1993-06-03 第126回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号
次に、今回の土石流によって流出した広域農道の水無川にかかる茶屋の松橋から水無川沿いを国道二百五十一号の水無川橋まで歩いて、橋梁、住宅、島原鉄道の被害状況を視察いたしましたが、土石流による被災した住宅、田畑の面積の広さに驚くと同時に、住宅の一階部分がほとんど土石によって埋まっており、大きな石が散乱し、また、島原鉄道の線路も土石をかぶって曲がっておりました。
次に、今回の土石流によって流出した広域農道の水無川にかかる茶屋の松橋から水無川沿いを国道二百五十一号の水無川橋まで歩いて、橋梁、住宅、島原鉄道の被害状況を視察いたしましたが、土石流による被災した住宅、田畑の面積の広さに驚くと同時に、住宅の一階部分がほとんど土石によって埋まっており、大きな石が散乱し、また、島原鉄道の線路も土石をかぶって曲がっておりました。
それで、四月の二十八日からの分については、比較的小規模なものが水無川沿いに流れていって、河口で堆積してしまって、それがだんだん広がっていって水無川流域の今回の被災となってしまった。 そういうことを考えますと、いよいよきのうから梅雨に入ったわけでございますけれども、視察のときに水無川関係写真ということでいただいた写真がございます。
そしてまた、今度現地を拝見しまして感じましたことは、昨年来、建設省等々御関係の皆様方が、水無川沿いに対する河川改修あるいは緊急対策工事、あるいは遊砂地の問題、あるいはまた国道五十七号線から下の海岸に至ります導流堤工事の問題、そういうことに大変御熱心なお取り組みをされておったわけでございます。今回、四月二十八日、九日、そしてまた五月二日、あの大きな九十五万立米といわれますものが流れた。
私どもは、水無川沿いに歩いて現場を視察いたしましたが、視界に入ってくるものは、地上に堆積した灰色の 土砂、軒先まで埋まっている家々、さらには人の背丈ほどもある巨大な岩石やところどころに転がっている流木であり、このような荒涼たる被災地の惨状を目の当たりにいたしまして、改めて土石流の脅威と堆積した土砂の排除の困難さを実感した次第であります。
さて、去る十五日十八時四十二分ごろ発生いたしました大規模火砕流は、おしか谷を経由し、水無川沿いに下り島原市の白谷橋、国道五十七号線に四、五百メートルのところでございますが、そこまで達するとともに、熱風は深江町大野木場地区まで及びました。
それから、通常災害でありますと、被害を受けた施設等を原形に復旧して、またもとどおりの生活がそこで始まるわけでありますが、大量の火山灰あるいは溶岩で埋め尽くされた水無川沿いの地域は、危険である上に葉たばこあるいはジャガイモ等すべて農地も灰をかぶっておる。したがって、もとに戻ることは不可能だと私は思います。