2021-05-27 第204回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第5号
したがいまして、トリチウム以外の個別の核種それぞれについて、WHOが定める飲料水基準との比較を行うということはしておりません。
したがいまして、トリチウム以外の個別の核種それぞれについて、WHOが定める飲料水基準との比較を行うということはしておりません。
一方で、WHOの基準というものは、一リットルに対して一万ベクレル以下であれば飲料水基準としていいよというふうに言っておりますので、百ベクレルとWHOの一万ベクレルというのは全く意味合いが違うということになります。
WHOの飲料水基準は一万ベクレルということですから、これの六分の一程度にして排出をするんだということ、これも併せてしっかりとお伝えをいただきたいというふうに思います。 もう一点は、タンクでの長期保管ができるのではないかという話をよく私のところに言ってこられる方がいらっしゃいます。
しかし、IAEAなどのいわゆる客観的な検査とか、あるいは、エビデンスに基づいた、トリチウムについては規制基準の四十分の一、WHOの飲料水基準の七分の一まで希釈するということですよね。だったら飲めるということじゃないですか。工業排水ですから処理はしなきゃいけないけれども、おなかを壊さないように。
パリ協定への復帰も含めて動向を注視をしていきたいと思いますが、現時点で分かっていることは、バイデン大統領が選挙時の公約でPFASの有害物質への指定や飲料水における規制の設定など、PFASに関する取組を強化していくことを公表していて、アメリカの飲料水基準を定めている環境保護庁、EPAが、飲料水中のPFASに関して、科学的な知見及び公衆衛生や環境保全のための権限に基づき取組を進めていくこととしている、そういうふうに
○江島副大臣 今の御質問の前に、先ほどの千五百ベクレルに関してちょっと申し上げますと、今、飲料水の基準、上限というのが、一リットル当たり一万ベクレルというのが飲料水基準ですので、それより以下であれば飲料水としてオーケーというのが国際基準ですので、それに比較すると、千五百というのは安心であるというふうに私どもは認識しております。
東京電力の公表した処理水を海洋放出した場合の予測につきましては、トリチウム濃度が周辺海域より高くなると想定される原発周辺でもWHOの飲料水基準を大きく下回るとされておりまして、このようなデータやトリチウムに関する情報をわかりやすく積極的に国民に対して発信していくことが非常に重要だと考えます。
そうしたところから算出されるところまで、あとどれぐらいの年数で飲料水基準に到達できるのか。そういったことから考えると、やはり、一つの重要な選択肢としては、今のまま同じようにこれからもため続ける選択肢を当分続けるというのは、私は現実的な選択肢だと思いますし、そしてまた、敷地内で限界が来ているというのは、敷地外は一体どうなっているんだという当然疑問が湧くわけであります。
しかし、土壌汚染対策法には、土壌の含有量基準と土壌溶出量基準及び地下水基準しかありませんでして、汚染ガスの、土壌ガスとか、そういう基準がないわけですね。そういう意味で、大気汚染のベンゼンの環境基準とか有害大気汚染物質に係る水銀指針値、これに基づいてリスクを評価していまして、この基準を超えたりしたわけです。
すなわち、石原、猪瀬の両都知事の時代に設定していた高いハードル、地下水基準というものでありますが、これを引き継いだと言っているんですが、その間に、舛添知事の安全宣言というのがあって、平田座長も安全宣言されていますが、舛添都知事が、これで法的な安全、私が何度も言っているように、法律、条例の法的な安全をちゃんとクリアしているのであると。
その三階に、豊洲市場だけに適用される地下水基準というのがあるんですね。三階建てなんです。ところが、東京都は、豊洲には地下水基準を適用しているけれども、築地には適用していないんです。これはおかしくないですかというのが質問なんです。
もし、この地下水基準が豊洲市場の、卸売市場の食の安全、安心を確保するために必要な基準なのであれば、これを築地市場にも適用すべきじゃないですか。
その使い方はいろいろ、飲むんだったら基準はありますね、飲み水基準があります。飲まない場合、例えば清掃、あるいは築地でやっているように水槽に使うとかいうこともあるかもしれません。用途によって基準はあるのかないのか。 この二つを更問いできょうは伺いたいんですが、私も忙しくて正確な通告ができていませんので、先にちょっと申し上げておきます。
実は、豊洲市場の地下水は、東京都が独自基準で、地下水基準、環境基準、飲み水基準に相当するような基準、これで議論を今大騒ぎしているわけですが、実は、築地市場で使っているろ過海水は環境基準を上回ったことがあります。報道もされています。これはきのう質問しました。これについてはそもそも基準がないんです。ないんですよ、基準が。いや、驚きましたね、本当に。一方の築地市場のろ過海水については基準がない。
地下水基準といって、東京都が独自に設けた基準です。国の基準じゃありません。東京都が設けた地下水基準、いわゆる環境基準、飲み水基準です。地下水を毎日二リットル、七十年間飲み続けてどうかというような議論です。 ところが、局長、また調べていただいたらいいと思うけれども、恐らくないわけでありまして、使わないんだから調べない、当たり前だと思いますね。
要すれば、地下水基準というのは将来的に達成するものだと、平成二十年七月の専門家会議の報告書では、将来的にというのが入っているわけであります。その後、先ほどあったように、技術会議とか整備方針ということで、それがシフトしていくわけであります。 次に議論したいのは、地下水管理システムなんです。
ところが、東京都は、豊洲に限っては上乗せの地下水基準、飲み水基準に近いというか、ほとんど、地下水を毎日二リットル七十年間飲み続けてもどうかというぐらいのものを求めている、求めているか求めていないかも実はよくわからないんだけれども、いずれにせよ、そういう過剰期待が生まれているわけです。
そもそも、東京都が地下水基準を、地下水基準というのは環境基準ですね、それをどこまで求めているのか。将来なのか今なのか、建物なのか建物以外なのか。
豊洲だけ、東京都議会で、かつて、当時の民主党と共産党に突き上げられた石原知事が、あるいは部局が、議会で責められるものだから、地下水まで飲み水基準できれいにします、地下水基準できれいにしますと言っちゃったんですね。だから、そこには過剰期待が生まれたわけです。
要は、一日に二リットル七十年間飲み続けても大丈夫という飲み水基準のさらに四〇%しか砒素は出なかったんです。ところが、こういうふうに豊洲市場というのは火がついていった。 結論から言うと、きょう、農水省、役人の人もみんな忙しいのでもう呼んでいませんが、農水省に聞いても、あるいは関係省庁に聞いても、豊洲は今、国の法律を満たしているのか満たしていないのかといえば、これは環境基準を満たしています。
報道されているベースで私がさあっと見てみますと、二月二十日も、「二・三億ベクレルの汚染水」「基準の三百八十万倍 百トンも」という形で、これは共産党さんの赤旗の報道で、よく調べていらっしゃるなというふうに思ったんですけれども、そういうことが書いてあった。
○参考人(小田兼利君) 私は、日本の水道水基準、何が入っていたら駄目というのは非常にはっきりしています。まずそれをクリアさえすればいいと思っています。ただ、本当に途上国行けば行くほど項目が多いんです、全然守られていないけれども。だから、日本の水道基準でいいと思います。それを私は守っています。要するに、何があったら駄目、何が何以下、大腸菌が幾ら以下、こういうふうになっています。
その結果、敷地から排出される排水基準が、例えば沃素であれば四十ベクレル・パー・リットルというふうになっているんですが、飲料水基準がそれよりも高い三百ベクレルという数字になっているわけですね。WHOの飲料水の水質基準が十ベクレルです。それの三十倍です。
東京都の報告書におきましては、揮発した有害物質が再度還元して付着するというふうに書いておりまして、報告書によりますと、その濃度は飲料水基準に比べてはるかに小さいということが記述されております。 ただ、環境省といたしましては、食の安全という観点から評価する立場にございませんけれども、飲料水の基準に比べて低いということを確認しているところでございます。
いずれの工場跡地の調査でも、土壌溶出量と土壌含有量、これが基準を超過をして、札幌工場跡地と函館工場跡地では地下水基準を超過をいたしました。 北海道ガスのように、自主調査で基準を超過した土地について指定区域の申請をしてきた場合、環境省令の技術的基準に基づいてどのような汚染対策が行われるのか、環境省、いかがでしょうか。
大丈夫ですよ、地下水の基準は環境基準を超えているけれども大丈夫ですよといって開設の認可申請をしてきたらどうしますかと聞いているんですけれども、今の御答弁は、食の安全、安心を担保する最低限のこととして、地下水基準などについても土壌汚染対策法上の環境基準をしっかりクリアして指定区域などを解除された上でなければ開設の認可申請は受けませんよという御趣旨でよろしいですか。
○伊藤政府参考人 済みません、私が申し上げたのは、事実関係として、二回目にベンゾ(a)ピレンについて……(川内委員「だから、数字を比べたらどうなんですかということを聞いているんです」と呼ぶ)ですから、飲料水基準と比較する場合は、水の基準ですから、水の値を比較しなければ意味がないということだろうと思います。