2005-04-18 第162回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第8号
○水落敏栄君 自由民主党の水落敏栄でございます。 東アジア共同体構想につきましては、お話のように、ここ二か月の間、参考人の意見を聴取をいたしまして、委員各位の意見を開陳されたわけであります。 私も四月六日の本院調査会におきまして、自民党を代表して意見を述べる機会をいただきました。
○水落敏栄君 自由民主党の水落敏栄でございます。 東アジア共同体構想につきましては、お話のように、ここ二か月の間、参考人の意見を聴取をいたしまして、委員各位の意見を開陳されたわけであります。 私も四月六日の本院調査会におきまして、自民党を代表して意見を述べる機会をいただきました。
○会長(松田岩夫君) それでは、水落敏栄君。
○水落敏栄君 本委員会の調査室で作った参考資料によりますと、例えば社会保険病院五十二施設の中で黒字経営が三十五施設、赤字が十七、あるいは老人ホーム三十二施設で黒字が二十五、赤字が七、あるいは国民年金健康保養センター四十七施設で黒字三十三、赤字十四と、こうした例がございまして、さらに、黒字が出ておりましても、先ほどもちょっと議論ございましたが、国有財産減価償却費を計上いたしますとすべてが大きな赤字になってしまうと
○水落敏栄君 ありがとうございました。 終わります。
水落敏栄君。
○水落敏栄君 ありがとうございました。
○水落敏栄君 はい。
○水落敏栄君 そして、中国に対して来年度からの有償資金協力、どんなふうに縮小していくのか、さらにその無償資金協力や技術協力については今後どうするのか教えていただければと思います。
○水落敏栄君 現在、我が国の中間線付近で資源を調査を行っておりますけれども、今後我が国はどのような対応を取ろうとしておるのか、お聞きしたいと思います。
○水落敏栄君 事実であるかどうかだけで結構です。
○水落敏栄君 それから、最近残念な報道があったわけであります。それは、冒頭申し上げましたけれども、さきの大戦で不法にも国際法を無視して、軍人軍属、一般邦人、六十万人もの日本人を連行したわけであります。そして、強制労働をさせて五万五千から六万人の方々が亡くなった。
○水落敏栄君 北方領土返還運動、本当に長い歴史があるわけであります。一九四五年、当時の根室町長がマッカーサー元帥に対して陳情したことが始まり、こうして言われていますけれども、こうした運動の中で、ポツダム宣言受諾後に、また八月十五日の終戦以降にソ連が国際法を無視して北方四島を占領したことを、我が政府は国際司法裁判所など国際社会にその違法性を訴えたことはございますか。お尋ねします。
○水落敏栄君 ありがとうございました。時間が参りましたので終わります。
○水落敏栄君 残念ながら、私は、子ども・子育て応援プラン、まだよく把握しておりませんけれども、そこでお聞きしたいんですが、子供を産み育てることに対する公的支援策、どんなものをお考えでいらっしゃるか、このこともお伺いいたします。二、三例で結構です。
○水落敏栄君 それでは、文科省にお聞きしますけれども、子供の教育費への負担についてはどんな施策を取っているのか、教えていただきたいと思います。
○水落敏栄君 それでは、幼稚園に通う子供たちの場合、保護者の負担はどのぐらいになりますでしょうか、文科省にお聞きいたします。
○水落敏栄君 今日は先生から大変いいお話をお聞きしまして、本当に参考になりました。ありがとうございました。 そこで、両先生からのお話の中で、日中友好の一番のネックはやはり歴史認識の問題だと、中でも靖国神社の問題が一番のネックになっているんだと、こういうお話でございました。
○水落敏栄君 日本のメディアですか。
○水落敏栄君 自由民主党の水落でございます。 まだ議員になり立てでほやほやでございますから、質問の内容もいかがと思いますけれども、今日はこうして初めてこの会議、委員会に参加をさせていただけて、大変いいお話を聞かせていただきました。両先生には大変感謝をしております。
それでは、水落敏栄君。
○水落敏栄君 分かりましたけれども、余り納得はできないわけでありますが。 次に、激甚災害の早期指定についてお尋ねをいたします。 現在、災害による地方財政の負担を緩和して、また被災者に対する特別の助成措置を行うために、激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律が施行されております。
○水落敏栄君 ただいまの御説明のように、今回の地震による被害が広範囲にわたって、しかも被害額も甚大であります。現行法の枠内で国として被災地に対しどのような支援の手を差し伸べることができるのか、お聞きをしたいと存じます。 政府は、十月二十三日から被災者生活再建支援法に基づく被災者生活再建支援金支給制度を新潟県に適用いたしました。
○水落敏栄君 ありがとうございました。
○水落敏栄君 お話のように、第一次遺骨収集は昭和二十七年から三十二年まで、二次は四十二年から四十七年、第三次遺骨収集は昭和四十八年から五十年、そして五十一年からは補完的な遺骨収集になっていると、こういうお話でございました。大変なそうした計画的な実施、またこれに従事された方々は大変な御苦労があったことと拝察をするわけであります。
○水落敏栄君 承知いたしました。分かりました。そうした事情があったことも知っておりますが、改めて確認をさせていただきました。 なお、次、先ほど御報告いただきましたように、南方諸地域の御遺骨収集は、自然災害による地形の変化とか、地域の開発があったとか、情報提供者が死亡する、こうしたことで困難であったり、残念ながら土に帰ってしまったこともあって、極めて情報が少ない。
○水落敏栄君 是非、促進方をお願い申し上げたいと存じます。 来年一月にはロシアのプーチン大統領が来日するやに聞いておりますので、そうした際にもこうした遺骨収集についても是非働き掛けをお願いしたいと、このように要望いたしまして、時間になりましたので、私の質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
去る八日、橋本聖子君、椎名一保君、松村龍二君、中村博彦君、西島英利君、田浦直君、亀井郁夫君、沓掛哲男君、吉村剛太郎君、脇雅史君及び福島啓史郎君が委員を辞任され、その補欠として陣内孝雄君、愛知治郎君、山東昭子君、田中直紀君、後藤博子君、荒井広幸君、鶴保庸介君、北岡秀二君、狩野安君、佐藤泰三君及び水落敏栄君が選任されました。