1995-04-13 第132回国会 衆議院 地方分権に関する特別委員会 第8号
さらにまた、国民各界の絶大な御支援、中でも地方自治体側が極めて具体的でかつ何物にも恐れない勇気と情熱を持ってこの問題に取り組むというような姿勢と気慨がなければ、この推進委員会の活動の成否はかなわないであろう、かように思うのであります。
さらにまた、国民各界の絶大な御支援、中でも地方自治体側が極めて具体的でかつ何物にも恐れない勇気と情熱を持ってこの問題に取り組むというような姿勢と気慨がなければ、この推進委員会の活動の成否はかなわないであろう、かように思うのであります。
これは決して通り一遍の安易な道ではなく、御指摘のとおり、政党も政治家もみずからを厳しく律し切磋琢磨する中で、改革への気慨と情熱を持って断固たる決意のもとに取り組んでいくことが求められていると思います。 次に、政治腐敗防止関連法案の制定についてのお尋ねでございます。
自治大臣、それから建設大臣、国土庁長官、お聞きしたいと思いますので、ひとつどういう気持ちで、気慨でやっているのかをお教えいただきたい。
率直な心情として何で飛び込んで助けに行くという、百メートルや二百メートルぐらい、間に合わなくても飛び込んで助けに行くというその気慨、これが国民感情として、ああ、国を守り国民を守る自衛隊員の姿だなという共感になるんではないか、それこそ信頼される自衛隊員としての姿ではないかと私は思うんですけれども、こうした点に対する認識、そういう点に対する考え方をどのように受けとめていらっしゃるか。
ところが、七三年、七五年、二回の政治決着、それから今日までの経過の中で、こういうわが国政府の気概と真相究明、主権侵害に対する徹底的な国際的な処置に対する気慨が失われて、外交決着はついた。そして捜査の方は捜査本部の解散だという事態をいま迎えている。
しかし、お役所、お役人とは大臣は違うわけでありますから、財政の難局のときに高橋是清大臣や井上準之助大臣や、いつか「男子の本懐」で議論したら、時代が違いますと大臣言われたことがございますけれども、やはり気魄、気慨はそういうふうに持って一つの方向を示していく、また少なくとも考え方、スケルトン、骨格、柱、そういうものを出して、私はこれしかないと思いますけれども皆さんいかがでしょうか、そういうことがどうしても
やはり厳しい現実というものを踏まえながら、自分の国は自分で守るという気慨、これが必要でもございますし、また、日米安保体制がわが国の安全保障の一つの大きな支柱でもあるわけでございますから、これの円滑な運営が実効が上がるように努力をする必要がある、こう考えております。
なのに政府の御意見を承るための、ときには刺激的な揚げ足取りやはったりで、そうしてジャーナリズムに迎合しようとする風潮や、場合によっては政府にお世辞を使うということだけの、見識の躍動が国会になくて、どうやったらテレビに出るだろうか、どうやったら新聞に載るだろうか、人民に向かって孤独に耐えて、人民から袋だたきに会っても預言者は郷土にいれられずというだけの孤独に耐えてもわが道を行くという気慨を持った政治家
三月二十二日に防衛大学の卒業式に長官はおいでになって、訓示を述べられておりますけれども、まず最初に、最近の防衛大学生の心意気というか、気慨というか、どのように受けとめられたか御感想をお願いしたいと思います。
ということで、自治体側自身の方に自治の気概とでもいいますか、課税自主権をもっと要求をするとかいうふうな気慨のようなものが薄れているのではないか。
これも全体の税制の中から見て、国民から見て一つの不公正のシンボルのように言われている状況の中から見て、あえて税制調査会が出した結果よりも違ったものを出されたことについて、腹を切って、政府がおれの言うことを聞かないようじゃおれは会長なんかやっておれない、そういうくらいの気慨がないのじゃしようがないのじゃないかという気がするのですが、それはいかがでしょうか。
そういうような知識はオン・ザ・ジョブ・トレーニングを続けていきながら会得していくというのが、これは工業の普通でございまして、それをそういうふうにして会得しました全般にわたる知識というものはおっしゃるように非常に大事なものであって、これは作業者としては自分たちのやっておる仕事が、全体のどういうふうな部分を受け持っているのかという非常に大きな認識と気慨と誇りとにつながりますし、本当の人間の幸福を発見する
その一つは、とにかく自分の国はやはり自分の手によって守るという、そういう国民の気慨がなければ日本の独立と安全とはあり得ない。つまり抵抗意志というものです。それからまた、その抵抗意志があっても能力がなければならない。つまり憲法の制約のもとにあっても、必要最小限度の防衛力はこれを保持し、これを常に高める努力をしなくちゃならぬということであります。
そのくらいの気慨を持って、ほんとうに困っている、いま死のうとしている、この人たちをなぜ救ってやらないのか。いまや米は、そんなような米はないんですか、農林省。
ですから、今後においてそれを知る努力を継続されることは、決してアメリカの法律に違反するものではない、また、日本の政府の要求としても不当なものではない、アメリカの議員たちが果敢にアメリカ上院で議論したように、徹底的に議論することも不可能ではない、私はそういう気慨を持っていただきたい、こう思っておるのです。
そうなると、つまり佐藤・ジョンソン会談以来の国を守る気慨、そういうものでは断じてない。そうなると、三次防の形は引き継いだけれども、当事者の意思としてはそうではない。
もはや、国を守る気慨という精神論や他の費目とのバランスをいう財政技術論をもって防衛費や防衛戦力を語るべき段階は過ぎました。防衛力増強の限界値の論議ではなく、との大計画を包蔵しながら進む国家像というべきものの姿が問われています。防衛白書の発表にあたって、防衛庁長官は、非核中級国家という表現を明らかにされました。
だとするならば、何かいま政府がここで気慨をもって方針をひとつ立てたということならば、やはりそれに全力を集中して、そうした計画なり方針を貫主通してもらわなければならぬ。佐藤総理が蛮勇というのはこういうときだと思うのです。こういうときに蛮勇をふるってもらわなければならぬと、国民も思っておると思うのです。
いつでもうろうろきょろきょろしているようなことで、世評はどうだろうというようなことを気にするような立場に置かれて、ほんとうに信念を通して正しい裁判を、百万人といえどもわれ行かむというような気慨でもってぶつかるというようなことは不可能だと思うのです。