1978-10-19 第85回国会 参議院 運輸委員会 第3号
たとえばその発言の中で、十河さんという新幹線をつくった総裁は、今日まで特に皆さんの記憶に新たなところでは、線路をまくらに討ち死にするような気特ちでやれと、こう言ったと。それから石田禮助さんは、民間人らしく非常に突拍子もないことも言われた。
たとえばその発言の中で、十河さんという新幹線をつくった総裁は、今日まで特に皆さんの記憶に新たなところでは、線路をまくらに討ち死にするような気特ちでやれと、こう言ったと。それから石田禮助さんは、民間人らしく非常に突拍子もないことも言われた。
済んでおるときは、なるべくそれで済まして、そして林政の全体の総合的部長はもう次長の気特ちでやっておるのだから、おれは長官にかわった、次長同格の部長だよ、こういう自負もあるわけですな。そういうときに屋上屋を重ねる問題よりも、ちゃんと実際の林政の能率を上げることに力を入れられるべきだ。これは、ポストが一つふえることで林野行政が非常に効果を上げるという意味ではないのです。
その間には、参考人のお願いをいたしまして、また違った角度からこの金利引き下げについてどう扱うかということを求めたことも御案内のとおりでございまするが、まあ私は正直申し上げて、一年間に三度の金利の引き下げということは、もう忍びがたい気特ちでございましたが、まあ郵政審議会においてはやはり郵政省から諮問案を提出しなさいということに相なりまして、私は先ほど申し上げたとおりに、かつてない方法をとったのは、参考人
そういったことは、これは貯蓄ですからね、あくまでも郵便局に預ける方の気特ちは、最近の若い方の感じは変わってきました。変わってきましたけれども、主として四十歳前後から上の方々の郵便局への貯金の心理は、結局預けたものはあれは預けっ放しなんだ、こういうふうな気特ちが強いわけですからね。しかもその平均は大体二、三百万なんで、四百万にも達しておりません。千四百万、とんでもない話なんですからね。
○三浦委員 逃がさない、原則として逃がしたくないという気特ちはわかるけれども、実際に拠点集約をやって、貨物はどんどん逃げていると私は思うのですよ。これがまたそういう中小荷主の貨物をトラックへどんどん追いやっている一つの大きな原因だと思いますよ。 それで、ちょっとお尋ねしますが、いままでの拠点集約によってどのくらいの貨物取り扱い駅の廃止が行われたのか。
この十二月一日にお出しになった文書からいたしますと、一項目に書いてあるこの部分から推論をして、国際線についても、できたらということを、この時点でもお考えになっていた長官でありますから、いまはこの問題に対してどういうふうにお考えになっていらっしゃるかということを、私はぜひぜひ、はっきりと聞かしていただきたい気特ちでございます。いかがですか。
しかし、広島にあるいは長崎に落ちた爆弾というのは、これは人類史上今後あってはならないことですし、類例のない恐ろしいものであったということ、許されないものであったということ等を一層御勘案いただきまして、そしてこれが対策には特別なやはり配慮というものを私はお願いしたい気特ちでいっぱいでございます。
あるいはまた夜学に通学が可能だという、そういう募集ポスターで受験して、そして巡査になったけれども、入ってみたら夜学にも気特ちよく通わせない。そして残業をちょっと残ってやってくれと言われる。募集ポスターの誇大詐欺広告、契約違反だという。そういう投書も来ています。数え上げると幾つもあるんですが、そういう何といいますか予算の面でも国民の前に明らかにされず、国会でわれわれ要求をしても提出をされない。
災害の特定災害というものは、昭和四十九年四月からやられた制度でございますが、いま先生おっしゃいましたように、これを実施しましたもともとの気特ちは事務の簡素化にあったわけでございまするので、一年実施いたしましてその反応を見たわけでございますが、ただいまおっしゃられましたように、非常に枠の拡大の希望が出ておることは私どもも承知しております。
ただ何となく、日本政府から声がかからぬじゃないか、私はそういう気特ちがあるように思えてならないのでございますけれども、もう大法院の特赦も目前だという時期ですから、これに対してどう対処されようとしておるのかという点が、これが第三点。 これをひとつ時間をかけたいのですが、お気持ちだけで結構でございます。お答えいただきたいと思います。
○塩出啓典君 もちろんアメリカがやってなくても、まあ日本はやはりそれだけに、アメリカでは問題にならぬことでも日本では問題になるわけですから、こういう点を私は認識をしてやらないとやっぱり急がば回れという昔の人はなかなかいいことを言っていると思うんですけれども、私は今回のこの事件を通して、やはりそういうような気特ちがしてなりません。
同時に、私が先ほど来申し上げますように、大学の学部教授会というものはどういう使命を持っているものだろうか、やはり本来託されている使命を越えたようなことをしていきますと、だんだんその教授会の本来の任務についての批判が集まってくるおそれがあるものですから、大学の自治が大事であればあるほど大学の自治というものは厳正に運営してもらわなければ困るじゃないだろうかと、こういう気特ちは私は基本にございます。
それによって職員が安易な気特ちになってはいかぬと思いますけれども、退職まぎわの人が二、三年前から不安な状態に置かれるのは、これは人情ですね。それで年金が人並みにもらえないという実態に追い込むという制度は避けるべきである。
ると思いまするし、前尾議長が党籍を離脱して衆議院議長になられておるがごとくに、よし自民党の党に属する内閣であっても、文部大臣は、一応文部大臣在任中は党籍を離脱して、教育の中立確保のために取り組みたい、そういう意気込みのある文部大臣であるならば、国民が大いに共鳴してあなたの政策遂行にお手伝いができると思うのでございますが、(「自民党じゃなくちゃだめだよ」と呼ぶ者あり)その私のすなおな気持ちは、あなたの気特
そこまでなってまいりますと、何よりも油がほしいということがまた、消費者の一義的な気特ちになります。そういうことにかこつけて、もう今度の値段はここにはありませんよということで次のステップのときにはさらに高い値段へということの上限がつくられてくるのではないかというふうに私どもとしては勘ぐらざるを得ないというような事例は、灯油の場合にも、ほかの生協の場合でもたくさん起きております。
○中川政府委員 春日委員のお気特ちは私にも……(春日委員「気特ちじゃないよ」と呼ぶ)私も、言わんとするところはわかる……(春日委員「言わんとするところじゃないですよ、言うたところだ」と呼ぶ)言うており、言わんとするところの内容はわかるわけです。百万円が妥当なのに二百万円の課税があった。これは国民の大事な財産権——百万円に対して公務員が二百万円の取り立てをした。
いま、そういうふうに、気特ちとしては進んでいるというふうに思うのですが、しかし、それぞれの個々の会社とすると、その会社の歴史もあり、資本なり業務の内容なりがあり、しかも、特に京浜港の場合には、非常に複雑多様に免許が許可をされて、それぞれ店社が活動をしておるわけですね。
さらに四等級ないし六等級、中だるみといわれておりますその部面についても、最も人員の分布が集中しておる号俸を中心といたしまして、昇給間差額の改善その他をやっておりまして、今度は中だるみじゃなくて中ぶくらみだ、そんなようなことは大きな声では申しませんけれども、そのくらいの気特ちでこれを私どもは見ておるわけであります。
したがって、私は先ほどもちょっと触れましたように、民間にならうというわけではないけれども、厳正な民間の実態調査をやって、その上に国民大衆なり納税者の理解を得るという強力なバックをほしいという気特ちもわかるわけでありますけれども、これが今度は各都道府県へおりていく場合には、強力な一つの、中央の態度もこうであったということもまた事実であろうと思うわけです。
○佐藤説明員 ただ単に寒冷地の指定を拡大しようという気特ちは、現在のところ全然特っておりませんけれども、ただ、もう三年前になりますが、私どもが相当大幅の地域指定の勧告を申し上げたあと、いろいろこれについて、隣がこうならこっちがこうだというような御指摘もありますので、そういう面のアンバランスとして、はっきりこれは何とかしなければと、つかみ得るところがあればこれは是正するにやぶさかではないという立場で、
日本と韓国との連帯感から、この際はひとつならぬがまんをして、より高度の目的、すなわち両国の国交正常化をはかろうという気特ち、そういう気持ちは私は十分に察せられるわけであります。しかし、それならばそれで、政府は高邁な対韓政策というものを可能な範囲でそれを日本国民に知らせるべきだと思います。
大臣も、理屈としてはおまえの言うとおりと、こういうお話しでありまして、将来何とかしなければならぬというふうにお考えになっておるようでありますが、これはひとつやはりもっと考えて、それぞれのふさわしい形で運営できるというようなことにしなければならぬのじゃなかろうか、こういうように思うのですが、大臣、ただきょうここで、あなたと私の間でおまえの言うことはもっともだしこれから考えましょうという、単にそういう気特
ところが、それについて、私どもは、これはもう日本人同士の文書でございませんから、相手の気特がこの文書に織り込まれておるわけですから、日本側で田辺さんがお考えになるような意味であるかどうかということも疑問があると思うのですよ。 そこでもう一つ私は提示をいたしますが、それは、全協会長の有田八郎氏が訪中されたときにおける覚書の中で次のような二点があるわけです。