1970-03-05 第63回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
あなたもそのお一人のようだけれども、この方々にはなかなかいにしえの古武士然とした方もおいでになって、気骨りょうりょうたる方もあって、だいぶ官僚色をきらってチャンチャンバラバラおやりになったこともあった。ところが国内経済その他の状態からいってみて、おそらく総需要のうちの二〇%ぐらいは国家予算から出てきますからね。
あなたもそのお一人のようだけれども、この方々にはなかなかいにしえの古武士然とした方もおいでになって、気骨りょうりょうたる方もあって、だいぶ官僚色をきらってチャンチャンバラバラおやりになったこともあった。ところが国内経済その他の状態からいってみて、おそらく総需要のうちの二〇%ぐらいは国家予算から出てきますからね。
したがいまして、この事実に即して言うならば、まことに残念しごくなことでありまして、一見気骨りようりようたるかに見えました吉田首相は、四国の殿様のわがまま癖が幸いして、気骨りょうりょうと見えたのでありまして、沖繩に関する限りは、少なくとも占領期間三カ年もたったならば、ぼつぼつ信託統治にしてください——信託統治になれば、次には、日本が、本土が国際連合に入るときはちゃんと祖国に自動的に戻るようになるのでございます
しかし鯨岡議員におきましては、一体、なき吉田総理がこのような殿様ぶりを、日本ではこれを気骨りょうりょうというように、お人よしの庶民の目には映るでありましょう。はたしてこれがりょうりょうたる気骨から出たことか、土佐のいなか殿様のわがままから出たことばか。私がジャーナリストであるならば一言なかるべからずと、当時思ったのでございます。
前の入管局長の気骨りょうりょうたる八木さんは、すでにやめてしまいまして、中川さんという聡明な方が見えましたけらども、八木さんほどの人は珍しいタイプの方ですから、よくおやりになったと思います。外務委員会の速記録は先ほど朗読したような実情です。これ以上続けましても、同僚委員諸君もおられることですし、私は理と情を尽くしたと思います。
これと関連いたしましていろいろな問題がありますけれども、その問題はこの次の機会に外務大臣のお耳に入れることといたしまして、帰国のことは円滑にいっておりますから、外務大臣に——前の帰国事業の責任者は自民党元副議長の気骨りょうりょうたる岩本議員さんでありました、私はその補助者として幹事長をいたして今日に至ったのでございますけれども、せっかく超党派に円滑にいっておる人道と友情の仕事でございますから、これは
それから、韓国の初代の大使に、とにもかくにも頭脳明晰、気骨りょうりょうたる風格のある伊関さんがどういう事情かきらわれて赴任されず、そして木村という台湾の公使が赴任された。(「大使だよ。」
もしその平均点にすれば、では、なぜ今度こういうむちゃなことをやったか、あの気骨りょうりょうたる重宗議長が、認めたかということになりますと、やっぱり党利党略ということばが、どうしてもここで浮き彫りにされなければなりません。
それに対してボッシ前大統領は気骨りょうりょうたる愛国者であり、清潔な政治家であったことは世間に定評のあったところであります。それに対しまして、アメリカは最近、ボッシ大統領の進歩政策が気に食わぬ、民族自決、自主独立の政策が気に食わぬというので、それに対して共産主義的という言いがかりを、すなわちマッカーサー二世と同じような言いがかりをつけまして、そしてまさに内政干渉をしようとしている。
気骨りょうりょうたる風格を持っておられる前駐英大使西春彦氏は、この点を指摘いたしまして、自分が安保条約の改定に対して警告を発するゆえんは、前は軍事占領下であったからこの条約にいろいろな欠点があってもやむを得ないことであったけれども、いまや安保条約の改定については、これは日本政府が自発的に承認したという形をとるのであるから、安保条約の内容について十分な検討をしなければならぬ、調印した以上は今度はアメリカ
第一番には、石田総裁には、あえて御老齢の身を挺して国鉄運営の重要な任に当たっていただきまして、私はむしろ気骨りょうりょうたる総裁に対して敬意を表し、また感謝もいたしたいという気持ちでございますが、何ぶんにも二十年間にわたる輸送業務に対する計画性の欠除のためか、国鉄というものが、他産業の設備の飛躍的躍進に比較して冷遇されてまいってきた、そのあと始末を引き受けておられる御苦心のほど、察するにあまりあるものでございます
私は、いま思うて、自民党の岩本前副議長、この方が帰国協力会の会長をしておりましたが、この気骨りょうりょうたる正義の士のことを思うと感銘深く覚えるのでありますが、当時外務委員会で政府当局は、たかだか三千人か三万人以上帰ったら大きな意味の仕事として勲章を上げようなどと冗談を委員長が言われたくらいです。
警察当局、刑務所、検事局等は、一方では法の番人であるべきであるのに、この国に基本的な民主革命がなかったために、アメリカの大審院におけるような気骨りょうりょうたる民主主義の伝統が必ずしも十分でない。しかし、いまは、尊敬すべき多くの検事、判事、警察官諸君がおられることを私は知っております。