわけでございますが、この数字は生産割当に対しまして一〇〇・八%、つまり〇・八増であるという数字が出たのであります。