2021-04-16 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第12号
また、地図にはありませんが、気仙沼市には、被災した造船四社が合併して、みらい造船を二〇一五年に設立をしています。そうした経過を見ると、やはり今般の支援は、中小型造船所でも対象とするという点で、必要なことかと思っております。
また、地図にはありませんが、気仙沼市には、被災した造船四社が合併して、みらい造船を二〇一五年に設立をしています。そうした経過を見ると、やはり今般の支援は、中小型造船所でも対象とするという点で、必要なことかと思っております。
私は、若干ですけれども、当センターが気仙沼市さんと協定を結んでおりまして、いろいろ行き来させていただいているんですけれども、やはりあそこも復興住宅でかなり元のコミュニティーが崩壊して、一から町会や自治会も立て直しみたいなことに直面されたわけなんですけれども、やっぱりそうなると、新たなやっぱりコミュニティーをつくるための協議会なんかをつくっていくと。
一方で、東日本大震災のときに、石巻、気仙沼、宮古、この三つのエリアの信組で四百三十億円という額が出ているんですね。つまり、これ震災のときでも四百三十億円、三つの信組で。一方、去年は山梨の一つの信組で四百五十億円と。これ結構な金額なんですね、この比較をするとですね。これについてどのように考えていますか。また、公的資金を更にこれ投入するとかいうのは何か今お考えありますでしょうか。
震災のあった年、雪が降る前にどうしても一度被災地を訪問したいということで、当時大学一年生の私の娘と一緒に、一関市でレンタカーを借りて、南三陸町から気仙沼市、陸前高田市、大船渡市の沿岸地域を娘と涙を流しながら運転したことを今でも強く覚えております。その後、被災地を幾度となく訪問し、福島第一原発事故による帰宅困難地域を始め、福島、宮城、岩手の津波被災の沿岸地域をほぼ全て訪問させていただきました。
私も、東北の震災以降、様々な東北の地域に行きましたが、気仙沼で畠山さんという方が、森は海の恋人という、こういった言葉で、結局は、カキをやっている方で、だけど、そこに流れ込むミネラルというのは森が生んでくれたものですよね。そういった中で、私は、あの方の活動って多く知られたと思います。
例えば、宮城県気仙沼市で、津波で市街地は壊滅的な被害を受けたが、地域にある一景嶋神社の鳥居を再建し、六か月後には例大祭が行われたことや、また、今次長も御報告されましたが、地震の揺れと液状化の被害が国の重要伝統的建造物群保存地区に及んだ千葉県香取市では、地域が一体となって復興祈願をかけて恒例の祭りが実施されたことなどが紹介され、無形の遺産が心の復興を支え、有形の遺産が記憶の継承を支えながら、生活の再建
具体的には、宮城県の気仙沼で水揚げされるメカジキ、これは、鮮度落ちが速く、刺身での提供は地元に限られておりました。本事業を通じまして、漁業者による鮮度落ちしにくい生け締め等の高鮮度の取組、さらには、流通時において新たな技術を用いた鮮度保持手法の実証を行い、そして、首都圏に展開する大手小売業者との連携により新たな流通経路が開発されました。
私は当時、被災地気仙沼に医療支援に発災十日目に入りました。津波の被害を免れたものの、停電によって、特に要介護の方々、停電でエアマットが潰れてしまい、そして、情報が少ない中、歩いて地元の保健師さんと一軒一軒回る支援でありました。 エアマットが潰れたために背中じゅうにあっという間に褥瘡が広がり、あらゆる基礎疾患がある方が病状が悪化した。その中で、御自宅でお亡くなりになった方もおられました。
概して言えばですけれども、陸前高田市や気仙沼市のようにNPOの活動が積極的な地域であるとか、釜石や塩竈とか東松島あるいは野田村といったところのように住宅関係の支援が充実しているところが成果を上げています。他方で、成果が上がっていなかったり、そもそも実績の把握が不十分だったりする自治体もあるわけです。
また、三陸沿岸地域の主要産業である水産業においては、宮古港など岩手県内の漁港から宮城県気仙沼市の水産加工工場に新鮮な水産物の輸送が可能となり、気仙沼市の水産加工業出荷額は震災前の約九割まで回復しているところでございます。 三陸沿岸道路の年内全線開通に向け、仕上げの段階に入っておりますが、一日も早い開通を目指しつつ、工事の安全確保に努め、引き続き事業を進めてまいります。
ところで、一昨日、三月六日でございますけれども、気仙沼湾の横断部、三陸沿岸道路が開通をいたしました。宮城県内の沿岸部のいわゆる復興道路、高速道路が全線開通となりました。大震災発生時に沿岸部の被災地への進入路の確保に苦労した、先ほど申しました当時の徳山局長の思い、常磐道や三陸道を始めとする高速道路を復興道路あるいは復興支援道路として何とか十年以内に開通したい、そういう思いが現実のものとなりました。
公明党復興加速本部として、井上義久本部長とともに、二月二十一日、宮城県に入りまして、今まで仙台から片道三時間以上要した気仙沼が一時間半で到着し、さらには、南三陸、石巻、東松島を含めて一日で視察することができ、復興が大きく前進したことを実感いたしました。しかし、石巻市では大規模な排水事業が現在でも未完成であり、今後五年間の復興・創生、第二期の復興・創生期間での完了を期待したところであります。
私は、津波で被災した気仙沼市や陸前高田市のいわゆる震災遺構、津波伝承館に伺ったことがございますけれども、これらの施設では、津波で犠牲になられた方々への追悼と、様々な展示を通じて、震災の記憶、教訓、こういったものを後世に伝えようというふうに取り組んでおられます。陸前高田の津波伝承館には、震災当時、先ほどお話ありました、災害対応で頑張った東北地方整備局の災害対策室も再現されていました。
私は、当時、災害支援ナースたちとともに石巻や気仙沼に行きました。そのときに、看護職が非常時を支えているのだと実感したことを覚えています。今、同じことが言えるように思います。
私が視察した気仙沼の水産加工業の方からも、取得しても売上げが上がるわけではないとおっしゃっていたのを覚えています。また、消費者においても認知度が約一二%とかなり低いです。せめて、この有機JASぐらいまで行けばいいなというふうに思うわけですが。 また、取得費用について見ると、MSCやASCは数百万円掛かります。
先月、宮城県の気仙沼、石巻、塩竈へ視察に行ってまいりました。漁業者の方からお話伺ってきましたが、収入減少への不安と所得保障の充実を求める声が多くありました。 漁師さんたちは経営も厳しく、制度も厳しい状況にあります。速やかに機能強化と法制化を行い、漁業者の不安を払拭し、安心して漁業に取り組める環境をつくることは国の重要な使命だと考えますが、野上大臣の御見解をお伺いします。
私も、あの東日本大震災からの復興道路として整備が進められている三陸沿岸道路の開通式などにお声が掛かって現地に参りますけれども、その際に、お手元の資料でございます、資料五の気仙沼市の東日本大震災の遺構・伝承館に立ち寄りました。
これこそ今、今現在も地域金融に求められる姿勢だというふうに思いますし、遠藤さんは、東日本大震災のときに、被災地の金融機関回られて、信用金庫とか回られて、実際にいろいろ支援もされてきた方で、気仙沼の信用金庫の理事長なんかは遠藤さんの大ファンでございました。それぐらい回ってこられた方なので、言葉に重みがあるわけでございます。
例えば気仙沼、若手の皆さんが、サメの街気仙沼構想、こういう構想を打ち出して進めてきている。そこに私は東北の底力、活力、復興を乗り越える強い意思を感じることができました。 また、この九年間で福島のイノベーション・コースト構想の拠点も整備された。
地元岩手県だと隣、宮城県気仙沼市で四月五日に感染者が発生しました。すぐ隣は一関市。県北ですと八戸でも四月三日に感染者が発生しております。共に生活圏は一緒でございます。このような場合、設置者も非常に判断に悩み、再開、休校の根拠を示すことが非常に難しいと思います。
昨年の秋に、復興の様子を、被災地を見てほしいと個人的に声がかかりまして、一泊二日で大船渡、陸前高田、気仙沼と見てまいりました。それぞれの場所でいろいろ感じたことがありますが、きょうは気仙沼について質問いたします。 つい先日、NHKの番組で、復興道路についての特集をしていました。
○伊東副大臣 まず、気仙沼漁港でありますけれども、岸壁の復旧のみならず、高度な衛生管理機能を有する新たな荷さばき施設が平成三十一年三月に完成し、四月から供用開始されているところであります。 また、復興に必要な漁船につきましては、漁船保険や共同利用漁船の復旧支援等によりまして、建造あるいは取得がなされているところであります。
実は、去年十月に被災地の方から個人的に、今被災地がどうなっているかを見てほしいと言われまして、大船渡、陸前高田、気仙沼を一泊二日で見てまいりました。それぞれの場所でいろいろ感じたんですけれども、きょうは陸前高田のお話をいたします。 この写真は、防潮堤のてっぺんに展望台のように立てるようになっているんですが、防潮堤の上から内陸側に向いて撮った写真です。
その地震、津波被災地域の中でも、例えば仙台と気仙沼、陸前高田などは、進捗に差があります。 一方、原子力被災地域はまだまだ復興途上で、なおかつ、各自治体間で進捗に大きな差があります。早期に避難指示解除された田村、楢葉は復興の進捗は見られますけれども、一部地域が解除されたばかりの大熊、まだ解除がされていない双葉は、全く復興が進んでおりません。福島の中でも大きなばらつきがあるということです。
実は私、地元近くにあります復興公営住宅、それから四月には気仙沼の復興公営住宅に伺わせていただきました。残念ながら、地元の復興公営住宅では、これは孤独死ではないんですが、老老介護をされた方がみずから命を絶ったという事例、報道でもなされておりました。
先ほども、気仙沼それから地元仙台の復興公営住宅に伺ったとお話しさせていただきました。被災者の皆さん、生活者の皆さんに伺うと、入居をしたけれども、残念ながら、自治会がなかなか立ち上がっていない。