1949-07-29 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第27号
從つてあなた方はハンストをやらざるを得なかつた、炭鉱業者そのものが町や警察署に向つてデモせざるを得ないのは、町の今のような主食がないという問題、賃金の欠配があるという問題、それから首切りがあれば警察は公安委員とも連絡をとらないで直接彈圧して來る、こういう事実があるのですが、あなたも炭鉱労働者の氣質を知つておれば、当然そこに向つて行かなければならないのではないか。
從つてあなた方はハンストをやらざるを得なかつた、炭鉱業者そのものが町や警察署に向つてデモせざるを得ないのは、町の今のような主食がないという問題、賃金の欠配があるという問題、それから首切りがあれば警察は公安委員とも連絡をとらないで直接彈圧して來る、こういう事実があるのですが、あなたも炭鉱労働者の氣質を知つておれば、当然そこに向つて行かなければならないのではないか。
從いまして税金を目安といたしましての思惑の取引をしていただくという一つの商業者のもちます通例的の氣質でありますか、これを是正していただくことが、かえつて適切ではなかろうかと思います。
私は、勿論御説の通りである、現に日本人の意識の上においては民主主義に切換えられたと誰も、尚且つ過去において知らず知らずに培われて來たところのそういう思想がどこかに潜在しておる、殊に日本人の氣質といたしまして、そういうような英雄が現われ、強力な指導者が現われた場合において、忽ちにしてその面に又切換えられるということも考えられる、というような意見を申上げて置きました。
極めて淳朴なところでありまして、氣質といたしましては誠に好もしい氣質を持つておられるのでありまして、それだけ淳朴であつて、やはりそういうようないろいろな行政面が、まだ十分に滲透していないように考えられます。順次御報告申上げます。 結核予防対策といたしましては、全國の平均にいたしまして平均以下であります。やはり南國という意味でありましようか、健康は惠まれておるようであります。
○委員長(伊藤修君) まあ、その人の氣質によつて違いますが、どうも食いついたら放さんというような元氣を以ておやりになるらしいから、相当お調ベも荒つぽいらしいと想像されますがな、あなたの御調査ではそういうことはなかつたわけですか。
顏はよく存じておりますが、別にまあ大惡人というような性格ではないのですが、いろいろの風評から言えば親分氣質な男で、そうして最近に至つては非常に仙台の檢察廳の方に懇意な人ができて、そうして弁護士が行つても貰い下げができないとか、或いは保釈にならんとかいうのが、宮城が顏を出せばそれが貰い下げできるとか、或いは保釈ができるとかいうような評判をいろいろの方面から聞いたことがございます。
外の官公吏の方々よりも一番多く進駐軍に接して、毎日毎日接して、日本人はよく働く、日本人は氣質が立派だ、そうして正しい、こういう美点を、終戰後三年有半に亘りまして幾多発見をせられ、そのお蔭で、日本の國が放出せられる幾多の物資は、この数十万の進駐軍の労務者の方々の努力があつたればこそ、放出物資も非常に多いのであろうとかように感じまするが、進駐軍の労務者が連合軍に盡した行爲、その行爲が日本の國に対する放出物資
國力なり國民の氣質なりを現わしております。例えばイギリスの記者は非常にがつしりとできております。それからアメリカでは随分豪奢な設備ができておる。そうしてスピードも早い。如何にもその國々の実情を鉄道の上に反映しておるのであります。我が國におきましては、戰争前までは非常によく整つておつたと申してよろしいと思います。即ち小ざつぱりとした。而もがつちりとして実によい施設であり、よい運営でありました。
本病発呈前の性格は軽ければ循環性氣質(社会的、親切、温情的、同情的、明朗、活溌、活動的=軽躁性性格=であるか、或いは平靜、憂鬱、柔和=軽鬱性性格=であるもの)或いはやや重ければ循環性病質を有するか、又は本病者の家族に同樣の性格所有者を見出し得る場合が多い。 本病の精神症状はその状態の軽重によりて相異するから、一見同一疾患かどうかを疑わしめることもあるが、その相異は本質的のものではない。
○証人(菊地甚一君) それは私も割合といつても、正確の数は持ちませんが、平野さんの場合にもこれを考えなければいけないと思いますが、何せよこの事件と離れて、既往に抑鬱症と診断されたことがあり、又ここに説明申上げた通り、本人の平常の氣質が抑鬱症に罹る性質なんですね、それと体格もその通り肥満型であつて、そうして何と申しますか、運動型じやない、そういう体の人は氣質が純化性というのと、体の方の肥満型というのと
從つて子は子の分を盡せんという工合で、水も洩らさん態勢において、親子関係が結ばれるという、小説で見るような侠客氣質というものは見受けられませんね。
明治以降の我が國の官僚制度の中に、何か美點があつたと若ししまするならば、それにドイツのビューロークラシーに範を取つた、極めて厳正公平なる官僚氣質、純眞無垢な官僚気質というものを養成したことでないかと私は思うのであります。又今日と雖もこの傳統が一部の省、一部の役人の中に残存しておるものと私に信ずるのであります。
これが現代農民氣質であるのかと思われまする。これらの実情から鑑みまして、政府は一割増收を政府農民一体となつてすると言われておりまするが、果して如何なる具体策を持つておられるのか、何人も納得の行くような、極めて具体的な案を國民の前に示されたと思うのであります。
各縣共、縣廳、市役所等の官公署から、一縣の更生会、同胞援護会、学生同盟が、非常によく一致して眞劍に受入れに努力して下さつておりまするが、こういうところに東北の人の非常に重厚な氣質がよく現われておりまして、援護を受ける方々にとりましても精神的に非常によい影響を與えつつあるということが目に見えるような氣がするのでございます。
そういう法律上の最高顧問だというものが、裁判所に來てやられるということになると、われわれは裁判官の氣質等を知つておりますから、そんなものが來だつてどうでもよいということも考えられないでもありませんが、一般國民に與える感情というものは、實に偉大なる影響があると思うのでありまして、願わくは本條を削除してもらいたい。これがなくても、いくらでも國家としての意志表示の方法はあるわけであります。
また産業は主として農業でありますが、氣候温暖で地理に惠まれておりますのと、また人の氣質が至つて勤勉でありまして、多角形農業を營み、米、麥、葉タバコ、あるいは柑橘、葡萄、甘藷、馬鈴薯、野菜あるいは花瓣園藝等が盛んであります。殊に近年は畜産も盛んでありまして、これらの收益が優に一筒年約一千萬圓に達しております。
こういう人が大量に入りました場合に、その官僚の從來の氣質をそのまま維持するかどうか、私はそこに非常な変化があるのではないかと思います。それは軍需監理官時代のことはどうかと言いますと、私軍需監理官をやつておりました。九州でやつておりました。その実態をここに御参考までに申上げます。民間から或いは四五名しかなつておりません。
まんざら役人氣質でいかず、さりとて商人になりきれず、非常にむずかしい立場だと思います。
受刑者から適任者を選定いたしまして、これを職員の補助者として使用するということは自治性の一方向といたしまして、必ずしも不可ではないと考えるのでありますが、靜岡の特色といたしまして、いわゆるやくざ氣質の受刑者が多く、これらを押えるために累犯者を班長に指名していたようでありました。
しましても、私は果してこれが普通國民の体育に関することまでも文部省に任せるのが宜いか悪いか、文部省は学生に関する体育という方面だけをお願いして、國民一般に対する体育という問題は厚生省に復元して、厚生省がこれを指導、誘掖、発達せしむることの方が適当ではなかろうかというようなことも実は考えておるのでありますが、それらの考えておることを一々先ずそれが実現しない前に新聞紙に発表し宣傳するということは、これは私の氣質
そうしてすべて氣持よく、そこで氣質も違つておる國民性に對してそれぞれ合うような接遇をするということが、一番大切な點ではないかというふうに考える次第であります。以上お答え申し上げます。