1987-08-19 第109回国会 衆議院 外務委員会 第2号
基本的にはココム自体が冷戦構造の中でできたものであるということで、既に昭和四十二年でございますか、水田大蔵大臣時代に、いみじくも当時大蔵委員長が田村現通産大臣だったということのようでございますけれども、むしろこれは解消、縮小すべき性格のものであるという方向にあったわけでございます。
基本的にはココム自体が冷戦構造の中でできたものであるということで、既に昭和四十二年でございますか、水田大蔵大臣時代に、いみじくも当時大蔵委員長が田村現通産大臣だったということのようでございますけれども、むしろこれは解消、縮小すべき性格のものであるという方向にあったわけでございます。
いまお聞きのとおり、アフター・ケアの問題の中で、いろいろ施設がございますが、このコロニーの問題は、実は三十七年度に、すでに水田大蔵大臣時代に予算を六千万円取りまして、日本で初めての更生女子の収容施設を作る計画ができておったわけでございます。悲しいことでございますけれども、こういう仕事に行かれておるわれわれの仲間の方の七〇%の人は、少し知能の低い人でございます。
ずいぶん前水田大蔵大臣時代にもなかなかふん切りのつかない問題であったのでありますが、まあ状況が変化したというのでありましょうか、どういうことでありますか。とにかくこれは制限の撤廃論が総理であったというようなこともあるし、また証券業界があげて制限の全廃を望んでおったというような背景が実はあったわけであります。